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秋
 葉
  原

「目を閉じると風景が浮かび上がる。それは時に 湖の底であり、飛行機の滑走路であり、荒れ狂う 嵐の中かであり、培養液カプセルの中であり、サ ーキットであり、だだっぴろい荒野である。目を 閉じるだけで、私は別世界へ行くことができるの だ。正確には、現実世界を自己という受容体を通 してモニターに映したものにすぎないのだが、そ れは現在のブラックボックスの中の在り様を把握 する一助になるのであった。そう、この二年間を かけて私はそのモニターごしに自己内部のダイナ ミックな、もしくは微細な、変化を目の当たりに してきた。それは時として恥ずかしいほど赤裸々 であり、時として痛いほど辛辣であった。全ての 絵は、たとえそれが対象物が何であれ、自画像で あるという説があるが、それと類似した現象だっ たのかもしれない。『我』の探索という、なんと も気恥ずかしくなるようなテーマ性で旅は続けら れた。しかし、その変化に富んでいると感じてい た風景の全てを並べてみると、これが馬鹿馬鹿し くなるほど『同一の種』でしかないことに気づか されるのだ。孫悟空が菩薩の掌を世界と勘違いし たように、七つの海をまたがっていたはずの紀行 は驚くほど矮小な『エリア』内部でのことにすぎ なかった。そうしてやはりシンプルな結論に至る のであった。その矮小な『エリア』こそが『我』 であると。幾度も寓話で述べられているような 『結論』。しかし寓話の悲劇はその教訓をノウで はなくリアライズすることに人生の大半の時間を 要するということにある。そうして、青春と名づ けられた羞恥と誤解と徒労の塊は、時空を超えて、 DNAの二重螺旋のように延々と受け継がれてい くのである…」 誰もいない講堂で演説をふるうネルバ教授。汗を にじませ、唾を飛ばし熱弁するが、壁に反響する 自分の声以外に、動く者はなかった。 「……結論から言いましょう。私はね。ンンッ」 絡んだ痰を切るように咳払いをする。 「私は、救いようのない糞野郎なんですよッッッ!」 壇に掌をたたきつけ、中空の一点にむかい目を見 開いた。講堂の奥の扉の向こうから、瞳孔が痛く なるほどの夏の光が差し込んでいた。でもね…… と、教授は続けた。 「それって最高だと思いませんか?」 教授はスーツの胸ポケットから極めて茶道的な所 作で拳銃を引き抜き自らのコメカミを力強く打ち 抜いた。その刹那、どこからか幼子の声。 「ほうら、つかまえた」 夏の光の中に、青い鳥が吸い込まれていった。