ヨーヨー歴についてまとめてみる
1997年12月 家の近くの本屋「元禄屋書店」にて、「ハイパーヨーヨーテクニックス」という本を偶然見つける。これがすべてのはじまり。翌日には、DYNA-YOというヨーヨーを購入して練習をはじめる。しかし、しばらくは独学が続く。 1998年6月 Windowsパソコンを購入 同時にインターネットをやりだす 1998年7月 妻が長女出産 1998年8月 妻が里帰りしている間に、名古屋で「テレビチャンピオン 親子ヨーヨー大会」を見る。 これが後に、ヨーヨーロックンローラー:藤田正美さんとの出会いのきっかけとなる。 1999年1月 ネット上でヨーヨーロックンローラー:藤田さんに出会う。 私は、テレビチャンピオンでの彼の活躍を覚えていて、メールのやりとりがはじまる。 藤田さんより、ヨーヨーMLを紹介され、すぐに入会する。 私の入会より1日遅れで、後のチームADSPのリーダー:なかっちさんが入会する。 1999年2月 なかっちさんは、ドリームランド店長と知り合いであった。私はなかっちさんと一緒にドリームランドへ初の「認定」に行く。他人と一緒にヨーヨーをするのは、これがはじめて。 実はこのときすでにバンダイの認定会は、終わりかけであり、私がはじめて行った日が、なんとベーシックレベル認定の最終回であった。なんとかベーシックレベルは1日でクリヤできたため良かったが、この時クリヤ出来ていなければ、認定の道は絶たれていた。 1999年8月 同じく、ドリームランドの「大人の認定会」へ来ていたメンバーが集まり、大人のヨーヨーチーム:ADSPを結成。ジャパンチャンピオンシップにチームプレーで参加する。 残念ながら入賞は出来ず。 1999年10月 バンダイの認定:ハイパーレベルクリヤ 「プロスピナー」となる (ちなみにその後、THP−Jレベルは8つクリヤ) 2000年8月 ADSP2回目のジェパンチャンピオンシップ参加。チーム部門3位となり、11月のファイナルにも参加する。 2000年9月 第1回ドリームランド大会が行われる。 2000年11月 第1回UTYJ大会が行われる。規定:シニア部門に参加 2001年8月 大阪にて「ウルピの部屋」(現在のMaskingWorld)のオフ会が行われる。 2001年11月 第2回JYYA大会に参加。規定:シニア部門にて優勝 2003年5月 このころより、「ヨー友in中部」に参加。 2003年11月 職場の慰安旅行にてヨーヨー披露。 職場にてヨーヨーを見せるのははじめて。好評を得る。 2004年11月 研修のためニューヨークへ行く。 「日本のあそび」をテーマに先生相手にレクチャーを行うが、なぜか「アメリカの遊び」であるはずのヨーヨーの方が人気になる。ヨーヨーのデモを依頼されて、いろいろな教室を巡回する。 2005年3月 通勤中に交通事故にあう。2ヶ月間意識不明、4ヶ月の集中治療室を経て、12月にようやく退院。ただし、人工透析や味覚障害などの後遺症が残る。 2006年4月 ほぼ1年ぶりに職場復帰。 |