1991年、SGML をルーツに新たな言語が開発された。 欧州の原子力研究機関を母屋にして生み出されたこの言葉は、 離れた場所にある電子計算機どうしで情報のやり取りを行なう際、橋渡しをしてくれる存在として作られた。 CERN は電子情報網を開発、新しい言葉の必要性を日々、論じた。 電子計算機たちは異なる言語を持っており、異なる言語どうしでは意思の疎通が不可能であった。 しかし、電子情報網に参加するあらゆる言語の電子計算機たちが、お互いに共通の言葉を授かればどうだろうか。 すると、見よ。”一つの言葉” はこの理想に向かって洗練されていった。 ”一つの言葉” は HTML と呼ばれた。
”一つの言葉” を洗練すべく、'94年には教団が設立された。 全世界網教団は W3C として ”一つの言葉” を定義し、正しい使い方を導き、進歩させようとした。 その少し前に米国にて、電子情報網に乗せられた言葉を読み解く読解者が生み出された。 この読解者は Mosaic と呼ばれ、絵まで見ることができるという新しい技術を持って生まれた。 W3C の設立直後、さらに新しい読解者 NN が生まれた。 NN は ”一つの言葉” を授かる者であったが、NN の後見人たちは ”一つの言葉” に手を加え、 NN でしか解読できない独自要素を盛り込んだ ” Netscape教義” を布教した。 勢いのある NN に比べ、遅々として大衆の望む教義を生み出さない W3C は非難の的になるばかりであった。 気が付けば ”一つの言葉” は読解者と共に別の道を歩み始めていた。
NN の後見人たちは Netscape と呼ばれ、”一つの言葉” に独自の解釈を行なった。 読解者は Mosaic 、 NN の他にも生み出され、それぞれが独自の解釈を ”一つの言葉” に対して行なった。 読解者の出現と共に世界中が電子情報網の発達を待ち望んでいた。 Netscape協会や Microsoft協会は ”一つの言葉” が乱雑になっていくことを自覚して、 W3C に入会した。 すると、'96年、W3C は読解者の後見人たちが作った各宗派の独自解釈や、JavaScript と呼ばれる新言語をも融合させて ”一つの言葉” の新教義を作った。 各宗派が作り出した独自概念の一部は W3C に認められ、”一つの言葉” の第三正典に書き加えられたのである。 '97年にはその後も長らく用いられる第四正典を生み出し、”一つの言葉” はこれによって標準用法を得た。
読解者は ”一つの言葉” を授かり、中央の人間と最果ての人間を繋げた。 新たな役割を授かった電子計算機は大量生産され、電子情報網は大いに発達した。 読解者の後見人たちは他宗派の教義とは相容れずに覇を競い合い、各々の独自性を強めるばかりであった。 Netscape協会と Microsoft協会は宣教師たちを世界中に送り込み、我こそは ”一つの言葉” を授けし宗派であると宣言した。 W3C の教義を守る読解者たちも生まれ、W3C の宣教師も誕生したが、ものの数では無かった。 やがて、Microsoft協会は電子計算機に IE という読解者を練りこませて布教するようになり、圧倒的な勝利を収めた。 七海すべての人間が ”一つの言葉” を使って電子網敷地を作るようになったが、 多くの人間は Microsoft派か Netscape派に属しており、独自解釈を加えた亜流の ”一つの言葉” を用いていた。 ”一つの言葉” は共通言語としての役割を果たせなくなってきていた。
W3C原理主義者たちは W3C の教義に則って ”一つの言葉” を扱うべきだとして憤慨の意を表明した。 IE の洗礼者たちはこの言葉を退け、あるいは意に介せず、教義の押し付けに憤慨した。 預言者は正典の失地回復が自明の理であると宣告したが、IE後見人の呪い士に喉を噛み切られ絶命した。 多くの者が無宗派であり中立であると思っていたが、それは過ちであった。 読解者の独自解釈に身を委ねるのであれば、それはいずれかの宗派に属することを同時に意味したからである。 かつて世界を席巻していた読解者 Netscape は自らの教義こそ正典であると言わんばかりの傲岸不遜な態度であり、 また、後見人たちがそのような行為を後押ししていたが時流を読めずに凋落した。 代わりに勝利を収めた Microsoft協会は正典に表向きは忠義を立てていたが、やはり独自解釈を止めようとはせず独自の教義を発展させるばかりであった。 IE の洗礼者たちはこのような事象には興味を持たず、読解者たちの間に広がる不和を感知しなかった。 ”一つの言葉” は複数の解釈によって引き裂かれ、共通言語の理想は瓦解するかに見えた。