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無知のまま
CSS講座を作った事を懺悔する

情報汚染罪

第一次審問

*「しかし、あなたは過去に標準用法とは矛盾したものを作っている」
#「そのときは知らなかったんですよ。IE でしか通用しないと分かっていれば、作らなかったと思いますよ」
*「では今は標準用法を知っていると?」
#「とても、そんな大それた事は申せません。ただ、何が非標準かを知っているだけです」
*「そこに行き着くまでに苦労したと言いたいのか?」
#「苦労しましたよ、実際。今でも知らない連中は多いと思いますし、実際一部の人間だけが把握している事項でしょう」
*「IE が強い独自性を持っているのは有名な話だと思うが、そうではないと?」
#「みんな知っているが、抽象的すぎる。結局、使いまわされた言葉がさらに使いまわされているだけですよ」
*「知ってるつもりでは役に立たない?」
#「とても、そんな大それた事は申せません。ただ、何が非標準かを知っている......。 いや、つくづく思うのは CSS講座なんてもの、作らなければ良かったという事だけです」
*「なぜ?」
#「アラ探しならいくらでもできるが、間違いのないように説明するのはその百倍難しいという事です。つまりは」
*「そうでしょうな。正典の日本語訳ならいくつも出ている。あなたがいい加減な解釈の元に説明すべきでは無い」
#「手元にあった教本が正典の内容を逸脱しているとは思いもしませんでした。だから、失敗したんです」
*「全てはその教本のせいだと?」
#「そうです。世の中が悪い」
*「何でもかんでも信じない事だ。そうだろ、教本に正しい事が書いてあるなどと誰が言った?」
#「金を払って買ってるんです。正しいと信じ、た...、かったわけです。つまりは」
*「世間知らずな」
#「しかし、...正典の内容は難しすぎて読む気がしないんですよ」
*「教本の教え方は分かりやすかった?」
#「いえ、CSS 自体が難しすぎて教本の内容でも容易には理解できませんでした。ほとんど、勘と手探りで...」
*「どうせ難しいのなら正典の内容を理解するよう努めるべきでは?」
#「しかし、正典には写真が無い。画像が無いというのは極めて分かりにくいものです」
*「それは言い訳にすぎない」
#「言い訳? 確かにそうですが、簡単には言ってもらいたくないものです」
*「世の中が悪いと?」
#「世の中も悪いし、あなたも悪い。あなたこそアラ探しばかりやってくれる。いい加減、...」
*「結局自制が足りないだけだろう」
#「いやいや、愚か者が私だけなら構いませんよ。しかし実際問題、多くの人間が私より努力が足りないくらいです。 正典を読める人間がどれほどいるか? ただ字面を追うというだけの話ではありませんよ、理解するという段階に到達できるか否か?  という意味においてです」
*「自己弁護したいようだが、あなたは中の上くらいだと?」
#「ああそうですね。そんなに悪くない」
*「あなたのような知恵者でさえそう感じるのなら、正典が難しすぎるのが悪いと?」
#「今なら理解できますよ。読むのには根気が必要ですが。要するに段階の問題です。 段階を経れば誰だって理解できるようになる」
*「と、いうことは今ならまっとうな CSS講座が作れると思うわけで?」
#「いや、もう作ろうとは思いません。知れば知るほど正典の内容に近づくばかりであり、それなら私が駄文を連ねる意味も無い。 せいぜい、ケチなアラ探しをするだけですよ」

*「では、以前作ったものを修正する気はないと?」
#「ああもう、直しても直してもアラが見つかるのはよく分かっています。 解説文書なんぞ作るものではありませんよ。主観や思い込みを一切排除して客観的に正しい文章を書くことが如何に大変か...」
*「結局、以前作ったものはどうする気なのか、そこを聞きたい」
#「廃棄します。そりゃあ、もう近いうちに廃棄するという方向で検討させていただきます」
*「即刻、廃棄してもらわないとあなたの罪状は確定するが...。偽情報を撒き散らしたという罪で」
#「そもそも、何が偽情報なんですか? 膨大な数の曖昧な情報があり、僅かながらの正しい情報もある。 真偽の確かな価値のある情報なんて砂金ですよ、砂金」
*「砂金とは?」
#「砂粒ほどある曖昧な話の中に、僅かながらの真実が潜んでいるという意味です。 偽情報を罰するのならば、いやいや無理な話です。あまりにも多すぎるから。ましてや私の作った CSS講座など誰も見ていない」
*「問題は偽情報を垂れ流したことにあるのではない。なぜ、正典があるのにそれを改ざんした内容を公表したのか、 というところにある」
#「正典を改ざんしたことが罪状だと言うんですか?」
*「CSS講座を名乗るのなら、正典の内容は遵守せねばならない。改ざんは陵辱にあたる」
#「少し勘違いをしていただけで、陵辱? ずいぶんケツの穴が小さい事を...」
*「貴様はケツの穴が大きいが故に抑制が利かず、糞便のごときクソ情報をダラダラと垂れ流した。情報汚染罪に相当する」
#「クソまみれの情報の中に手を突っ込んで、クソまみれで金粉を探し出すしかないのが現状です。 それほど役に立つ情報というものは少ない。今さら何を」
*「貴様の話は下品極まるが、要するにクソ情報を撒き散らした事を認めるわけだ?」
#「正典は何も作り出さない。あれ自体に生産性は無いじゃないですか」
*「正典に遵守して生産性のあるものを作ればいい」
#「いや、アレはもうただ、アラ探しの道具になっている。もうダメです。まともな使われ方はされていない」
*「そんなものは貴様の被害妄想にすぎない。それと、以前作ったものは破棄するのか?」
#「ああ破棄します。もう捨て去ります。それに、そこまで言われるのならあなたがたが強制排除してもいいくらいじゃないですか」
*「強制排除はできない」
#「そうでしょうね、あくまで任意だと」
*「そういう事」
#「私はあの駄文を葬る覚悟はできましたが、皆はそれをやらないでしょう。情報の浄化なんて無理な話ですよ」
*「とにかく貴様が捨てればいい」
#「今も昔も文豪になれる逸材は万人に一人。あのガリヴァ旅行記を書いたスウィフトでも旅行記が氾濫していると書いている。 信じられますか? 活版印刷の時代にですよ」
*「何が言いたい? 別に聞いてやるが」
#「情報の汚染は止められないし、拡大するのみだと言いたいわけです。どうにも止まらない」
*「狙い撃ちしても意味がないと? 貴様のようなしまりの無い駄文屋を」
#「駄文という名の文化ですよ。駄文化です、昨今はもう」
*「なぜ、溢れる? 駄文が」
#「結局、書きたいんですよ、みんな」
*「読みたいのか? 書きたいのか?」
#「誤植が多いのを見ると書きたいのでしょう。自らが書いた文を読み返したりしないから誤字にも気付かない」
*「一方通行だな...」
#「そう、一方通行。自己愛すら足りない」


第二次審問

*「我々としては啓蒙活動を行なうのが限界であり、強制排除はできないのが実状である。 中の上を名乗る君に少し意見を聞いてみたいがよろしいか?」
#「構いません」
*「日々、文書が溢れ続け相対的に正典の意義も失われてきた感がある。 もし、他に選択肢が無ければ誰だって正典を読むだろう?」
#「私らは試みているんです。大きな文字でも読め、小さな文字でも読める。 巻物の長さは内容量に反比例して短くしたいし、間抜けな隙間が出現しないように気を配らなければならない。 文書の流れを線から面へと展開する試みです」
*「質問とかけ離れた答えをする」
#「いや、ですから試みとは可能性を追求する行為であります。可能性を追求すれば正典を逸脱する可能性が増えるだけの事です」
*「正典を読むだけでは、求めるものを創造し得ないと?」
#「印字文書では文筆家と製図屋の仕事は区別されています。 電子文書では執筆・製図に加え電子書式構文の知識まで求められる。 これらは体系的に総論として身に付けなければならないのに、各論でしか語られないんです。 正典は電子書式構文の標準用法を定めているにすぎない。それだけを知っても、それだけでは何も生み出せないんです」
*「正典は電子書式構文を定義するものだ。要はその内容を遵守する気があるのか? 無いのか?」
#「私程度の知識でも文法審議官の検閲に耐えられるものは作れますよ。 しかし、文法審議官は書式構文を調べるだけで、画面構成を見ようとはしない。 あらゆる条件下で意図したとおりに表示される事がこちらの望みなのに、その点は考慮されないんですよ」
*「文法審議官は機械的に電子書式構文のアラ探しをするだけだ。 しかし、正典はあらゆる読解者がいる事を十分に考慮して書かれている。 正典に従って電子文書を作成すれば、あらゆる条件下で意図したとおりに表示される可能性は非常に高いものとなる」
#「所詮、人間は失敗する事でしか成長できないものです。 間違えたら間違えたで直していけばいいだけの話です」
*「正典の内容を真に理解すれば、間違いは犯さない」
#「それは、人間のやり方では無いんです。正典は英知のある複数の人間が長い年月をかけて熟成させたものです。 逆に言えばそんなものを簡単に理解できるはずが無い。概念や趣旨は理解できても完全な理解などは不可能に近いんです」
*「正しいものほど理解しがたいと?」
#「そうです、そう。正しいものほど容易には理解できない」
*「だから、偽情報が駄文に乗せられて流布されると?」
#「ある意味ではそうですが...。問題の本質はそうでは無いと言いたいわけです。 例えば、正典を無視した電子書式であったとしても、労力を惜しまずに作った独創性と知性に満ち溢れた文書であれば、 それは昨今の情報汚染に対抗するものです。秀でたところがある文書ならば、あるいは作者の姿勢が良いものであれば、 偽情報の範疇には入らない」
*「その上で正典遵守なら、なお素晴らしい」
#「それでは完璧主義すぎます」

*「...あなたが過去に作った CSS講座についてはどう思う?」
#「あれに関しては実際、問題が多すぎました。人にものを教える形式のものは作らぬほうが得策です。 まして、電子書式に関して言えば改修に次ぐ改修が繰り返されるのですから、それに合わせて講座の内容も変えねばなりません。 とても、一個人に扱える内容ではない」
*「CSS講座を名乗るのなら、正典の内容は遵守すべきだと?」
#「確かに、その通りです。いかに我流塾の類であったとしても講座形式の中に我流を盛り込むべきではないと思います。今は」
*「紙媒体、印字文書も含めて私塾の類が混乱を招いた。電子書式構文における混乱を」
#「それはある意味でそうですが...。最大の問題は Netscape協会と Microsoft協会が無秩序にやってくれた独自解釈にあります」
*「語れるのか、詳細に...」
#「はい、Microsoft協会に関してなら......」


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