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漢勝負 ファイナル - Eternal Earth of China-

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プロローグ
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二月のある日。翌月には暦の上での春を控えた冬の終わり。
身を切るような鋭利な寒風の間隙に時折ぬるい塊感のある風が吹き、それは気が付けば確実に長く、高くなっている日差しとともに、暦だけではなく、実のところ間もなく冬が終わろうとしていることを感じさせてくれる。

しかし、まだまだ篭城を決め込もうとする冬の大気と、南西から押し込まれる湿った大気のせめぎ合いが、しばしば関東に大雪をもたらす季節でもある。気持ちよくバイクに乗るにはまだ少し気の早い季節と思える。

それでも、寒さがだいぶ和らいだある週末、今年初めて出会った黄色くて小さな蝶 ―モンキチョウというのは他の蝶に先駆けて春一番に飛び回る― を眺めて啓蟄の近いことを思い、ならば蛙もぼちぼち目を覚ます頃だな・・・、などと独りチープな連想ゲームに悦に入ったガイは、久しぶりに奥多摩へとマイティフロッグを駆った。

この日は実際のところ、二月にして珍しい暖かさで、完全に冬装備では少し汗ばむこともあるくらいだ。
新青梅街道で青梅へ。いつもはそこから奥多摩へと続く一応の幹線である青梅街道を避け、杉林を縫う吉野街道で古里まで抜ける。だが、この時期はもしかしたら吉野梅郷の梅祭りでもやっているかな?そうだな、やっぱりもう春が近いからな、などと思い、混雑の可能性を避けて青梅街道で奥多摩を目指した。
目的地、というほどのものでもないが、奥多摩湖まで行こうと思っていた。山間を蛇行する道は、攻めるだなんだというには狭く車も多すぎるが、久しぶりのバイクを曲げる感覚を楽しむ。
奥多摩湖の公園(駐車場)に差し掛かったが、ここに来てもまだずいぶんと暖かい。これならば、と思い奥多摩周遊道路へと更に足を伸ばす。
開通当時は有料道路だったこの道には、今は無人の料金ゲートがある。奥多摩湖を渡る橋の上で、これ見よがしにフロントを浮かせてフル加速し、旧料金ゲートへと突入する。ゲートをくぐると関東有数の走りスポットとして有名なワインディングだ。

ガイは、正直なところこの場所はあまり好きではない。一部に見られる、道路に「トランポでバイクを持ってくる」ような行為はいかがなものか、という気がするし、端から見たら自分も同類かも知れないとは認識しつつ、また「走り屋」と「暴走族」の違いは当然理解しつつも、やはり二輪にしろ四輪にしろ、通常に往来のある公道の特定区間をエンドレスにピストン運動する集団はお世辞にもお品がいいとは言えない、と思っているからだった。
とは言え、この道がほどよいアールを持つ路面のよいカーブを有しているのも確かで、走って愉しいのも確かではあり、ぶつぶつ言いながらもたまに足を運んでいた。そもそもガイは少なくともある意味では、日頃から言行不一致なところがある男であった。

・・・が、あれ?ゲートをくぐったガイは、なぜか突然に道路が濡れていることに気づいた。さらに、なぜかこの道路はお洒落なことに、両端が白くトリムされているではないか。ああ、雪か・・・って冗談じゃねえ、こんな「溝なんて飾りです。偉い人にはそれがわからんのです」みたいなタイヤで雪の残った道路など走れるか。
緊急時にもオタクならでは表現を欠かさない思考で判断したガイは、急ぎ、しかしゆっくりと速度を落とし、ターンして、さっさと下山することにした。

その後に改めて当初の予定通り、奥多摩湖の公園で一休みする。たいしたことしてないのにえらく疲れたな・・・そうか、そもそもこんなにも体力がないってのも問題なんだな・・・。

湖畔の広い公園で丸木の机に突っ伏して半眼で煙草をふかしながらガイはそんなことを考えていた。半眼なのはスカしているからでも悟りが開けそうだからでもない。ただ寝不足で眠いだけだ。

本当に、二月とは思えない陽気だ。上着を脱いでいるのにこのまま昼寝ができそうに思えた。ガイは久しぶりに来た奥多摩の清冽な空気と静けさに心地よさを感じながらうとうとと、一週間後に予定されているある事に思いを巡らし、それから、一週間前のある出来事を反芻していた。

先週の土曜日も暖かかった。そう、それくらいから突然暖かくなったように思う。そして、その日はいわゆる「バレンタインデー」だった。ガイは、前日の夜、つまり13日の金曜日に、軽く残業をして飯を食いそびれたのでヤケクソ気味にソニー(かつては漢勝負に立ち会ったSDR乗りだった)とたまには晩飯でも食おうかと、『時間はあるか?』とメールを送ったのだった。そして返事は『なに?チョコくれんの?バン・アレン帯デーだし』という間違いなく去年も一昨年も聞いたネタで、ちょっとうんざりしつつ、「軽く残業」のつもりがいつのまにか日付が変わっていたことに気づき、結局、その夜は遅く寝て、腐ったネタメールしか来ない携帯は放置して翌日も昼過ぎまで寝ていたのだった。

そして、14日、ソニーの言うところの「バン・アレン帯の形成と生命の誕生に感謝する日」が終わる頃に部屋の片隅から携帯を拾い上げると、そこには何時の間にか別のメールが届いていた。バレンタインでもバン・アレン帯でも構わないが、室温が低いこの時期のチョコレートはパキっとしていて美味いな、やはりチョコは冬にこそ・・・などと思いつつ板チョコを(※自分で買った普通のチョコを)齧りながらメッセージを読む。意外、メールはジョニーからだった。チョコレートは少し苦かった。

「悪いが勝ち逃げさせてもらう」

そうとだけ短く書かれたメールだ。しかしガイは直感した。勝ち逃げだろうとなんだろうと、あの男が自ら「逃げる」という言葉を使うのは通常ではないことだ。とすると、遂に・・・そうか、ならば仕方ない。

寝過ぎか寝不足かわかならない倦怠感の抜けない頭ではあったが、ガイは自分の考えていた長期的な展望を捨て、間もなく決戦に臨まねばならないことを悟った。

続いてジョニーから送られて来た言葉は「今月が最後の塾になる」だった。それはつまり、ガイにとっては、準備が出来ていようがいまいが、とにかく漢勝負に挑む最後のチャンスは間もなくやって来てしまい、ガイの意思にもジョニーの意思にも関係なく、それで最後だという意味だった。

来月にはジョニーは、日本を発つ。

外では夕方から風が強くなっていた。日暮れとともに冷たい大気が押し返してきたのか、暗い空はゴロゴロと低い唸り声を上げていた。




三寒四温という言葉にある通り、春先の天気は周期的に変わる。週なかばに荒れかけた天候は、この週末には再び2月に相応しくないほどの穏やかさを取り戻している。最後の勝負を宣告されたガイは、幾ばくかの助けにはなろうと、この奥多摩に体慣らしに来たのだった。

今日は春の暖かさだとはいえ、まだ空は冬らしい清々しい蒼さで透き通っている。頭上の透明感と裏腹に、ガイの意識は霞がかかったままだ。決して寝不足のためだけではないことをガイは認識している。眠気はむしろ、その奥に澱む捉えどころのない不満を誤魔化すために要求されているようにさえ思える。

そう、不満がある。こっちにだって計画があったんだ、それを突然に。いっそ次の機会が三年後ならいい、なまじ半端にチャンスを残しやがって。ハズレしかないクジみたいなもんじゃねえか。そんな不満だ。
だが、その一方で、これまでに何度となくあったチャンスでことごとく勝てなかった、その自分の不甲斐なさも十分に認識していて、それこそがもっとも大きな不満なのだ。

しかし、そうは言っても、一矢報いる機会を与えられながら矢を番えることさえ出来ないほどには、ガイの漢は萎えていない。

とにかくやれることをやってみるさ。勇んで捨て鉢になったわけでなく、諦めて勝負を捨てるでもなく、ただ文字通りの意味でそう決意して、身を起こす。
日が傾き気温が下がりはじめた奥多摩の山々に、マイティフロッグが小さく唸る。冬眠から醒めた蛙は、のろのろと街道へと這い出す。
しかし、もはや寝惚けている時間はない。

ガイは右手を引き絞り、猛然とマイティフロッグを加速させる。七日後の、わずかな可能性に追いすがるように。



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本編
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・・・ええと、そして猛然と加速して猛然とすり抜けて、信号で待っていたら趣味の悪い電飾の白いバイクに、青い全身タイツみたいな服の変態みたいな人に、免許がどうとか法律がどうとか説教されてしまいましたよ。

まあ、一応説教だけでしたけどね。


さて。
今回、やんどころない事情により、漢勝負はファイナルを迎えることとなったが、正直、俺には勝てる自信がない。

弱気とか、そういう問題じゃない。気合だけでなんとかなるならとっくにどうにかしている。それが出来ないという事実を無視して吼えても仕方がないじゃないか。
もちろん、相変わらず俺は、何度か練習すれば今度は勝てる、とは思っている。オフシーズンの間に反省し、決定的な自分の問題にも気づいたし。だが、何度か練習すれば、だ。今月イキナリじゃ、絶対に無理とは言わないが、まず無理だ。

正直、この漢勝負の終わる時というのは、俺が勝つか時か諦める時、その二つに一つしかないと思い込んでいた。まさか、向こうから期限を切られるとは(ヤツもヤツで不本意だろうが)・・・。

漢勝負では仇敵であるジョニーだが、同時に彼はNSRの敏腕特派員でもある(「副業」は国際的音響メーカー勤務らしい)。そして彼は、実は海外留学経験もある。そんなわけで、まあ俺も、そしてもちろんジョニー自身もそれなりに予想はしていたのだが、遂に長期海外勤務の辞令が出たというわけだ。

いくら魂の戦い漢勝負とは言え、給料あっての物種だ。魂だけでは生きていかれないからな、世知辛いが仕方ない。それに、正直言ってこの経費削減のご時世に海外のプロジェクトに抜擢される、そういうチャンスを得るというのは羨ましいものだ。勝ち逃げを目論むヤツを非難することはできない。


と、いうことで。
今回が、正真正銘のファイナルです。本当はイヤなのです。なぜって?ジョニーと別れることはハナクソほども寂しくはありません。恋人じゃないんだから気持ちワリイ。ただ、まだ勝てる自信がない、しかしもう少し時間があれば自信はある、そういう半端がイヤなのです。そりゃ、チャンスはいつでもあると思っていた俺は甘かったかも知れないけどさ。知るかそんなこと。

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それにしても、こんな展開になるとは。
去年の後半、マイティフロッグに慣れてからも、結局のところ飛躍的なタイムアップはなくジョニーとの差を埋めることはできなかった。
秋のコソ錬で一度だけ記録した29.2秒は、その後は二度と出ていない。タイムは完全に29.4秒で落ち着いてしまった。
正直、閉塞感を感じていた。何か、決定的なものをどこかに忘れてしまっているのではないか?
そしてその疑問は迷いとなり、昨年の遅くには結局また、「足ってどうやってステップに載せてたっけ?」というような些細なことさえわからなくなり、不満足な状態で終わってしまった。

しかし、俺は非常に寒がりなので冬の間は走りたくない。
まあ、短く言うと「冷え性」ってことになるのかも知れないけど。

さて、そんなわけで自分の伸び悩みに不満はあるが冬の間はオフシーズンと割り切って修行を休んでいた。
しかし、この期間に密かに期待するものもあった。どうにも自分のライディング、考え方が、何かよくない状態で凝り固まっているようだから、小休止で仕切り直しができると思ったのだ。

そして、それはきっと悪くない判断だった。
暦の上で冬は終わりに近づき、修行の再開を意識し始めた俺は、ある日、ふと自分に足りなかったものに気がついたのだ。それは実に単純なものだ。

バンク角。

あたりまえじゃないか。バイクは寝かして曲がるものだ。足の載せ方とか肩の入れ方とか、過重感覚とかは、どうでもいい。いや、どうでもはよくないが、まずは必要なだけバンクさせることが前提ではないか?
寝かさないことには、一定以上の速度でバイクが旋回することなどあり得ないのだ。だから俺の旋回は遅い。突っ込みと立ち上がりをどんなに頑張っても、コーナー毎に止まりそうな速度まで減速していたらタイムなどあがる筈もない、ジョニーに勝てる筈もない。

なぜ今まで気づかなかったのだろう?・・・いや、本当は、薄々はわかっていたのだ。コースアウトした時についた泥が、タイヤの端の部分だけいつまでも残っていたことに。ステップの先の「玉」に傷ひとつないことに。ニースライダーの削れる位置が不自然なことに。何時の間にか左コーナーで膝を擦ることが無くなっていたことに。

すべては、マシンが十分に寝ていないことを示唆していたではないか。その証拠を溜息混じりに見つめていたではないか。

ただ、俺は認めたくなかったのだ。「寝かすのが怖い」などと弱気な感情を。

確かに、以前、SVで梨塾に参加し始めた頃の俺は塾長にも「角度は十分」と言われていた。そう、SVのステップの先の「玉」は削れて半球になっていた。その前に乗っていたR1-Zでは、トミンこそ走ったことはないが、峠ではいつもステップを軸にして転倒しないかが心配だった。実際、後輪が浮きかけたこともしばしばだった。

そして、マイティフロッグに乗り換えて初めてトミンを訪れたあの日も、「寝かせ過ぎ」だったのだ。
だが、それ以降の俺はハイサイドを恐れてバイクを立てたまま旋回することに専念するようになった。

人の話や本の記述から、都合のいい部分だけを拾い集めて、「バイクは寝かさなくても曲がる」そうすればハイサイドは食らわない、それがスマートな乗り方だと考えていた。

いかにも、一面ではそれは正しい。
しかし、ものには程度がある。レベル相応の課題というものがある。グリップのいいサーキットで、ハイグリップタイヤを入れていながら、ノーマルマシンの許容するバンク角をまったく使い切ることない状態で、リヤステアもセルフステアもあったものではない。

簡単に言えばまだあの転倒がトラウマになってビビっているのだ。
強がりと思われるかも知れないが、転倒が怖いわけではない。事実、SVでも何度も転倒したが、その時は次のラップではもう問題なく寝かせていた。もし(行ったことないが)もてぎなどの高速コーナーで飛べば俺も純粋にビビるだろうが、都民の低速コーナーではいまのところそこまでの肉体的恐怖は感じない。
しかし、今乗っているマイティフロッグは・・・脆い。何度コケてもウィンカー割れ以上の損害をほとんど受けなかったSVに比べ、マイティフロッグ(6R)は明らかに脆い。ひとコケ40万円は脆すぎる。
そう、俺はなによりも転んだ後の修理代が怖くて仕方ない・・・。

そういう意味では、もしかしてSVのままで腕を磨いていたら、あのバンク角を保ったままでいまのラインを走れていたら・・・などと考えてしまうこともある。だが、それはまさに逃げ口上、言い訳だ。
転倒で背負う経済リスクはわかっていて高性能マシンに乗り換えたのだから、自ら心に築いてしまったこの壁は、乗り越えなければならない。

しかし、実際のところはそんなネガティブな感情にばかり囚われていたわけでもなく、今年、シーズン前の俺の展望は明るかった。

昨年は、まさに第二次大戦のさなか東南アジアの夜闇のジャングルでヌリカベに行く手を阻まれた水木しげるのような状態(※自分が前に進めないのが何故なのか、何にひっかかっているのかがわからない状態)だった。
だが、超えるべき壁をはっきりと認識した今、まず壁を登ることができる。壁の前で右往左往する鶏だった去年とは違う、そして登りきれば、その時はヤツに勝てる確信がある。

寝かさない走りは、なまじ熱心に励んだ去年の修行で染み付いているだろうから一朝一夕では矯正できないかも知れない。だが、遅くとも初夏までには。

マイティフロッグのカラーリングが自然の風景に溶け込む唯一の季節、新緑の5月にと、俺は目標を定めていた。

3月で29秒フラット、4月には28秒台をコンスタントに出せれば。そんな計画を思い描いて、なかなかこれは実現への期待値は高いぞ、なんて妄想をしていたのだ。

昨年末に腰を痛めてから、自分の体力について見直し、基礎体力の向上を図るべくちょっとトレーニングに手をつけてみたりもした。

以前は、ジョニーや他の人が体力作りに精を出すのを見て、「GPレーサーじゃあるまいし、力より技術だろ」と心の中で笑っていたのだが、落ち着いて考えてみれば、梨塾の一日を全力で走り切れない(最後の方は足腰に力が入らない)自分こそまず人並みの体力をつけなくてはいけないのではないか、と思い直したところもあったからだ。

二ヶ月もあればそれなりの成果は出るだろう。

なんて思ってたのに、この急展開。

1週間じゃ筋肉はつかねえよ。むしろ筋肉痛で走れなくなりそうだ。

俺は現実派だ。漫画のように数日の特訓で肉体改造はできないことを知っている。
そこで、俺は「いまある力を無駄なく使おう」作戦を選択することにした。


こんな方法しか思いつかないのは無念だが、ピンチの時こそジタバタとしても埒はあかない。
ヤケクソの特攻の先に栄誉などあろう筈もないしな。

自分にはジョニーにくらい勝てるポテンシャルはあると、その点は一度だって疑ったことはない。ただ今は、どこかチューニングが狂っているんだと思う。それも随分な狂いようだ。ギターでCを弾いたらF#m7が鳴った、というくらいに調子外れだ。外れているくせに、ハズレ模範パターンにはピタっと嵌っているからたちが悪い。
とは言え、ジョニーとて常に完全に実力を発揮できるわけはない。棚ぼたでも何でもチャンスはきっとある筈だ。その時にチャンスをモノにするするためには、例え勝算が薄くても諦めないことが肝要だ。

具体的に言えば、いかに安定が売り物のジョニーだって最後となれば思う所もあるだろう。緊張でペースを乱すかも知れないし、コースアウトするかも知れない。
その時に、俺がいっしょになってコースアウトしていてはダメだ。俺こそ、乱れず、へばることなく、隙を逃さないように喰らいつかなくていけない。

そんな相手のミスに期待してしか勝利を望めないのは悔しいが、しかし俺は「やるだけやった」などと言う自己満足より勝利が欲しいのだ。

ジョニーのマシンの空気をこっそり半分くらい抜いておくとか、出足でわざとぶつけるとか、そういう卑劣な手段はとらない(それでは漢ではないし)。しかし、もしもヤツが自滅するならそれもアリだ。

決戦前日。
オフシーズンになり外してあったP-LAPを取り付け、ゆっくりと休んだ。そして、深酒をせずに早く寝た。



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そして、最後の決戦当日。
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ちょうど朝6時。
いつもはもっと遅い時間に、朦朧としながらベッドを這い出るのだが、今日は久しぶりにすっきりと気持ちよい目覚めだ。

久しぶりの参加で開始時間を忘れてしまったので、前夜に梨本塾のHPで時間を確認しようとしたが、リニューアル直後でタイムテーブルが無い状態になってしまっていた。でも確か9時半からだったと思うから、7時半に家を出れば十分だろう。

身支度をしてから、ブーツやレーシンググローブをクローゼットから引っ張り出す。去年の最後の走行でこびり付いた泥がイヤな感じだ。
軽く朝食をとり、体を解してから、アタックスーツを着込む。さらに上から防寒用のジャケットを羽織り、外へ出た。雲は多いが、雨は降りそうに無い。数日前には降水確率50%となっていた天気は、上手いこと外れてくれたようだ。重要な時はいつも雨、という自分のネガなジンクスが破れた気がして、気分がよくなってきた。うおし。

ノーマルマフラーではあるが、お隣には赤ん坊もいることだし、朝から暖気は遠慮して、そろりと走り出す。さて、いよいよだ。
数分して水温が上がってから、アクセル開度を大きくすると、まだ車も人も少ない郊外の朝に、6Rの「ノーマルにしてはやけにイイ音」を残して走る。

・・・実に爽快。なんだが、やはり、ツナギを着て乗るのは、実はあまり好きじゃないなあ。見た目にも気持ち的にも気合は入るのだが、やはりいろんなところが多少、動かしにくくて窮屈だ。まあ、慣れの問題と、ツルシだからということなんだろうが・・・。


大泉から三郷までの外環道も、そこから土浦北までの常磐道も空いていた。少し寒かったのと、ガソリンが少なくなっていたので、途中で守谷のサービスエリアに寄り、ガスを入れ、缶コーヒーを飲む。しかし体の芯が冷えていてどうも背筋が強張るので、サービスエリアの裏手をちょっと走り回って体温を上げる。ツナギでグルグルと駆け回る姿はアホと思われるかな、と少し心配したが、別に誰も気にしていないようだった。

軽く息が切れる程度に動き回って体温が回復したところで、もう一走り、一路トミンへと俺は向かった。
国道6号から右折して、すえた家畜臭のする農道を走り抜ける頃には、気分も高揚してきて、なんだかその気になっていた。



守谷での休憩が長過ぎたか、少し遅い到着になってしまったようだ。すでに他の参加者はほぼ揃っているようだった。一望して、トランポが増えたなあ、と思う。久しぶりに会う人達の中には、この「漢勝負シリーズ」を読んでいてくれる方もあり、また、すでに最終戦ということを知っている人もあるので、なにやら期待に満ちた表情で言葉をかけてくれたりする。・・・有難いやら、なんやら・・・。俺が脚本家やドラマの監督であれば、みんなの期待に応える、いや期待以上のストーリーを演出してさしあげたいものだが、漢勝負はドラマのためのドラマではない。
俺は、自分の仕事をするのみだ。

そして、ジョニー。最期の参戦となるジョニーは、豪華にもトランポで乗り込んでいた。おおう・・なんかすっかりそれっぽいですよ・・・ただし「わ」ナンバーだけどな。

実は、トランポ(レンタカー)で来たのは、ただ最後にカッコつけたかった「だけ」ではないらしい。実はジョニーには妻子があるのだが、その妻が最近になって免許を取り、よりにもよってドカ、いやドゥカッティを買ったというのだ。が、ジョニーとともに日本を去ることになった為、せっかくの新車ともあっという間にオサラバだ。そこで、(たぶん)急遽、計画を前倒しして、おぼつかない運転ながら参戦となったようだ。・・・ジョニーはイヤなヤツだけど、意外といい旦那だな。

しかしだ。だからと言って、こっちから素敵な思い出をプレゼントする気はない。俺としては、とにかく、この最後ぐらいは勝ちたい、それだけだ。


エントリーリストを貰うと、なんとジョニーはAのゼッケン「2」、俺が「3」。去年から「もてロー」に出てる古参のR1000の人がいて、その人が「1」だが、他のトップグループの常連が不参加の為だ。
もしや、最後の漢勝負だからと?・・・そういぶかしんだが、そうとばかり言うわけでもないのだろうか、「意地悪なのび太」と呼ばれるそこそこ速いR750がなぜかホーネットでの参戦なのは、「バイク盗まれていまバラバラ」とのことだった。

とにかく。計らいであれ、偶然であれ、いいポジションにいるんだから、余計に勝ちを狙いたい。しかし、力んではいけない。力みは0.5sec/LAP(推定)のロスを生む。平常心、平常心。

朝イチの走行が始まる。いつもは時間いっぱい走るべく、ゴーサインが出たらすぐにコースが出ていたが、今日は、少し休みを入れながら走る。まあ、周囲から見れば、勝負を投げてダレているようにも見えたかも知れない。
しかし、それは違う。俺は、まだ真面目に勝負にこだわっている。だからこそ、体力を温存するのだ。今日の最後に十分に集中して走れるように。

さて、そうこうしているうちに、誰も買わない銅色のR1000が俺の目の前に現れた。ジョニーだ。
ジョニーのテールを見た瞬間に脳内に何か分泌されたような高揚が起こり、必死で追走をする。「勝負は模擬レース」と思っていても、こうなると黙って先に行かせるワケにはいかない。
差が開く、と思うと突っ込みが深くなって膨らみ、さらに遅れる。冷静に冷静に、と思い、丁寧な走りを心掛ける。少しだけ差が詰まる。どうしても俺が苦手な最終コーナーの立ち上がりでまた差がぐっと開く。負けじとアクセルを開けたくなるが、前走者と同じ時間的タイミング(つまり位置的なタイミングでは早く)でアクセルを捻ると何が起こるかは、さすがに学習済みだ。立ち上がりで開いた差は、次の突っ込みで埋まるものだと言い聞かせて、喰らい付く。その差は伸び縮みしているが、徐々に開いているか?クソ、ダメか?いや、まだまだ!まだ千切られてはいない。まだ勝負のできる差だ!
そう思いながら追走し、一方で、いまのジョニーはいったいどれほどの力で走っているだろうか?という考えも頭を過ぎる。流している?俺を待っている?くそう、舐めやがって!そういう怒りがまた走りを雑にしそうになるので、ええい、知ったことか、今は俺が後ろにいるのは仕方のない事実だ、ヤツが遊んでても本気でもいい、とにかく抜くんだと開き直ってまた追いかける。

と、3コーナーの右ヘアピンで、いつになく外側にラインをとったかに見えたジョニーが、そのままコース外へと飛び出していった。

その横を走り抜けながら、俺は心の中で快哉を叫んだ。うおっし!これでいい!やはり、ジョニーにも穏やかならざる感情があるのだろう。ヤツは勝っている身とはいえ、最後だけ負ければ悔しさは果てしない。それに、ジョニーの梨本塾そのものへの思い入れは、俺より遥かに強いはず。来月から日本を去る当事者でもある。その複雑な感情が、「ステディ・ジョニー」の異名をとる安定した走りを乱しているようだ。そこにつけいる隙はある。せこい?知るかそんなこと!何かの競技や勝負をすれば、何らかのプレッシャーは必ず存在するんだ。それも含めての「結果」だ!
この日、妻のドゥカッティ(ピカピカの新車、日本を去る前に売却予定)は四度以上にわたる転倒で見る見る査定を下げて行き、強がっても本人以上に鎮痛な面持ちを垣間見せたジョニーは、その後も崖を上る派手なコースアウトを見せた(ただし、ジョニーはどんなに崖を上っても転倒はしない。それは流石と言うよりない)。

会話では平静を装っても、走りは正直だ。ヤツの走りは確実に荒れている。いや、動揺していると言うべきか。俺は勝機を見出した。

しかし、その一方で、俺のタイムも伸びない。実は、この日はP-LAPは作動させなかった。だから正確なタイムはわからないが、明らかに大したタイムは出ていない。
一本目の走行の後、塾長とカイさんから、「今日は力が抜けてていい感じじゃん」と言われたものの、そこから調子を上げていけない。上げようとすると力が入ってしまう。P-LAPでタイムを見ると、雑念が入って余計に力が入るので、この日は電源を入れないことにした。

さて、午後に入り、いよいよタイムアタックが近づいてくる。今日はタイム狙いじゃない、と割り切っても、ここでいいグリッドに付けないと、勝負は厳しい。今日のメンバーでは、ジョニーは必ずフロントローに入るだろう。

しかし、タイムは伸びておらず、他の常連にも負けている。これは不味い。今日のテーマは平常心とは言え、さすがに俺も焦りを感じてきた。

さて、実は俺には「秘策」があった。これは、シーズンオフの間に得た結論で、これを実行すれば確実にジョニーを倒せるであろう、凄い作戦だ。だが、作戦を立てるのと実行するのは別だ。
この作戦の実行には、それなりの困難があると思われたので、その準備を春の間にするつもりだったのだ。果たして、今日だけでやおら実行可能かどうか・・・。

そして午後、俺の走りを外から眺めていたカイさん(俺がベストタイムを出した時にひっぱってくれた人。速い。)が、「ガイの走りに足りないものがわかった」と教えてくれた。
それは「角度」、この三文字だと言う。或いは、「バンク」「寝かす」「倒す」どの三文字でもいいが、これが足りない。

ガビン。それこそ、まさに「秘策」であった。
俺の考えていた秘策とは実に単純、先に述べた通り「寝かす」だ。これが足りない。まずクリアすべきはこれなのだ。細かい技術はその後だ。だが、これは言うのは簡単、言葉は単純だが、実行は実に難しい。

で、やはり実行は出来ていないか。そうさ、それは自分でも感じていた。
カイさん曰く、「膝がつっかえ棒になっている」。なるほど、とは思ったし、なんとかしようとは思ったが、その場で修正できるほど俺は器用ではなかったようだ。

タイムアタックでは結局、7番手。30秒さえ切っていなかった。
ジョニーは2番手。列で言えば、ヤツが1列、俺は3列目。

まずい・・・。

このまま、このまま終わってしまうのか。

いやまだだ。
まだ諦めるのは早い。
体力温存の方針は正解だった。そんな悠長なことを言っているからタイムアタックでも調子が上がりきらないままなんじゃないか、とも少し考えたが、そんなこと言ってももう遅い。とにかく、今は、いつものこの時間よりははるかに元気だ。

本日のベストタイムは本番で出せばいい。後は、スタートだ。なんとしてもスタートで前に出て、ジョニーを抜くまで出来なくとも、直後にはつけるのだ。そしてプレッシャーを与えていれば、普段ならほとんど期待できないが、今日ばかりはヤツもミスるかも知れない。運任せの消極的な作戦だ。しかし、もしも俺に運があるなら、それをモノにするためにやることはやらねばならない。

幸い、俺はスタートが得意だ。きっと、街中を走っていても、発進は常に全力でという習慣が功を奏しているのだろう。あわよくば、スタートで前に行きたい。だが、中一列を挟んでそれはまず無理。しかし、一列を抜いて後ろにつけるまでなら、不可能とも思えない。




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決 戦
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いよいよ模擬レース。
ここが、このスタートが最後の勝負どころだ。団子を避けるには外から被せるのが賢明だろう、ここで少しでも前へ・・・と気が付いた瞬間。

日章旗は今まさに振り下ろされようとしていた。

「!!」

しまった!!クソ、なんてことだ。最後の勝負だという緊張に呑まれたのは、結局は俺か!呆けているマイティフロッグに、慌ててガスをくれてクラッチを繋ぐ、と、フロントが浮き上がるのを感じる。
こういう事態に備えて、日頃からフロントを上げる練習もしている(本当は格好つけたいだけとも)はずなののだが、慌てて発進したのでまったく上手く対処できずに失速する。とは言え、次の瞬間にはフル加速、ロスはわずか0.5秒もあるかどうかだろう。しかし、この状況では、そのわずかが痛い。痛過ぎる。

それでも同列に対して出遅れるほどではなかったが、前の列に鼻先を追いつかせるのがやっとだ。しかも、よりにもよってそこにいるのはホーネット250。「意地悪なのび太」。ちきしょう、こいつは性質が悪いぞ・・・。なにせ、本来はR750乗りののび太は、腕は確実に俺より(そしてその前を走る数台より)上だ、だがマシン性能を考えるとこれからこいつは前から引き離されていくだろう、こいつに引っかかってはまずい。

トミンでもっとも大きなRの1コーナーを抜け、軽い左に切り返す2コーナーまでにのび太を抜かなければならない、俺はそう決めた。団子でラインが乱れているうちにやってしまわねば、腕に勝る(つまり俺よりいいラインを走る)のび太を抜くのは困難になる。
右の1コーナーを外側からかぶせていたから、そのまま左のイン側に入ろうと突っ込む。しかし、のび太のホーネットは当然と言えば当然、構わず左に寄せてくる。シット!完全に行く手を阻まれて、マイティフロッグはグリップ感のない粘土上にコースアウトする。
いつだかのようにぬかるんではいないから、滑って転倒したりはしない。だが、コースを出た瞬間に一瞬動力を切った俺は確実に後退し、結局ホーネットの後ろにつける羽目になってしまった。ジーザス・・!!

さあ、まずいぞ、これはまずい。だが焦るな、まだジョニーがそんなに遠くに行ってしまったわけではない。ヤツはトップを快走している(激速の1台はハンデで後ろからスタートしているため)が、その後ろ数台が連なっているところを見ると、ベストラップで走っているというわけでもなさそうだ。
よし、まずはとにかくこののび太を抜くことだ。

わずか10分ほどの模擬レース。スタートの失敗を悔やんでいる暇などない。俺はとにかく目の前ののび太に集中した。しかし・・・やはり速い。クオーターのくせに、250のくせに、ちきしょう。加速なら断然こっちの方がいい。当たり前だ、パワーが違う。しかし、のび太のコーナリングスピードは俺より断然速い。その差を取り戻してさらに追い越すには、トミンの100mストレートは短すぎる。
うっかりすると、抜くどこか離されそうになったが、離されまいと走るうちに、調子が良くなってきた。体力温存作戦は功を奏し、まだ腰も痛くないし頭もハッキリしている。コーナーに突っ込む度に前輪と後輪をくっつけるぐらいに迫るように走る。のび太はむしろペースが落ちたか?性能で劣るマシンで気合走りだから疲れて来たんだろうか?まずい、半端にペースが落ちたら余計に前と差が開く。と、4コーナーの左を立ち上がったあたりで、おもむろにホーネットが失速した。疲労?トラブル?なんだかわからないがとにかくパスだ。後で聞いたところでは、シフト操作をミスったらしい。大型だと1速と2速しか使わないトミンでも、250では忙しいだろうから、それに助けられたということか?
なんにせよ、やっと厄介払いができたが、いったい後何ラップぐらい残っているんだろう?少なくとも半分は行ってしまった気がする。前の集団ともちょっと差が開いてしまっている。

傍から見れば、それに自分で後から考えても、この状況は絶望的だ。だが、鬱陶しいホーネットがいなくなって視界の開けた俺は、「よし次!」としか考えなかった。コーナーの先を行くジョニーを確認する。差がどのくらいあるだろう?よくわからないが、1週ではないのは確かだ。とにかく、アレを抜かねば。
ベストタイムの差、今日の練習での差、残りの周回数を距離で割ったら?というような、大脳新皮質が提起するさまざまな疑念は、大脳辺縁系で拒否してとにかく全力で走る。
くそ、このレースが後100周くらいあればいいのに!そう思った瞬間に、チェッカーが掲げられ、ジョニーは2位でゴールした。
結局、ジョニーはいつもの如く安定した走りを見せ、ミスらしいミスは犯さなかったようだ。
そして、俺は追いつくことすら出来ず、最後の漢勝負は終わった。

煮え切らない想いを抱えて、俺はコースを出た。


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エピローグ
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傾いた冬の太陽はどこか終幕の寂寥感をもって空気を染める。
季節外れの陽気は徐々にその勢いを失い、二月本来の冷たい大気が辺りを覆う。

ささやかな表彰式で、メンバーに恵まれた面もあるとは言えど、遂にAクラス入賞を果たしたジョニーは満足気に、しかし「三年後には帰ってくる」と皆に約束していた。わざとらしくはにかみながら登場したが、大袈裟な演技は実際に感情を誤魔化すためにも見えた。


ガイは、いったい何を考えているだろうか?敗北感に打ちのめされているのだろうか、それとも腐れ縁のジョニーの立派な成績と新たな門出を祝福しているのだろうか?

その答えは、どちらとも言い難いようだ。
複雑な気持ち、という単純な表現も少し違う。
そもそも、漢勝負の歴史には、過去にも長期のブレイクがあった。そう、いわば今回のブレイクの原因となるジョニーの中国留学の頃だ。もともと人付き合いの淡白なところがあるガイは、ジョニーが多摩地区に住んでいようと足立に住んでいようと、或いは中国に住んでいようと、どのみち大した差はないと考える傾向があるようだ。どのみち、毎日会いたいツラではない。たまに怪しげな煙草(当時は珍しかった中南海)を持ってきたり、たまに問題を抱えてどこかに消えたり現れたり、おいしそうな話を持って来たり(そしてそれはしばしばおいしくない)、まあそんなヤツだ。
実際のところ友達が少なく、またそれを自ら良しとしているところのあるガイが、長い付き合いになるジョニーをことさらに特別視しているところがあるならば、それは、「バイクに乗って会った時」には負けたくない相手だという点だろう。

今日、また負けたのは悔しい。だが、次は負けねえ。ガイの関心事は単純にそういうことで、それがいつ、どこでだかはさほど問題ではないのかも知れない。「次」がなるべく早いことは願いつつ、間があれば自分もやりやすいという打算をできるくらいには彼もオトナだ。

表彰の後、塾長の粋な計らいで漢勝負の決着が宣言された。

ガイは、塾長にコメントを促されて今更ながら、漢勝負が、まさに10年に及んでいたことを知った。確かに、始まりは1995年の春だ。大学2年になってから遅れて入ったバイクサークルで、ガイは人生で初めてのマスツーリングに参加した。朝の集合で遅刻する者が多く、苛つく面々。これだから集団は嫌いだ、とガイも思っていたところに最後の一人がXJR400をスキッドさせながらコンビニの駐車場に突入させてきた。「こいつには走りでは負けねえ」。半端なテクを見せびらかし、悪びれもしないその態度が気に入らず、ガイは胸のうちで舌打ちして呟いた。それがジョニーだ。
そして2004年の冬がまさに終わろうとしている今、計らずも、それはまさに10年という区切りの年でもあった。
が、そこに思い至っても、「10年が区切りなのは10進法の場合だけだよね」が口癖のガイは、結構長いな、程度の感慨以上には感じ入るものがあるのかないのか。

ガイは、彼が自分の成果に満足していない時に特徴的な口元を引きつらせたような喋り方で、しかし素直に認めた。「確かに、ジョニーは俺にはない何かを持っていた。ステディジョニーは速かった、俺は負けたよ」そう言いながらも「三年後には勝つ」という一言も忘れないガイを人は往生際が悪いと言うかも知れない。その言葉は強がりかも知れないし、自己暗示かも知れない、しかし彼はどうしても敗北に「今回は」という修飾をしたいらしい。

続いて、促されてジョニーが参加者の前に進み出る。・・・なぜか、サングラスに葉巻を咥えて。強がっても情には脆いところもあるこの漢は、最初の2周は泣いていた、と語った。あながち冗談ではないかも知れない。彼の梨塾への思い入れはガイより遥かに強い。

そしてジョニーはガイに握手を求めて歩み寄る。ガイは訝しげだ。ジョニーがそういった奇麗な終わりを好きな性格ではないと知っているからだった。
そして案の定、交わされたのは握手ではなく蹴りの交換だったが、ガイはそれをむしろ歓迎しているようだった。そうだ、こんなところで奇麗に大団円にされてはかなわない。

漢勝負にはポイントも制限時間もない。レフェリーもルールもない。それは、当事者の偽らざる主観においての闘いだからだ。だからこそ、第三者には価値のないものと映ることもあろう。しかし、闘っているのが漢であれば…それはきっと共感を呼び得るものとなる。
そして、このような漢勝負の性格は言い換えれば、例え相手がどこへ去ろうと、彼が終わったと思わない限り彼の勝負は終わらないということを意味している。

そして、周囲がどう捉えようと、ガイはまだジョニーとの漢勝負の終焉を認めていない。



この原稿は、勝負が行われた2月末にすぐ書いたのだが、それから今(10月)にアップロードするまで、実に半年以上も寝かせてしまった。いい感じに熟成し、発酵し、饐えてそろそろ食えないところだ。正直、気が抜けてしまっていたというのがある。
ま、けどボチボチともう少し続けることにしました。ジョニーとの勝負はこのサイトの目玉ではあるけど、本来的に「漢勝負を語る会」ではなく「ZX6Rを語る会」なのだし。(TOPへ)