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蛙乗修行日記 -again and again-

戦士、再び

9月の半ばの祝日。
とある場所で俺は、コーヒーを飲みながら珍遊記を読みふけっていた。ふふふ、やはり画太郎先生はいつ見ても強烈だぜ。
…しかし漫画喫茶ではない。その場所はバイク屋だ。

俺は遂に決心し、初夏に入れたばかりのミシュラン・Pilot Powerを捨て(実際にはもったいないからベランダに保管しているぞ)、新しいタイヤ…メッツラー・レンスポルトを再び装着することにした。
最初っからこうしときゃ良かった。金がないのに新製品のモニターを自腹で行う必要などなかったんだ。そして、腕前がイマイチだからこそ、転けて無駄金を使えないからこそ、タイムを削るならばタイヤはドライの絶対性能で選ぶべきだったのだ。
これでまた5万が予定外に飛んだので、数ヶ月前から非常に欲しい中野レプリカのヘルメットはまたお預けだ。緑に目玉が蛙みたいでプリティーなのに。

さて、珍遊記も3巻まで読み進んだ頃、作業が終了した。
ガレージに佇むマイティフロッグの足下は、果てしなくソリッドなパターンを持つ…というかリヤの両サイド5センチほどには溝がまったくない…漢らしさ溢れるタイヤが装着されていた。行ける。このタイヤならば俺の期待を裏切ることはない。かつて初めてレンスポルトを装着して走った時の安心感、信頼感が蘇る。まさにこの時の俺の心境は「戻って来た!黄泉の国から戦士達が帰って来た!」と叫んだ乙事主に通じるものがあったろう。
もはやSVに乗っていた頃よりも遅いタイムしか出せなくなり無力感に打ちのめされた俺の目の前に、萎びていたマイティフロッグはいま再び寒天質の輝きを放ち始めたように感じたのだ。

ここのところの不調には多分にメンタル面の影響もあるかも知れない。いくらPilot Powerでもそこまでタイムが落ちるとは考えにくいからだ。しかし、もとよりフィジカルに期待などできない俺の肉体であるからして、メンタルは重要なのだ。そこを打開するのがこの象印のタイヤなのだ。

ともあれ、これでマイティフロッグは昨日までより、少なくともトミンで1秒は早くなった。これは暗示ではなくて歴史が語る事実である。

漢勝負、再び?

ところで、9月に俺が再びトミンを訪れるようになったのと相前後して、実はあの漢から連絡があった。

あの漢とは、もちろん上海の宿敵ジョニーのことだ。なんと、連休を利用して9月に日本に一時帰国した際に、梨塾に参加するというのだ。とはいえ、乗機ミレニアムファルコンは上海渡航前に売却してしまっているので、弟のバイクであるDucati M400(こんな名前だったっけ?ネイキッドのヤツ)での参加だそうだ。
ヤツは中型でトミンを走るのは初めてだろう。Vツインエンジン自体も初めてだ。しかもバイクには長いこと跨がってすらいないはず。
いくら俺が調子が悪くても、これは最大の勝機だ。が。

正直、俺はそんなに気乗りしなかった。さすがにこの条件なら負ける気はしないが、なんかこんな条件での勝負をこれから当分の間の結果とするのは抵抗があった。しかし、まあ、そう変なこだわりを持つのも良くない。ともあれ実際に勝てばきっと嬉しいし。もし負けたらさすがに泣くかも知れないけど。まあ、きっと勝てるだろう。
そう思い直して、9月の梨塾に俺も申し込みをしてあった。
先週のトミンで転倒したR6も来るだろう。あの日は俺は31-32秒で走っていたので、このサイトを見てから梨塾に行ったという彼にも負けていた。なし耐では31-33秒という、ちょっと自分で信じられないほどの不調ぶりで、何人もの梨塾/トミン後発組に周回遅れにさえされた。…思えば苦しい日々であった。

しかし今は違うぞ。そう、フルチンの山田太郎とかっこいい虎柄のパンツを履いた山田太郎くらいには違う(*)。


この日、上機嫌の俺は久々に魚でも食っとくか!と思い何気に好物のサンマを焼いた。栄養もつけとこうと大根おろしは山ほど擦った。ちょっとグリル内でのポジションに問題があったのか、片側の脇腹部分が若干半透明、つまりレアだったが、そんな些細なことは気にしない。よくあることだし、大根おろしもいっぱい食べてるので問題なかろう、と内蔵までもりもり食べた。…味は美味しかった。

…味は美味しかったが、深夜から俺は腹に違和感を覚え、朝には腹をくだしていた。うーん、ちょっと冷えたかな?それともさすがにちょい生だった?しかし、俺は日頃から肉などもかなりレアなものを好んで食べており、おなかは頑丈な方なので、こんなのは軽く体内の毒素を排出してやれば問題ない。…はずなのに…出勤時間のタイムリミットを迎える頃には、いわゆる下痢の腸が痛い感覚ではなく、腸も胃も、というか肺と心臓以外の内蔵が全部痛てえ!というような感覚になり、39度近い熱まで出し、目眩の中で会社に欠勤の電話を入れ、ベッドの上で悶絶するハメに陥っていた。…くそ、これは完全にやられた…。
朦朧としつつもIT戦士としてはまず、ネットで症例を検索する…ほどなく見つかったとある医院のサイトにあった細菌性腸炎の記述は、ほぼすべての点で自分に合致していた…ちなみにこれは、別の言葉で言うと「食中毒」である。

翌日の夕方には熱はだいたい引き、夜にはうどんを少し食べた。

しかし、翌日の梨塾に参加する為にまず常磐道を走って行くだけの体力や気力は、48時間ほどを強制ラマダン(断食)状態で過ごし、いまだ目眩と頭痛の消えない俺には残されていなかった…。


漢勝負番外編、初めて俺のマシンがジョニーのマシンのスペックを上回るという最大のチャンスに、俺は不戦敗を喫したのであった。まあ、いいけどね。こんなかたちで勝ったとしても半端だしよ!だしよ!!

注)
*わかりにくい例えかも知れないがこれは絶妙だ。装備の強化がメンタリティにも作用し、実際の装備の機能上の変化以上の効果を上げるという喩えだ!

再び、前進を

さて、9月の梨塾を体調不良により辞退してから1週間後。
せっかく入れたレンスポルトは、まだ黒光りしたままだ。このまま冬になってしまってはもはや笑い話にもならない。
本当は10月の梨塾に参加しようとだいぶ前から思っていたが、そのための予算は先週、ドブに捨ててしまった。だからもう行けない。無理。でも、ここ一週間は仕事をしていても走りたくて仕方がない。そこで、土曜日に練習に行こうかと思ったが、まだ問題があった。
今週は月曜から休まずに出社はしているものの、実は栄養不足か胃腸が弱っているのか、体がだるくて仕方ない。うっかり昼におにぎりを食ったら吐き気がして大変だった。週末に向けて徐々に回復して来たのは感じるが、ただでさえ体力不足なのに、こんな力の抜けた状態で走り行って思うような走りができるだろうか?
結局、土曜の午前11時まで迷っていたが、とりあえず、休憩を長めにとりながら、タイヤの皮むきぐらいの気持ちであまり根を詰めずに走って来よう、と思って急いで予約の電話を入れて出発した。

この日はほどほどに混んでいた。しかも小さいNSRがいっぱいいる。うーん、正直なところ、俺この状況は嫌いなんだよなあ。別に恨みもなにもないし、概して彼らは走り込んでいる連中なので、失礼ながら小汚い見た目と裏腹に、マナーもけっして悪くはない。しかし、トミンのコースならもとより排気量差は出にくいし、小回りの効くミニバイクが決してその排気量差ほどに侮れない相手であるということを、いくら頭でわかっていても、120馬力近くを誇る(そして相応の大枚をはたいている)マシンで横に原チャリに並ばれては、平常心を保つのが困難なのだ。
俺がもっと速くなって、原付では絶対に無理ゾーンのタイムまで出せればまだしも、現状ではそこへ至っていないので厄介だ。まあ、これはこちらの問題なのでさっさと練習して速くなるしかないだろう。

まあとは言え、それほどの大混雑でもないので、気をとりなおして走り始める。
最初はまあ一応皮むきということでゆっくりと。それから徐々にペースを上げる。やはり、このタイヤはいい。タイヤが地面を掴んでいる感触が確かにある。
この日はまた天気もよく、意外と気温も高かったので、ちょっと走っては休み、ジュースなど飲みつつ、何度目かの走行でタイヤを見ると、もはやタイヤからツヤのある部分はなくなっていた。もうばっちり安心だ。

感覚も慣れて来たことだし、疲れて腰が痛くなる前にペースを上げて行こう。まずは、最近のビビり走りを矯正しなければいけない。それとともに、前回の練習でのように、コーナリングで失速して切れ込むことがないようにしないといけない。特に後者は大事だ。これから調子を戻して行くに際して、ここが元にもどらないようにしてタイムを戻していかねば。そうしなければまた、29秒台前半でフン詰まってしまうだろう。

ペースを上げてしばらく走っていると、しばらくの間、あまり擦らなくなっていた膝もいい感じで擦るようになってきた。ここで、試してみようと思っていた実験をひとつやってみた。俺のバンクセンサーは、膝の前側ばかりが減ってなくなっている。後ろは山盛り残っているのに、前は完全になくなってベースが削れてしまうので、前後を逆にローテーションして使っているが真ん中は結構残っている。
これは、たぶん、俺の膝の角度に問題があるのだ。つまり極端に大きく股を開いて膝を突き出すことによって膝が接地する「Forcible Knee」、まあ日本で言えば無理ヒザなのである。以前の乗り方だと、このニースライダーはもう前後とも端部は厚みゼロで俺としては役に立たない。が、本来は真ん中が残っているのだからこれで使えるはずなのだ。で、敢えてそのまま使っているのだが、一応全体が摩耗しているので、いまだいたいどの辺が擦れているのかわからない。
そこで、ニースライダーにガムテープを貼って走ってみることにした。これで、ガムテープが削れている位置から、自分がいまどの辺を擦っているかよくわかるという画期的なアイデアだ!…そうでもないか。

まあ、とにかくそうして見たら、結構いい具合にニースライダー中央あたりが擦れているではないか。いいぞいいぞ。ただし、これは膝を擦った時の感触がねっちゃりして気色悪いので数周で止めた。今度は塗料でも塗ってから行くか。

さて、そんなこんなで走行を続け、ラインがいい加減にならないように注意しながらもペースを上げて行く。P-LAPを確認すると、タイムは30.2秒までは詰まっていた。だいたい、30秒-31秒だ。よしよし、いろいろと気をつけて走っているしな、とりあえずそんなモンだろ。

残り走行時間も後1時間を切った。そろそろ、久しぶりの29秒台を出したい。そう思い、ちょっと気合いを入れて走る…と、ついつい進入が適当になり、コーナー出口付近で失速して切れ込むという悪い癖が出る。いかん。ムキになって雑な走りで29秒くらい出しても仕方ない。
今のまま、ちゃんと狙ったラインで失速せずに走りながら、エレガントに29秒台には入れなければいけない。気合いで押すのは29秒を切る時のために取っておかねば。
ちょっと疲れて腰も痛くなってきた(情けないなこれは)ので、また多めに休憩して、最後の1本で29秒を1ラップでも2ラップでも出して帰れば今日はいいや、そう考えて休憩し、最後の一走りに臨む。

が、その最後のひとっ走りのところで転倒者が出てしまった。うーん、残念だ。と、言いつつ、コースがクリアになった時点で走行終了時間の3分前くらいだったのだが、まあそんな厳密でもないので5分ほどオーバーして頑張ってみた。
が、結果は、30秒フラットあたりまでしか出ていなかった。

とは言え、この日の帰りはそれなり気持ちは軽かった。
なぜなら、夏からの31秒も切れない、下手すると全力なのに33秒前後、という状況からは確実に脱したし、確かに最後は頑張っても30秒は切れなかったのだが、これはあまり限界という感じはしなかったからだ。
走っていて、いままでになく不安な感じがなかったし、まだタイヤにもエンジンにも余裕があるなあ、ということが感じられた気がした。これは、今までにはあまりなかったことだ。今までは、「余裕がない筈はないのに!」という感じだったから。
なので、たぶん、後はモチベーションの問題だけでも29秒には戻せそうな気がした。以前の梨塾でも、一日通してタイムアタックまで一度も30秒を切れてなかったのに、模擬レースだけは半分以上くらいのラップで29秒台で走っていたことがあったし、自己ベストの29.2秒も、知らない人のR1に勝手に対抗意識を燃やして追っかけてた時に出たものだ。
つまり、独りで漫然と走っている時のタイムとしては、だいぶスランプ前の状態に戻ってきたと。

ともあれ、ここからだ。このスランプをきっかけに、今度は袋小路に突っ込まぬよう、正常進化の道を辿るようにしなければ。
再び30秒の壁を越える時は、眼を三角にしてではなく、多少無理くりでも鼻歌混じりで行けるようにしたい。そうすればその先につながるだろうと。

ちなみにこの日は、午前午後ですれ違いだったが、かつてトミンで何度も会って、いまは那須を主に走っているTAKさんに会った。なんとNSR250Rで27.5秒をマークしたとのこと。いや貴方速いですよほんとに。(トップへ