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漢を磨け!俺の単発修行日記 ーさらばガイ、また会う日までー

report : Guy [NKD SCIENTIFIC RESEARCH]

梨本塾というイベントを舞台にしたジョニー(愛機はミレニアムファルコン号)との闘いも開戦から既に一年半が経った。おそらくはこれが、最後の闘い・・・そう、もはや刀は折れ矢は尽きようとしている・・・。最後の一矢を報いる為に半年の沈黙を破り、自称ミドルクラスの、ガイが再びエンジンに火を入れる。

前回、遂に敗北を認めざるを得なかった2002年10月の疾走漢闘技(別名:梨本塾)。
しかし、まだ俺は諦めてはいなかった。
前回以降、ジョニーは「育児休暇」を宣言し、半年のブランクを空けることとなった。そこにつけいる隙があると考えたのだ。
「チャンスは最大限に活かす」。そういうことだ。
作戦はこうだ。
そもそも、俺はこの間に転職を考えていた。
そこで、一時的には無職になることが想定されていたわけである。
そのような不安定な身分では、一度に高速代も含めると3万円近い出費となる梨本塾に参加するのは痛い。だが、開催地である都民モーターランドは、一般開放もされている。平日なら、様々なレベルの人が適当に走るだろうからいい環境ではないかも知れんが、何時間かを3000円くらいで走ることが可能だと聞いた。無職状態の時間を活かし、ここで練習するのだ。いわゆる
コソ練といわれるものだ。
ジョニーが育児休暇明けを宣言するのは春。その前にコソ錬。そしてブランク明けのジョニーに勝つ。戦いは火力だけで決まるものではない。天の利、地の利、
時の利というヤツを活かすのだ。

しかし、この計画は脆くも崩れ去った。なんと、悲しいかな(いや本当は安心した)、再就職があっという間に決まってしまったのだ。平成不況の嵐の中にあっても、やはり俺のように才能溢れる漢は世が必要としているということか・・・。
(いや、自分を称え過ぎてるのはわかってますけど。あんまり他人が誉めてくれないんで、俺は自分は自分で称えることにしてる。)

結果的に、コソ錬はまったく無しで春を迎えることとなった。不味いな、と思っていた矢先、ジョニーから共通の知人の結婚式を知らせるメールが届く。ハイハイ、オメデトウゴザイマス、でも俺は忙しいので人を祝っている場合じゃない。遠くの空に「お幸せに・・・」と呟くのが精一杯です
(本当はそれさえしていない)。・・・が、文末に一言コメントが。

4月の塾も忘れんなよ

・・・来やがったか。しかし、まだ迎撃態勢が整っていない俺は「4月の参加はキツそうで」と返信する。
とは言え、どの道もはやコソ錬作戦は実行不能。遅らせても事態は好転しない。そこで、俺は実に半年ぶりの梨本塾参加を決意した。このことはジョニーには知らせなかった。もし、ヤツが俺との対決を考慮して参加を5月以降にすれば、結果的にコソ錬効果が得られると考えたからだ。

さて、とりあえず、コソ錬だけではない作戦も考えていなかったワケではないので、それを準備しなければいけない。
前回参加時は、ファイナル変更で加速重視にして、結果的に2速のみでコースを走った。それはそれでスムーズな走りができたのだが、排気量で劣る我がサイクロン号で1速を使わないのは余計に不利だ。コーナーの立ち上がりで明らかにパワー不足だった。しかし、1速はエンジンブレーキが利きすぎて制御が困難な状態だった。
そこで、今回は逆に、高速側にファイナル変更をし、エンジンブレーキを弱く、伸びをよくした1速を使って走ろうと考えたのだ。



ドライブスプロケット:15T(標準)
ドリブンスプロケット
標準:45T
変更:49T
再変更:43T(現在)
※一般道での乗り味は、49Tが良かったかも。ほんとに加速がよかった・・・でもエンジンブレーキが過大なので、好みが別れるかな。とするとやはり標準の45Tが結局のところ基本的にはベストか?



そして当日。
参加者リストにはジョニーの名があった。そうか。やはり来たか・・・。
朝、「ふーん、来てたんだ・・・知らなかったわ」と軽く挑発されつつ、俺の心中は複雑だった。本来なら「帰る頃には忘れられない想い出にしてやるぜ、屈辱でな!!」などと吐きたいとこだが、正直、やる気はあるが確信はない。なにせ、
結果だけが問題なのでな

二人ともAグループとして走り出す。
ヤツは、ブランクの間はバイク自体ほとんど乗っていなかったらしく、やはり前回参加時よりはキレがない。
俺は・・・ブランクはさほど感じなかったが、どうもやりにくい。1速のエンジンブレーキは多少マイルドになり、使えるようになった。だが、ストレートではどうしても回りきってしまってスピードに乗れず、確実にそれはタイムロスとなっている。だが、2速はスカスカだ。SVの1速と2速がもっとクロスレシオだったら良かったのに・・!

120mのホームストレートではさすがに2速に入れていたが、1コーナーに入る際に1速に落とすと、エンブレ過剰で思い切りリヤが流れる。ズズ、なんてレベルではない。ダートトラッカーかと言うくらい、ズリーっと滑るのだ。仕方なく、外側からコースを斜めに横切るかたちでシフトダウンをしたが、これではいつ後ろから突っ込まれるかわからないし、それ以前に、1コーナーが完全に失速している。最終コーナー手前の短い直線でも、完全に1速が吹けきっているが、2速に入れるには距離がない・・・。

参った・・・と苦悩しながら走っていると、休憩時に塾長の梨本さんよりアドバイスがあった。

ガイさあ、なんで1コーナー斜めに入ってんの?アレじゃそのうち突っ込まれるよ」ギクリ。アドバイスというよりむしろアラート

それで、状況を説明すると、2速がパワー不足に感じるとしても、1コーナーは2速のままでスピードに乗せてった方がいいと。1コーナーの後に続くコーナーは緩いので、そのままスピードに乗って3コーナーのヘアピンまで行き、そこでシフトダウンすべしとのことだった。そうしないと軽量級の旋回性を活かせないし、リズムも生まれないと。同様に最終コーナー手前も、1速を引っ張り切るとコーナー進入まで間がなくて忙しくなってしまうというならば、速めに2速に入れてしまえと。

つまり、SVで速く走るには、スピードを殺さないことが肝とのことだ。言われてみればそうか。どんなに1速で回しても、所詮は並み居る大排気量車のような加速は得られない。点と線でターンとダッシュを繰り返すような走りでは、パワーのハンデは埋めようもない。

俺は、自分のマシンが非力なのでとにかくエンジンを回しきらなければ、ということに囚われすぎていたようだ。次の走行は午後。大幅に走り方を変えよう、と思い、少し頭にかかった靄が晴れたように感じた。

・・・が、そこから自分のバイクに戻る途中で梨本さんの弟であるカイさんに捕まり、梨本さんと同じことを言われる。・・・ちょうど同じことを今お兄さんに聞きましたよ。と思っていたら、「自分でもわかってんだようるせえな」って目をしてると言われる。・・・その通りです。ただし、わかったのはつい30秒前ですが。問題が明らかになったのは良かったけど頭に血が上って方向性を完全に誤っていた自分にちょっと腹も立っていたので、険しい表情をしてたならそのためです。

で、昼休み後。
トミンモーターランドコースまずはペースを落としてシフトのタイミングを計る。右の1コーナーは2速パーシャル気味で、極力減速を抑えて回る。
そのまま緩い左の2コーナーを走るが、ここでちょっとパワー不足なので、2速のまま半クラッチでスピードを注ぎ足す。
右ヘアピンの3コーナー入り口で1速に落として旋回、続く左ヘアピンまで1速のままで小さく回って立ち上がったら1速を引っ張りきるよりはさっさと2速に入れて最終コーナーに入る。
やや左に振ってから右に曲がる最終コーナーでは今までより早い速度で進入し、1速に落としてエンジンブレーキをかけ過ぎないよう、アクセルを閉め切らないようにして前ブレーキを引きずって旋回し、出口を向いたら頑張って加速。ここは長いので1速は目いっぱいまで引っ張り、2速に。

・・・修行が甘い故に、思ったとおりに出来ないこともままあるが、基本的にはこのようなやり方で走るよう心掛けた。なるほど、「リズムに乗る」という感じあって、午前の1速オンリーで引っ張りきって(10500rpmで最大出力を得るエンジンを12500rpmくらいまで回していた。痛々しい程レッドゾーン)走っていた時のようにストレスを感じない。速いし、乗ってて面白い。午前は正直ツラかったからな。
こりゃあいいぞ・・・。

そして、タイムアタックを経て模擬レース。今回は参加者が多いので、A、B、Cの3グループに分けて行われた。俺はBグループだ。グリッドは4番で2列目。そして1列目2番にジョニーがいる。練習中、午後はだいぶいい感じで、再びコーナー進入でジョニーの後ろに被さることも出来るようになってきた。だが、以前と違ってアクセルを開けられるようになったジョニー、旋回速度もあがっている。初めに塾に参加した頃のように、旋回中に前に出ることはできないし、前に出れずに立ち上がればもうどうしようもない。即ち、抜く事ができない。張り付くことさえ困難だ。

では、どうやれば勝機があるか?

最初から前に出るしかない。それでも途中で抜かれる可能性は高い。特にホームストレートはかなり危険だ。だが、勝算があるとすれば、とにかくスタートで前に出てブロックするしか方法はない。

スタートで全てが決まるのだ。いや、スタートで前に出ても勝利は決まらないが、出られなければ敗北が決まる。

グリッドにつき、旗が上がると、俺はいつもはしない空吹かしをしてタイミングをとり、神経を集中させた。そして旗が振り下ろされた瞬間、迷うことなく最初に決めていたライン・・・外側に出てスピードに乗せる。
結果、一列目の3台のうち2台はかわした。だが、肝心のジョニーを抜けなかった。こともあろうにジョニーが先頭で、そこに張り付くかたちだ。2列目から出てまずまずといえばそうだ。しかし、ファック!ジョニーの前でなきゃ意味がねえ。それでも、とりあえず離されるわけにはいかない。食い付いていると、4コーナーの左ヘアピンでジョニーが失速した。ここは苦手ならしい。チャンスではあったが、抜く事はできなかった。同じラインを走っていたからだ。そして最終コーナー、車間を詰めすぎて接触しそうになった俺が失速。そして、ストレートに向かって立ち上がった時には、ジョニーと俺の間は確実に広がっていた・・・。結局、絡んだのは1LAPのみ。以降は周回する毎にジョニーとの差は開いていく。丁寧に走っても追いつけやしない、と思いコーナーの突っ込みを厳しくしてみても、たまにバランスを崩すせいでかえってタイムロスをしていたかも知れない。それでも、ジョニーのミスがあればと思い、ヘルメットの中で「クソ!!ファック!!」と叫びつつ全開で走行を続ける。間違いなくこの日最高のテンションだ。悔しい一方で面白い。
だが、20LAPのレースが終わる頃、ジョニーと俺の差は2/3周程に達していた。
1週約30秒のコース。つまり、俺とジョニーのラップタイムは平均的に1秒近く違うことになる・・・。

せめてもの救いは、2LAPあたりで俺をパスしたポールポジションの人がジョニーも抜き去り、ジョニーの優勝はなかったことだ。そんないつもいい気分でいてもらっては胸糞ワリぃ。でも優勝したそのマシンが後方排気のTZR250Rだということを考えると、微妙な気持。むぅ・・1300の隼以前に、250に負けてんじゃんよ・・・。まあ、それはそれということで。

今回、走り終えた俺は、遂にある決断をするべき時が来たことを悟った。
マシンの性能、排気量の大小を敗北の言い訳にしたくない、そう思ってここまで戦って来たが、そろそろ戦力不足を認めないワケには行かないようだ。確かに、SVで隼に勝てたこともあった。初回の梨本塾参加時には、完全に俺の勝利で、ジョニーは隼を指して「やっぱコイツは直線番長だわ・・・」と嘆いたものだ。だが、俺は心のうちで「
直線番長は隼じゃなくてキミではないかね?」と嘲笑っていた。
そして、そのとおりだった。皮肉なことだが、ジョニー自身がもはや「直線番長」とは言えない技術を身に付けることでそれを証明してしまった。

こうなっては、SVの不利は顕著になるばかりだ。絶対的な加速力の違い。そして、それを補うべくコーナリング速度を稼ごうとするほどに、一切の調整機構を持たない「乗り心地のいい」フロントサスの挙動は怪しさを増す(サスオイルがへたってるのかも。換えたことないし)。ネット上で他のSVオーナーが時折、SVはツアラーだと評するのは間違いだと今でも思っている。これはスポーツバイクと言えるポテンシャルを持っている。だが、レーサーではないのはやはり間違いない。
練習することで、まだ少しは速くなれるだろう。だが、もはやジョニーの隼を捕らえるには及びそうにない。
1週30秒のサーキットでの1秒差は、歴然としている。

赤い彗星を自称したが、推力を30%増してあったとしても、ザクでは・・・「
今の私にはジョニーは倒せん」。そういうことだ。・・・しかも実際は推力増してないし。

ついでに言うならば、
「見事だな!しかし小僧!自分の力で勝ったのではないぞ!そのモビルスーツの性能のおかげだと言う事を忘れるな!」
なわけだが、だから負けっぱなしでいいということにはならん。

ランバ・ラルは、この後、白兵でゲリラ戦を挑むという暴挙に出ましたが、俺はもっと利口な方法を考えたい。いや、考えてある。

I know I need to change. ・・・そんなところさ。


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★ 梨本塾 2003年4月27日 参加報告
手に入れたもの 中型のメリットを活かす走り方
失ったもの SVでミレニアムファルコンを撃墜する野望
結論 400では大型には勝てない、などとは認めていない。だが、もはや相手が悪い・・・ところで、別に関係ないんだけどさあ・・・600ってミドルクラスだよね?