2001.3.28 |
「会社は何もしてくれない」シリーズ5−労働組合お勧め!楽しい新幹線通勤 |
あきる野の話や幕張の話は本当に大変ですね。しかし館林はもっとすごいんです。 |
1.1000人以上の大異動 |
話は1994年〜1995年にさかのぼります。おそらくF2始まって以来最大の異動だったのでしょう。
館林工場は当時ATMなど金融端末の工場でした。1000人以上の人がそこで働いていました。
それが突如、その工場を顧客のシステムを運用する場所にすることになったのです。
その施設は出来るだけ自動的に運転することが基本でしたから、ほとんどの人はいらなくなります。
会社の出した提示は館林の人間は熊谷と山形に移る。その間で、はみ出た人間は他部門に異動するというものでした。 |
2.新幹線通勤のオンパレード |
多くの人は地元採用者で地元で働きたい人ばかりでした。熊谷までなら何とか通えるが山形だと無理です。熊谷工場といってもそんなに人を採用できないので、かなり多くの人が「異動」になりました。慣れない東京の職場に配転していったのです。みんな、新幹線で通っていました。新幹線というのは一見すばらしく思えるかもしれませんが、新幹線の駅から更に車で数十分もかけているのです。通勤2時間3時間は当たり前でした。 |
3.労働組合は「TKプロジェクト」といって自慢していた。 |
労働組合は「雇用を守るためにしかたがない」と、この計画を後押ししていました。
こんなに楽しい新幹線通勤できるのも労働組合の皆様のおかげです。
今、長野工場や明石工場が大変だそうですね。(東京−長野は新幹線で最短74分)その辺の状況も分かれば教えてください。 |