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創立67周年記念 |
2002.6.5 |
富士通機電の風景が表紙を飾るとは... |
惜別の思いと、憤懣やるかたない思いとが交錯します。もはや実態を失った機電。平栗の愚行によって今を招き、結果機電を追われる身になった者としては何とも言い様がありません。機電に対する憤懣は残るも、社名が変わることがせめてもの救いです。勿論、機電に残りたいという思いは残るものの、機電は機電で無くなってしまっている以上、フロンテック
でも何でもいいが、機電が亡くなってしまったほうが
スッキリします。戦犯が残っていることには納得し得ませんが、それに
対抗しうるだけの手段を持てなかった以上、今となっ
ては仕方の無いことです。富士通から来ている経営者は、地元企業の経営者とは比べ物になりません。経営者としての気概がありません。例えば、平栗自身が起こした会社でもなければ、機電として単独で成り立つ会社でもなく、機電という企業に対する思い入れがありません。(ケツをまくって富士通へ帰ったり)
貸し倒れが出ても損失で片付けてしまう...安易な結幕。
これだけ富士通の人間を受入れておけば、潰れる心配はない。国内最大などと言いながらマグネシウムに設備投資をしたかと思えば策もなく撤退。地場ではマクネシウム加工技術や製品開発に取り組んでいて期待されている企業もあるなか、機電が地場にもたらすものは失業者か不遇者ばかり。
唯新潟にあるというだけでは...何をやっても、こけても、富士通の人間を受け入れて
おけば大丈夫と考えているのでしょう。
機電にいることほど楽なことは無い。そうですよねえ、課長、部長、取締役...企業としての自尊心を失った機電は、戦犯の給料と退職金の捻出にモチベーションを見出してしまったんで しょうね。 |
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