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第四話「晴れ間の調練場」

冬の短い陽がそろそろ沈みかけようかという頃、祐一郎と名雪は水瀬家の屋敷に帰着した。
「あ、お嬢様、お帰りが遅いんで心配していたんですよ。」
「・・・・・・・・・」
小者の源助が名雪にそう言ったが、名雪は押し黙っている。
いつも見慣れぬ名雪の姿に、源助が不思議そうな顔をする。
が、無論その理由が分かるはずもない。
「・・・・・・? どうかしなさったんで?」
「ちょっと・・・な。」
代わりに祐一郎が弁明する。
「心配ないんでしたらいいんですが。」
「済まないな。」
祐一郎は源助に軽く頭を下げると、玄関に向かう。
そこに、源助の声を聞きつけた秋子さんがやってくる。
「随分じっくり吟味したのね。」
「・・・・・・・・・」
相変わらず名雪は黙っている。
「名雪、どうかしたの?」
「いえ、ちょっとありまして・・・」
「だめよ、喧嘩は。」
祐一郎のたったそれだけの言葉で、秋子さんは大まかなところを理解したようだ。
祐一郎は心の中で感謝した。
「蝋燭はいつもの棚に入れておいてね。」
秋子さんはそれ以上は言わずに奥へ戻っていった。
それを確認すると、祐一郎は名雪に向き直った。
「すまん、名雪・・・」
「・・・私、ずっと待ってたんだよ。」
「本当にすまん・・・」
祐一郎は深々と名雪に頭を下げた。
名雪の方も少し沈黙していたが、
「・・・分かったよ。貸しにしておくから、許してあげるよ。」
そう言って、ようやく笑った。
「いつか貸しは返す。」
「うん、じゃあ、蝋燭置いてくるね。」
名雪はそう言って、奥へと向かった。
「・・・・・・とりあえず、助かった。」
祐一郎は長きの緊張からようやく解放され、一つ深呼吸した。。


一夜が明けた。
同時に祐一郎の新たな務めが始まる瞬間でもある。
だが、
「・・・寒い。」
会津の朝はひどく寒かった。
無論、昨日も体験しているはずだが、なにぶん昨日は日が高くなっていた。
それでも起きなくてはならない。
祐一郎は必死に覚醒を拒絶する身体を叱咤し、勢いよく布団をはねのけた。
「さあ・・・行くか!」
早速名雪を起こしに向かう。
まだそう古くはない木製の廊下は、歩くと程良い音を立てる。
祐一郎は名雪の部屋の前に立ち、作法通りにかがむ。
「名雪! 朝だぞ、起きろ!」
・・・・・・・・・
反応がない。
今度は軽く襖を叩く。
「名雪! 起きるんだ!」
「・・・・・・うにゅ。」
今度は微かに反応があった。
「名雪! 起きるんだよ!」
・・・・・・・・・
反応が消えた。
「・・・・・・・・・」
祐一郎は手段を失った。
だがまさか襖を開けて突入するわけにもいかない。
「こうなりゃ、声量勝負だ。」
腹を決めると、祐一郎は深く息を吸う。
「名雪!! 朝だ!」
「・・・・・・・・・朝・・・」
「そうだ、朝だ。あらゆる生き物が活動する朝だ。」
「・・・・・・・・・」
「ちなみに例外はないぞ。」
ゆっくりと中で動く音がした。
「やっと起きたか・・・」
ドタッ!
が、中でたちまちに音がする。
少し不安になった祐一郎は、襖に耳を付けた。
「・・・おい、どうした?」
「・・・・・・くー」
寝息らしきものが聞こえる。
「・・・はぁ・・・起きろって!」
「・・・起きる・・・」
「よし、聞き分けがいいぞ。さあ、いそいで・・・」
「・・・くー」
「・・・・・・・・・」
祐一郎は頭を抱えるしかなかった。

結局、秋子さんに助けを求めるしか手は残されていなかった。
秋子さんは、「祐一郎さんなら、と思ったんですが・・・」と、いやに残念そうだった。
「毎日お願いしようと思ってたんですけど。」
「・・・絶対に嫌です。」
祐一郎はとんでもない仕事を引き受けたのではないかと思ったが、
実際、たった一日で祐一郎は挫折感を味わっている。
「・・・まあ、努力はしますけど。」
たった一日で挫折してしまうのも会津藩士として恥ずべきことではないかと思った祐一郎は、ひとまず再挑戦の決意は伝えた。
「じゃあ、明日はお願いしますね。」
「・・・・・・はい。」
少し、後悔した。
ちょっとくらい表情になった祐一郎の前に名雪の足音が聞こえてきた。
「・・・・・・おはようございます。」
「おはよう、名雪。」
ふらふらしながら歩いてきた名雪に、祐一郎は片手をあげて挨拶する。
名雪は危なっかしく膳の前に座ると、箸に手をのばした。
「・・・なっと、なっと。」
箸でグルグルかき回しながら、名雪は夢の中で呟いている。
「残念だな、それは味噌汁だ。」
「おみそ汁・・・」
祐一郎が指摘すると、名雪は片手で膳の上を探す。
「・・・ない。」
「誰も納豆があるなんて言っていないぞ。」
「・・・・・・うにゅ。」
「・・・・・・喰う前に目を覚ましたらどうだ?」
祐一郎も箸を止めて、名雪の手つきを凝視する。
とても危なっかしくて見ていられない。
手つきも頭もふわふわしていて、今にも横転しそうに見える。
ちなみにかき混ぜていた味噌汁は膳の上にあるままだ。
「味噌汁を箸でかき回すのは行儀が悪いし危ないぞ。」
武家娘が不作法では、嫁に行く先すら危ぶまれる。
「・・・・・・大丈夫だもん。」
別に祐一郎の心中の声が聞こえたわけではなかったが、名雪はそう言った。
そんな朝の静かな食事風景に、雀の声も聞こえてきた。
「毎朝がこれでは大丈夫じゃないと思うけどな・・・」
それでも平和な名雪と水瀬家の屋敷だった。

「・・・ごちそうさまでした。」
名雪が膳の前で手を合わせる。
ちなみに祐一郎は既に食べ終わって、大小を帯に差し入れていた。
「名雪も行くんだろ? 俺は道を知らないから、お前が頼りだ。」
「うん、任せておいてよ。」
頼もしげな名雪の声に、祐一郎も頼るしかない。
「で、ここから砲術調練場までどれくらいかかるんだ?」
「・・・歩いて四半刻くらいだよ。」
その時、明け五つの鐘が鳴った。
「・・・走ってなら?」
「う〜ん・・・もう少し早くなるかな。」
「走るぞ、名雪。」
「うん!」
何でそんなに嬉しそうなのか分からないが、それを名雪に問いただす間もない。
「いってらっしゃい、二人とも。」
秋子さんの声を背中に受けながら、二人は玄関になだれ込んだ。
「待って、私まだ履いてないよ。」
「早く履け。」
「でも、祐一郎も履いてないよ。」
「これは意外だった。」
祐一郎も玄関に戻る。
「・・・・・・・・・」
名雪は傍らの祐一郎を笑顔で見つめている。
「・・・? さっきから気になっているんだが、どうしてそんなに幸せそうなんだ?」
「何でだろうね。」
はぐらかしながらも笑顔を崩さない。
「まあ・・・仏頂面をされているよりはいいけどな。」
と、言いながら祐一郎も立ち上がる。
「これでよし、と。」
「いってらっしゃいまし。」
源助さんが門を箒で掃きながら頭を下げる。
二人も源助さんに片手で挨拶して、雪に埋まった武家通りへと飛び出した。。


「名雪、頼みがある。」
「何?」
雪が多く残る通りを駆けながら、祐一郎は傍らの名雪に話しかけた。
初日ながら、なかなか息のあった行動だ。
会津若松の城下は朝から結構な賑わいを見せている。
昨日から何日かぶりの快晴を迎え、心なしか町人たちも活き活きとして見える。
そんな早朝から働く町人たちが奇異の目で見つめている気がしたが、そんなことを気にしている場合ではない。
「明日から早く起きてくれ。」
「無理だよ。」
「少しは考えてもみてくれないか。」
祐一郎からすれば、死活問題と言えなくもない。
「だって私、朝弱いから・・・」
「そんなことは百も承知だ。」
「努力はするよ。」
結局、祐一郎は明日の朝を有利にする条件は何一つ勝ち取れないまま、調練場を視界に捉えた。
「ほら、見えてきたよ。」
「名雪は来たことあるんだな。」
「うん、最近藩校でも度々行くんだよ。」
喋りながら、まだ大した補強もされていない門をくぐる。
「着いたよ〜。」
「へえ・・・思ったより広くて立派なんだな。」
広大な敷地の中に、普請したての建物が何軒か建っている。
いずれも瓦葺きで立派な構えだ。
遙か向こうには丘陵を望み、会津松平家の家紋がはためいている。
こちら側にはぐるりと木製の柵が張り巡らされ、土蔵がいくつも並んでいる。
既に大勢の人間が、入ったところの広場に集まり、談笑している。
「名雪!」
突然左方から声がかかった。
「あ、香里、おはよう。」
「久しぶりね。」
香里と呼ばれた武家娘が名雪に飛びついてくる。
年は祐一郎と同じというところだろうか。
物腰は別段優雅というわけではないが、そこはかとなく上品さが漂っている。
「三日前に会ったばかりだよ。」
「三日も会わなければ、立派な久しぶりよ。」
名雪と二言三言会話を交わすと、今度は祐一郎の方に視線を向ける。
「で、さっきから気になっているんだけど、この人誰?」
「誰と言われても困るけど。」
「これが前に会ったときに話した従兄弟の祐一郎だよ。」
「ああ、江戸帰還組で相沢家の御嫡男という人ね。よろしく、相沢君。」
「こちらこそ。」
二人で軽い会釈を交わす。
「私は美坂香里、蔵役藩士の娘よ。」
「それでは美坂殿、今後ともよしなに。」
「香里でいいわよ。」
「じゃあ、俺も祐一郎でいい。」
「私は遠慮するわ。」
あっさり断られる。
「まあ、どっちでもいいが・・・」
「あ。」
名雪が突然声をあげた。
祐一郎と香里が揃って目を向ける。
「そろそろ中に入らないと。」
「そうね。」
「香里も砲術調練場で何かあるのか?」
「ええ、でも何があるかは聞いていないけどね。」
どうやら何があるのかは誰も知らないようだった。
そう考えてみると、確かに周囲の人間もどことなく落ち着きが無さそうに見える。
だがその人間の波も、敷地内で一番大きな建物に入ろうとしていた。
「祐一郎はどうするの?」
「俺は炉の普請予定地に行かないと。」
「じゃあ、私たちは行くよ。」
「ああ。」
「それじゃあね。」
そう言い残して、名雪と香里は人波に紛れていった。
「さて、俺も予定地に・・・」
と、考えて気が付いた。
「この広い敷地のどこにあるんだろうな・・・」
空には家紋が静かにはためき続けていた。


その頃、水瀬家の屋敷に訪問客があった。
「奥方様、お城よりお客人が見えられました。」
「誰?」
「御弓奉行の折島様です。」
「・・・・・・・・・」
秋子さんの顔が曇った。
御弓奉行の折島は、水瀬家当主であり夫である水瀬忠兵衛の上司である。
しかも、奉行本人が来たということは、重要な用件である可能性が高い。
それも、あまり良くない用件でだ。
「・・・奥にお通しして。」
言わずとも、折島の部下の妻女である秋子さんにはそれしか仕様がない。
「かしこまりました。」
源助はさっと頭を下げると、玄関へと向かう。
秋子さんは通す予定の部屋へと足を向けた。
・・・・・・・・・
折島が通されたのは何の変哲もない応接用の部屋である。
冬の今では障子も閉じられ、外の見事な庭園も見ることはできない。
折島は障子を自ら開いてそれを眺めることもできたが、気分的にそれはしたくなかった。
間もなく家主の秋子さんが入ってくる。
「折島様、お久しぶりです。」
「奥方殿もご健勝で何よりです。」
折島と秋子さんが互いにお辞儀をする。その物腰、慇懃極まりない。
「・・・それで、今日の御用は。」
秋子さんが、気が進まない風に用件を尋ねる。
折島の方も、お世辞にも喜々として話しているとは言えない。
「うむ・・・水瀬家のことだがな。」
秋子さんの手が止まる。予想していたこととはいえ、それは重大な問題だった。
折島の方もここで沈黙する。
齢は五十を越えていようかというところだろうか。既に初老と呼ぶにはふさわしくはなさそうだ。
その年季の入った顔が、暗く、沈んでいる。
声も発せず、動きもなく、
ただ朝日が障子から射し込み、そこに映し出された木の枝の影だけが音もなく動いていた。
その影にちらりと目をやり、折島が口を開く。
「・・・このままでは、水瀬家は断絶じゃ。」
「・・・そう・・・ですね。」
「無論、手当は藩の方からある程度は支給する。じゃが・・・」
だが、水瀬家の家名は潰える。
折島もそれ以上は口にしなかった。
「名雪は・・・どうなりましょうか。」
「しかるべき所に嫁に行かれるがよろしかろう。いずれはそうなる身じゃ。」
尤もだった。だが、それでは解決しない事柄もたくさんある。
折島もそれは重々承知の上だ。
「拙者としても、保科正之公(会津松平の祖)の代より続く水瀬家を潰したくはない。そこでじゃ、ものは相談なのだが・・・」
「・・・はい?」


祐一郎は砲術調練場からはずれた場所にある区画に立っていた。
そこには江戸から一緒に来た面々がたくさんある。
「さて・・・とりあえず、縄張りを始めなければな。」
上士の声が響いた。
冬の風は寒く、作業がはかどりそうにもなかったが、とりあえず居合わせた面々はそれぞれ支度をする。
一人が家紋が描かれた旗を突き立てる。もう一人が木製の表札を掲げる。
これで、普請現場の威容は整った。
旧暦一月の今、春はそう遠くはないだろう。
従って、冬の厳寒に耐える日もそう長くはあるまい。
「相沢は藩校から来る連中の方を頼む。」
責任者で大砲方上役の三木が祐一郎にそう命じた。
三十半ばで壮年藩士の三木はこの寒い普請現場でも活力に溢れている。
伏見に行けなかった身である以上、ここで舞い込んできた仕事にやる気を出さないわけがなかった。
それも藩の運命を賭けている(国許の者がどう考えているかは知らないが・・・)反射炉普請である。
(頑張らねば・・・)
三木はそう意気込むのであった。
「藩校からも来るんですか?」
「うむ、藩校で砲術を主に学んだものをこちらの手伝いに回すそうだ。」
「手伝いといいましても・・・」
実際に仕事をするのは人夫がほとんどだ。
「作業の手伝いと言うよりは、監督下で実地学習するという方が近いかもしれぬ。」
「なるほど・・・」
今までまともな大筒もなかった会津だから、この反射炉はまさしく洋式化の象徴と言えるかもしれない。
砲術を学んだ子弟たちがここに来るのもごく自然なことだ。
「・・・て、それでは拙者は何を?」
祐一郎の疑問もまた当然である。
三木はその疑問に極めて明快な答えを与えた。
「そなたが直に教えてくれ。」
「・・・・・・はあ。」
祐一郎は曖昧な返事をする。
祐一郎程度の若造に、しかも実戦で砲術を使ったことがあるわけでもないのに砲術を指南しろと言うのだろうか。
「近々当家でも洋式部隊を創設する。その際の中核を為すかもしれない者達だ。しっかり頼むぞ。」
「・・・・・・承知いたしました。」
三木はそのつもりらしい。祐一郎としても頷かざるを得ない。
「・・・それで、新洋式部隊とはどのようなものになるのでしょうか?」
祐一郎にはそこが心配だった。
何しろ会津にある装備があまりにも旧式なのだ。
会津だけではない。むしろ会津はまだましな方だ。
時勢の流れから取り残されていた諸藩は依然として火縄銃と骨董品のような甲冑で武装している。
だが、ゲベール銃とて火縄銃と五十歩百歩な存在だ。
これで洋式部隊創設と言っては、薩長の嘲りを受けよう。
今頃その薩長の庶民上がりの兵士はエンフィールド銃を担ぎ、止ん事無き京へと入り込んでいるのだろう。
その祐一郎の想像は大体のところで当たっている。
・・・既に薩長では祐一郎の知識以上の小銃を持っていたが、これは後で触れよう。
(時間はあるかもしれん。)
祐一郎はそこに期待している。
どう考えても薩長には直ちに江戸を攻める力など無いように思える。
(ここしばらくは東対西のにらみ合いが続くのではないか。)
いや、それどころか、
(じきに幕府は朝廷を裏切って大反攻するのではないか。)
とも思われている。
イギリスはさっさと幕府を見限って薩摩に通じているが、フランスは依然として幕府の味方だ。
祐一郎がどこまで当時の情勢を知っていたかは謎だが、実際の政情はこのようなものだった。
ここからは京都にいる者でなければなかなか知れることではないが、
京都の薩長土肥による新政府も瓦解寸前の幕府に負けず劣らずぐらついている。
まあ、これも後の機会に触れることにする。
「ふむ、城の方でも熱心に動いていてな。調練場では洋式調練が大筒、小銃ともに行われることになっているのだ。」
「それはいいのですが・・・」
「装備の方なら江戸屋敷の方から順次送られてくることになっておる。それまでは和銃で我慢することになろうが。」
「まあ・・・致し方ありませぬな。」
と、三木との会話がそこまでいったとき、後方から別の声が聞こえてきた。
「藩校の応援部隊だぞ!」
振り返ると、数十人ほどの藩士子弟らしき者達がこちらに向かってくる。
無論、国許で指導を受けていた者達だから、祐一郎とは面識があるはずがないが・・・
「祐一郎〜」
「・・・・・・・・・」
そうでもなかった。
名雪が楽しげに手を振っている。現場の藩士たちはもちろんのこと、人夫たちまでもが妙な目をしている。
その傍らには香里もいる。こちらは遠慮がちに手を振っているようだ。
「何だ、祐一郎、国許にも知己がいたのか。」
三木が図面を手に尋ねる。
祐一郎は苦笑しながら、
「ええ、幼少の折にはこちらで暮らしていましたから・・・」
と、言った。
三木も別段気にする様子もなく、
「それでは都合がよろしかろう。やはり相沢に一任することにしようか。」
周囲も頷く。
もはや、祐一郎に逃げ場はなかった。
祐一郎は深く溜息をつくと、藩校の者を先導している士分らしき男に近寄った。
「ご苦労です。拙者、藩大砲方の相沢祐一郎と申します。」
「拙者、鉄砲方藩士でこちらに参った北川潤之介と申す。」
二人の若い藩士が慇懃に礼を交わす。
年は同じほどであろう。顔に若さがみなぎっている。
別段、祐一郎に深い感情はない。北川の方は分からぬが・・・
「祐一郎〜」
と、北川の後ろで名雪の声がした。
「私たちがここの所属なんだよ。」
「・・・驚いたな。」
「私と香里が差配を務めるんだよ。」
「年長者・・・ってわけか。」
確かに、この子弟たちの中では祐一郎と同い年のこの従姉妹、ひいてはその友人の香里が年長者だろう。
よくよく見ると、年齢でやや色分けされているようだ。
名雪たちは紅いたすきを持っているが、どうも今の衣服に付ける物とは思えない。
後ろに控える若い子弟たちも草色のたすきを所持している。
が、これをどうしろと言うのだろうか・・・
「うん、そういうことだと思うよ。」
「まあいいか。で、俺の仕事は何だ。」
「そんなこと言われても・・・」
困った名雪の代わりに香里が見解を述べる。
「どうせ洋式部隊の訓練でしょ。相沢君が大砲方なら砲術訓練になるわね。」
「正論だな。」
「こんな事、わざわざ尋ねないでよ。」
それも正論だった。
だが・・・
「あの・・・現場はいかがいたしましょうか?」
後ろを振り返って三木に尋ねる。
冷たい風に向かって陣笠を手で押さえながら、三木がやや大きめの声で答える。
「人夫の指揮は我らに任せよ! そなたはその者らを指揮して適当に砲術を教えておけ!」
「・・・・・・・・・」
なにやらつんぼ桟敷に置かれたような気もするが、とにかく祐一郎は炉普請の現場から離れることになった。
祐一郎は改めて顔の向きを戻しながら溜息をつく。
「・・・何よ、その溜息は。」
「いや、心新たにした決意の現れだ。」
「まあ、いいけどね。」
「それにしても困ったな・・・一体、大筒はどれを使って、装備はどこにあると言うんだ。」
「装備関係は俺が支給するぞ。」
「そうか、それは頼もしいな・・・・・・えっと、誰だったかな。」
「北川君だよ・・・さっき、あいさつしてたのに・・・」
名雪が後ろから助言する。そこはかとなく恥ずかしそうだ。
「俺は人の名前を四半刻で忘れる特技があるんだ。」
「迷惑な特技だな・・・」
「まったくだ。」
それに四半刻どころか、ものの五分と経っていない。
が、北川の方はそれを気にする様子もないようである。
「まあ、いいけどな・・・それで、相沢殿はお望み通りに洋式銃と大筒が欲しいんだな?」
「大筒はともかく、洋式銃とは気が利くな。」
「一昨日、そっちが城で声をあげていたからな。」
「・・・何で知っているんだ?」
「鉄砲奉行のすぐ隣にいただろ・・・」
「俺はいつだって話している相手しか見ないんだ。」
「まあ、それも結構だからいいけどな・・・」
北川はそう言って、装備が置いてあるのであろう土蔵の方へ向かった。
「・・・で、そのたすきは何だ。」
「これ? 識別用のたすきだよ。」
「それはわかるが、今その状態で付けるのか?」
「これは仏蘭西の軍服に付けるんだよ。」
「なるほど・・・」
祐一郎は幕府の陸軍所からもらい受けてきた歩兵用軍服を思い出した。
あれなら洋式調練も様になるだろう。
だが・・・
(名雪が仏蘭西軍服・・・)
やや想像もつかない点もあるようである。
「装備だぞ。」
と、その時北川の声がした。
人夫の手で荷駄が二両ほど押されてくる。
北川はその先頭だ。
「済まないな・・・って、これが装備か?」
「そうだ。」
「・・・これだけか?」
荷駄の一つはゲベール銃が数十挺積んである。
おそらく子弟たちに支給するものだろう。
だが、今からするのは砲術調練、肝心の砲の方は・・・
「これ一門?」
「訓練だからな。」
と、北川は傍らの火縄式青銅砲をカンカンと叩いた。
おそらく戦国の世からお城の蔵に秘蔵してあったものだろう。
大筒と言うより石火矢と言う方が正確かもしれない。
最終戦歴は大坂の役か・・・
「できれば俺たちが江戸から持ってきた韮山砲が欲しいのだが・・・」
「それは別の部隊で使う。言っておくが、俺たちは予備隊の訓練だぞ。」
「それもそうか・・・」
名雪たちが差配という時点でそれに気づくべきだった。
だが、本当に
(訓練になるのか・・・?)
この先の訓練を思うと少しばかり気が重かった。
北川も名雪も笑顔、香里は冷静な表情だが心境的には名雪と似たようなものか・・・
そんな明るい面々と、祐一郎の洋式調練は始まりの日を迎えたのだった。

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