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第二話「帰郷」

奥州街道の雪は激しさを増しつつ、一行の足下も段々と埋もれていった。
既に江戸を発ってから三日目になろうか。
それでも彼らの士気は衰えることを知らない。
ひたすら北進し続ける。
「参ったな・・・このままでは荷駄が止まってしまう。おい! 今日は次の宿場で宿営するぞ!」
先頭を行く上士が後方に叫んだ。
もっとも、この吹雪にかき消されてとても後ろまで伝わるものではない。
「何だって?」
四斤山砲を運ぶ相沢は隣に尋ねた。
「・・・いや、俺にも聞こえなかった。誰か、聞こえた者はいないか?」
尋ねられた藩士はさらに別の藩士に尋ねる。
だが、答えは同じだった。
「・・・どうするんだよ。」
「なあに、先頭に付いていけば行くところに行くさ。下っ端はそれで十分だ。」
「・・・・・・・・・」
しばらく思惑した相沢だったが、軽く頷いた。

幸い、答えはすぐに判った。
一行は四半時もせぬうちに宿場に入ると、その中で旅籠を当たった。
なにしろ江戸詰の中から選ばれた三十人の一行である。
多少、宿をあてがうのには骨が折れた。が、それでも人間はまだいい。
昨日も一昨日もそうだったが、この大量の荷駄の置き場には困った。
何しろ鉄砲と大砲があるのである。
万が一盗賊にでも奪われでもしたら一大事だ。
かといって、大砲を置く場所などそうはない。
「大砲方の者で、適当に場所を見繕っておけ。」
一行の指揮を務める江戸詰上士はそれだけを言った。
「おいおい・・・また俺たちに押しつける気かよ。」
「仕方ないさ。鉄砲方の連中もそうやっているんだ。」
「ゲベール銃の山なんて、馬小屋にでも積んでおけばいいさ。俺たちは大筒だぞ。」
それも一門ではない。
大砲方で江戸から運んでいるのは韮山製和砲一門、水戸製和砲一門である。
できれば陸軍所の方から仏蘭西製の新型砲が欲しかったが、
幕府陸軍所も装備強化に躍起で、結局払い下げはしてもらえなかった。
これが江戸組の失敗の一つである。
もう一つの失敗は鉄砲方が旧式のゲベール銃しか大量に仕入れられなかったことだ。
前装式ライフルのミニエー銃が六十挺ほど手に入ったが、これでは一軍を組織するのには遠く及ばない。
江戸残留組がもう一頑張りして集めるそうだが、それもどこまでうまくいくか判らない。
(仙台藩辺りに頼むとするか・・・)
仙台藩は東北諸藩の中でも近代化が著しい大名家である。
相沢を始め、多くの者はそれも考えていたが、
その仙台が後に一悶着起こすことを彼らは気づいていなかった。
・・・もっとも、そのことと武器調達とが直接関係あるということはなかったが。
装備に苦心している江戸詰の者たちは、幕府歩兵の装備をつぶさに見てきて、会津兵の古さを思い知っている。
「兵は会津と薩摩に限る」そんな言葉があったほどの精強で鳴らした会津兵だったが、
最新装備の薩摩に、戦国時代から何ら変わらない長沼流軍学の会津は伏見で大敗しているのだ。
仙台藩では完全洋式部隊が作られつつあるという。
会津でもそれが必要なことは判っていたが、いかんせん装備がついてこない。
仙台藩のような部隊を作るには、どうしたってゲベール銃では力不足である。
たかが六十挺ばかりのミニエー銃だけではとても追いつけそうになかった。
銃だけではない。弾薬だって必要である。
問題は山積みであった。
(国許で最新装備を作り、自給できるようにしたいところだな・・・)
相沢はそう考えていたが、彼は肝心の、もっと根深い問題を忘れていた。
国許の状況は、そんな展望さえも楽観と思える状況なのである。
・・・七年の空白は、意外に大きいものとなりそうだった。
「まあ、近くの商家にでも頼んでみるか・・・」
とりあえず、砲の安全な置き場所だけは確保しなければならなかった。


・・・江戸を発ってから五日ほど後
「見えたぞ! 若松のお城じゃあ!」
「おおっ!」
先頭の叫びに、一行の全員がどよめいた。
とても手放しで喜べる帰郷ではなかったが、それでも何年もご無沙汰だった若松の地に感涙するものも多かった。
相沢も七年ぶりというところは感極まるところもあろうが、彼は妙な気持ちであった。
(帰ってきたのか・・・)
何故だろう。彼はあまり若松の地が好きではない。
いや、それはまた違う。別に何が好き嫌いと言うことではないようである。
ただ・・・昔、何か悲しいことがあった。そんな漠然とした記憶だけが残っていた。
だが、それがなにかを思い出すことはできなかった・・・
「相沢・・・見ろ、何も変わっちゃいないぞ。あの山も、川も、そしてお城もな。」
「・・・さあな、よく覚えていない。」
相沢はぶっきらぼうにそう答えた。
だが、いわれた藩士は目を丸くして、
「これはまた異な事を。いくらなんでもお城のことを忘れるってのは妙だろう。」
「そんなことはないと思うぞ。」
「いいや、おかしい。幼少の砌(みぎり)のことを少しは覚えているだろう? お城も山も忘れるわけがない。」
「そんな昔のこと、覚えているわけ・・・」
いや・・・
「・・・覚えている。皆と遊んでいた時のことは・・・」
その時のお城の姿、確かに覚えている。
「ほらどうだ。お前は思いこみが激しすぎるぞ。」
・・・ずっとずっと前のことは覚えている。
会津藩士の子弟達が作る集団である「遊び」の一人として、年上の子供についていったことは覚えている。
だが・・・自分が連れていった覚えがない。
江戸へ父と共に発つまでのことが、どうしても思い出せない・・・
「さあ、城へ向かうぞ!」
上士が馬の傍らで叫んだ。結局、道中、雪が止むことはなかった。


「江戸から帰ってきたそうだぞ。」
「本当か!? いよいよ来るのかねえ。」
「そうなると、俺たちもただでは済みそうもないな。」
「くわばら、くわばら。」
一行が会津の旗を掲げながら、若松城下に入る。
町の者達は口々に噂を飛ばしながら、その一行を見守った。
それはここまでの道中で、道ばたの者が向けてきた視線とはやや異なるものだった。
好意、だけではない。同胞意識のようなものがある。
ましてそれは同じ藩士ならば強くて当然であった。
・・・・・・・・・
「奥方様、江戸から御一行が入られたそうです。」
「そうですか。」
秋子さんは穏やかな笑顔を以てそれに応じた。
「旦那様の安否は・・・」
小者が遠慮がちに言ったが、それすらも言い終わらないうちに、秋子さんの口は開いた。
「城の方から、自然に伝わりますよ。」
「・・・ですが」
「自然に伝わりますよ。」
秋子さんの口調に、小者もそれ以上は言わずに引き下がった。
だが、小者のようには収まらない者もいる。
「お母さん! 江戸から帰ってきたって本当!?」
「そうみたいね。」
駆け込んできた名雪の心中は複雑であった。
敢えてそれを語るまい。
「私、ちょっと行ってくるね。」
「荷車に気を付けるのですよ。」
「は〜い。」
外は雪でも、この屋敷に寒さはなかった。
名雪は雪駄を履くと、元気よく雪の下を駆けていった。

「江戸詰勘定役、神尾鈴之助、江戸よりただいま参り申した! 開門されたし!」
大手門に呼びかける。
直ちに会津若松上の大手門はゆっくりと開きだした。
辺りには門が開き、きしむ音だけが響いていた。
「・・・・・・・・・」
そして、
「わああああ!!!」
城内外の者、皆が揃って歓喜の声をあげた。
荷駄を引く三十人は、ぞろぞろと歓声の中を進んでいった。
・・・・・・・・・
「神尾、よく戻ったな。」
大広間に入った一行は、早速髭を蓄えた男に労われた。
戦国以来流行らなかった髭である。これも乱世というものか。
「はっ! 我が会津のため、国許で誠心誠意勤め申し上げます。」
「殿が京から戻られるまで、不肖この石橋が国許で政務を預からせていただいておる。左様ご承知願いたい。」
三十人は目の前の筆頭家老に頭を下げた。
藩主の松平容保は京都守護職として大坂にいる・・・そう江戸詰の者も国許の者も思っていた。
藩主が不在である以上、国許での最高権力者は国家老筆頭である。
現在の国家老筆頭は石橋釆女(うねめ)、長沼流軍学を敬愛する硬骨漢・・・と思われがちだが、実際はおおらかな男である。
「おびただしい荷駄を運んできたようだが・・・」
「あれは来るべき戦に備えて、江戸で買い集めた武器にございます。」
「そうかそうか。我らも大量の鉄砲を買い集めることに成功したぞ。」
「まことでございますか?」
江戸詰の者は期待に満ちた顔を上げた。
当然だろう。大きな失敗を一つ埋めることができるかもしれないのだ。
「その旨は鉄砲奉行の方から聞くがよい。」
石橋に促された鉄砲奉行が向き直った。
「先日、江戸商人より洋式銃を五百挺ほど購入いたした。早速鉄砲方としては編成の変更を始めたが・・・」
「江戸商人・・・でございますか?」
江戸詰の者に不安がよぎる。
自分たちが江戸で買い集められなかったものを、どうやって買い集められようか。
「ひょっとして、鯛野屋でございませぬか?」
「いかにも。」
途端、落胆の溜息が聞こえる。
鯛野屋は江戸で会津藩御用を勤める商人である。
確かに鯛野屋は江戸屋敷の方へ、鉄砲を国許へ運ぶという旨を伝えてきた。
だが、それは幕府歩兵から払い下げられたゲベール銃であった。
江戸詰の者が期待していたのは、仙台藩辺りから新式銃を購入することだった。
・・・まあ、期待することが無理だったのかもしれないが。
「鯛野屋がどうかしたのか?」
妙な反応に石橋が尋ねた。
「いえ・・・ゲベール銃ではどうにもなりませぬので。」
「ゲベール銃では不満と申すか?」
「そうは申しませぬが、ゲベール銃で薩長に立ち向かうには、あまりに役不足。」
そんな神尾の言葉に、鉄砲奉行が噛みついた。
「されど、ゲベール銃とて火縄銃よりも格段に優れておろう。新式銃など大量に揃えられまい。」
「しかし、現実に幕府歩兵は全てミニエー銃で武装しております。」
「なれば、神尾殿が持ってきたのはそのミニエー銃なるか?」
「・・・いえ、残念ながら。」
「なれば、当面は数の揃うゲベール銃をもって編成いたしましょう。」
鉄砲奉行がそう締めくくろうとした。
「しかし!」
その時、祐一郎が声をあげた。
「なんじゃ?」
石橋が驚いたように尋ねる。
「しかし、それでは・・・」
「止めぬか、相沢。」
神尾がそれをとめた。現実にゲベール銃しかここにはないのだ。
「御家老、神尾殿、江戸詰の方々、我ら会津には何者も及ばない長沼流軍学で鍛えられた兵がおりまする。
 その我らなれば、多少の装備の違いなどに負けることはございますまい。」
論議は決した。江戸詰の者は沈黙せざるを得なかった。
会津藩士には長沼流軍学が絶対なのだ。それを忘れていた。
(伏見で現実に負けておるではないか・・・)
それを言いたくなったが、この場で言うのは得策ではないし、それとて理由にはなるまい。
あまりにも妙な敗戦だったのだ。
(何故負けたのか・・・)
これは幕府方、とりわけ洋式部隊の威容を知る者ならば、誰もが思ったことだろう。
と、その時鉄砲奉行の傍らで頷くものがある。
この男こそ国許の鉄砲方藩士、北川潤之介である。
相沢はまだこの男とどのように関わるかなど、知る由もなかった。


(何故負けたのか・・・)
ここでも一人、そう考えている男がいた。
冨士山丸の中、洋式の椅子に座りながら歳三は考え事をしていた。
本来ならば、京に戻って再び浪士狩りに精を出しているはずである。
負けるはずのない戦だった。
幕軍は幕府歩兵、会津、桑名他諸藩の藩兵、新選組、京都見廻組といった二万七千ほどの軍勢だった。
諸藩の兵などは旧式装備が大半だったが、幕府歩兵には仏式訓練を受け最新装備で武装した大軍があった。
旧式装備の軍勢も、会津、桑名、新選組、見廻組の士気はすこぶる高く、兵も勇猛だった。
しかも、大坂城には将軍自身がいたのだ。士気が高くて当然である。
対して薩長軍はたかだか四千ばかりの軍勢である。装備とて幕府歩兵ならば十分対抗しうるものである。
(時勢か・・・)
その強大で不可視な力に、歳三は嘆息した。不条理としか言いようがなかった。
だが、明確な敗因がそこここに見えはする。
戦略がまずかった。
七倍近い大軍を擁していながら、幕軍は南側から押しただけだった。
根っからの喧嘩師である歳三には、大軍は包囲してこそその力を発揮できると思っている。
実際、幕軍内部にもそういう動きはあった。
それなのに、幕軍がそう動くことはなかった。鈍重なのだ。
戦略だけではない。全てがそうだった。
大目付の滝川播磨守らが京都へ兵を進めるように進言していたが、将軍の意は決しかねた。
今思えば、全ての原因が将軍慶喜にあるような気がしてならない。
滝川に対し、慶喜はこういう意味のことを言った。
「戦ってもいいが、朝敵の汚名を着るような戦いはしたくない。朝敵となるくらいなら戦わない方がましだ。」
・・・大将がこれでは、部下が動けるはずもなかった。
結局、幕軍ができたのは大坂京都間に数十里の縦深陣地をしくことだけであった。
思えば、水戸藩は幕府改革の雄藩ではあったが、脱落した。
所詮は御三家の一つであると同時に、水戸光圀公から伝わる勤王思想が染みついていたのだ。
その血を引く慶喜が朝敵になるのを恐れたのも当然だったのかもしれない。
佐幕派にも尊皇派にもなりきれなかったということだろう。
「・・・土方さん。」
「ん? どうした。」
土方は顔を上げ、目の前の寝台に横たわる男の顔を見た。
「大坂も今日でお別れですね。」
「・・・そうだな。」
男は一番隊隊長の沖田総司だ。
結核を患い、見た目にもすっかり衰弱しているが、本人はそんな素振りを毛ほども見せずに終始笑顔でいる。
「私たち、江戸へ帰るんですよね。」
「そうだ。」
「楽しみだなあ。姉さんたちは元気かな。・・・土方さんも姉君が恋しいでしょう?」
「何を云いやがる。」
「でも、よかったですよ。死ぬ前にまた会えるんですから。」
「・・・・・・・・・」
総司は既に死を悟っている。そのためなのか、最近の総司の声は今まで以上に澄み切っているように歳三には思えた。
そんな総司を見ると、歳三はなにやら締め付けられるような感覚に襲われるのだ。
「沖田さん、粥を持ってきました。」
その時、沖田の世話を任せている野村利三郎がやって来た。
野村は隊の中でも船酔いに強いようだったので、歳三がそう決めたのだ。
「いやだなあ、臭いんだもの。どうせ食べてもすぐに吐いてしまいますよ。」
「総司、喰わなきゃ病気は治らねえぞ。俺が言うんだ、まちがいねえ。」
そう言う歳三も、とても食えるものとは思えなかった。
何しろ大坂城の備蓄米は古米が多く、炊くと悪臭がするほどだった。
魚の骨も巨大な口で噛み砕いて喰っていた総長の近藤も、これには閉口した。
「沖田さん、お願いしますから、どうか食べて下さいよ。」
そういいながら、船室に入ってきた者がいる。
「市村君、いいところに来た。総司に無理にでも喰わせてくれ。」
「お任せ下さい、副長。」
「市村君、私のことはいいですからもう下がっていなさい。」
「そうは参りません、私の仕事ですから。」
市村鉄之助、薩長と戦う寸前に徴募した新参隊士である。
齢十五才。
脱走で人手不足が著しかった当時、兄弟で志願してきたのだ。
(これはちと幼すぎやしないか。)
鉄之助を見て歳三はそう思ったが、何しろ人手不足である。
とりあえず、そこにいる野村利三郎と立ち会わせてみた。
さして上手くもなかったが、歳三は適当な理由を付けて採用した。
その理由とは、「沖田に似ているから採ってやろう。」というものだった。
事実、沖田に似ている。その時既に負傷した近藤と共に沖田は結核で大坂へ送られていたが、当の市村は奮い立った。
(沖田さんのお陰で採用された。)
そんな思いがある。だから彼は大坂にやってきてから沖田の世話を熱心に勤めた。
歳三も思いつきで言った理由が思わぬ効果を生んだことを喜び、鉄之助に沖田の世話を任せることにした。
「似てやいませんよ。」
沖田本人は否定しているが、鉄之助本人は沖田の世話が日課となっていた。
そのこともあり、結局総長の近藤からはこの後も声を掛けられることもなかった。
沖田が否定する理由には、鉄之助があまりに熱心なので結核が移るのではと心配しているからである。
だが沖田にとってはそれが逆効果を生んだ。
歳三からそれを聞いた鉄之助は感動して、前より一層熱心に世話を勤めたのだ。
「市村君、頼んだぞ。」
そう言い残して、歳三は船室を出ていこうとした。
「はい!」
鉄之助の声を背中に聞き、彼は振り返らずに船室を出た。
(俺は、いい奴らと出会った。)
わずかばかりあふれ出た涙を見せたくなかったのであろう。


(何故勝てたのか・・・)
もう一人、全く逆の立場で勝敗を疑問視する男がいた。
ここは山口、長州藩の本拠地である。
彼の名は大村益次郎、当の本人は昔の村田蔵六の名で通している。
彼は数奇な運命の男である。
最初、父祖伝来の村医をしていたが、緒方洪庵のもとで蘭学を学び、
長崎で修行したあとに宇和島藩にその才を見いだされて出仕。後、江戸幕府に仕えて蘭書の翻訳をした。
その間、故郷の長州には見向きもされていなかった。
だが、死刑囚の解剖に立ち会ったとき、劇的な出会いがあった。
長州の桂小五郎が、彼を仕えるように誘ったのだ。
虫の良すぎる話だった。待遇も幕府とは桁違いの低さである。藩士としてではない、雇士としてである。
桂小五郎も、気前の悪い藩に内心恥じる思いだったであろう。
だが、不思議なことに当の村田蔵六はあっさり承知した。
彼には奇妙な愛国心がある。長州に対する郷土愛が彼を誘いに乗らせたと言うべきであろう。
その奇妙さは、彼は蘭学者としてその名をはせているにもかかわらず、異様なほどの攘夷家でもあった点にもある。
彼は西洋品を所持してはいたが、その理由は便利さだけが理由である。
これが同門の福沢諭吉には理解できず、彼とは生涯そりが合わなかった。
同時に攘夷家にも洋夷かぶれと言われ、彼は二重で敵を作っていたことになる。
彼が長州に雇われた理由は、卓越した蘭学とその軍事的才能であった。天才といって良い。
第二次長州征伐の時に幕軍を石州口で潰走させたのは彼だった。
だが、彼には重大な欠陥がある。
人間を機械的に見るこの男は、他人から見れば無愛想で傲慢に見えるところがあった。
彼には感情的な人間が理解できない。そのため敵が多かった。
藩内でさえ、医者上がりの蔵六を侮る者が多く、農民上がりの奇兵隊士にまであざけられた。
藩内の人気がけた外れの桂が推したからこそ、ここにいられるのである。
だが、結局はこの性格が彼の命を縮めることとなるのである。
・・・で、彼は今、手紙を読んでいる。
自分が教育した軍人山田市之允からの手紙である。
内容は鳥羽・伏見で幕軍を破った詳細である。
彼、いや薩長の要人の大半がこの戦は負けると思っていた。
井上聞多(馨)の考えでは、
「ひとまず帝を長州にお連れし、錦の御旗をこちらに得たあとで装備・人数をととのえ、
 大軍を率いて再び上洛すべし。」
と言っている。
長州の軍事を統べる蔵六がこの戦に参加しなかったのも、
桂がこの戦は負けると思っていたからであることが一つある。
薩長の者しか知らないが、当時、京の薩長軍が集めていた軍資金はたったの五十両だった。
幕末はインフレが著しかったから、今で言えば五十万円強と言ったところだろうか。
革命軍がまず困るのが軍資金だと言われるが、五十両というのは前代未聞のことだ。
事実、この貧乏が官軍の江戸行きを遅らせることにもなる。
(時勢か・・・)
数字と記号でできているような彼には理解しがたいその力が、薩長に勝利を与えた。
何とも不思議な気持ちだった。
こうなった以上、彼が東へ向かう日も近いことだろう。
「無頼の壮士」がもっとも恐れるべきこの男は、まだ長州にある。


祐一郎は、大手門から同僚たちと共に出た。
実りのない議論が彼らを何となく重苦しくさせていた。
「ひとまず屋敷に帰るがよろしかろう。」
石橋はそう言った。相沢もそのつもりである。
だが・・・あいにく相沢家の屋敷は無人である。父と共に江戸へ発ち、母は江戸で死んだ。
つまり、帰る先がなかった。
他の同僚たちはめいめいの屋敷へと向かう。
(親戚の屋敷でも当たるとするか・・・それなら、最初は・・・)
と、思ったとき、雪の降る量が一際増えたような気がした。
「・・・寒い。」
祐一郎は思わず声に出して呟いた。
あまりここに長居はしていられない。そう思った祐一郎はとりあえず歩き出した。
だが、すぐに止まる。
雪に霞む視界の中に、少女がいた。
その姿はこちらに走り寄ってくるにつれて明瞭になっていった。
「祐一郎!」
七年ぶりの再会だった。
「あ、祐一郎。雪、積もってるよ。」
「この雪だからな・・・」
空を見上げる。
「ねえ、私の名前、まだ覚えてる?」
「ああ、覚えているさ・・・猫またぎの花次郎。」
「誰、それ?」
「お前。」
「私、そんなやくざ者じゃないよ〜。」
「そうだったか?」
目の前の少女は困ったような声をあげる。
その様子は、遙か昔の記憶に残る少女と一致するものだった。
「で、花次郎は俺に何の用なんだ?」
「・・・ひどいよ。折角迎えに来たのに・・・」
「お、そうなのか? じゃあ、早速向かうとしようか、名雪。」
「え・・・あ、うんっ!」
そして、祐一郎の会津生活が始まった。

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