真冬の月夜(Rev.2)

祐一のクラスメートの斉藤は生物部に所属していた。斉藤は、7年前に切られた巨木及び周囲環境の変化を調査している。そのため、中高と資料や測定器の充実している理系のクラブに入っていた。

何故調査しているのか、切られた木は暖かい地方に多く見られるものであったことと、切られて何年経っても周りが笹薮で覆われることが無い。あまりにも奇妙な現象が起きているように見える。はっきり言って、好奇心から調査を行っているのである。

一方、理系の部は独自に研究部会というグループを作っていた。これは、高価な機器や書籍を共同で購入することと、予算を削られないように生徒会執行部に対抗するためであった。斉藤は、各部の持ち回りで回ってきた今年度の研究部会代表として、生徒会執行部の集まりに駆り出されていた。全部の部から呼び出されるよりはマシだが、最近は生徒会執行部の召集を受けると気が重くなるのも事実だった。

もっとも、渋る生徒会を押し切って、夜間の旧校舎を条件付ででも使用できるのは、研究部会を作り、直接教師たちと交渉し、生徒会からの干渉を排除してきた諸先輩たちのお陰でもあり、人身御供も仕方が無いと思っていた。

しかし、久瀬が生徒会長になって以来、教員に任せればいいものを、川澄舞の件で何度も生徒会に呼び出され、作業の邪魔をされたことかと思うと頭に血が上りそうになる。

しかし、あの久瀬が大恥をかかされた事件以来、無駄な召集が無くなったことが喜ばしいと感じていた。

ここ数日は生徒会執行部の馬鹿げた会議に呼び出されること無くレポートの仕上げ作業を順調に進めることが出来ていた。

斉藤にとっても、また他の研究部会員にとっても夜の旧校舎はサンクチュアリーとなっていた。昼間の喧騒や運動部員の練習の声に邪魔されずに、各自の作業を進めることが出来たからである。

斉藤は来年度は活動できなくなる可能性があるので、後輩のためにこれまでのレポートのまとめを行っていた。

ちなみに、今日は生物部が戸締りをする係になっていたので、雪靴を鞄と一緒に持った情報通信部員が一声かけて帰った後、斉藤が最後まで図書室に残っていた。

情報通信部というと大層な事をやっていそうだが、実際には、入部者が減ってきた無線部とコンピュータ部が合併したものである。もっとも、巨木周辺の自動観測機器は情報通信部と天文部に頼んで作ってもらったものである。

何故部室ではなく、図書室で作業しているのか、近年のコンピュータの処理能力向上は凄まじいものがあるが、騒音もまたすさまじく向上していた。そういうわけで、実験以外のデータのまとめ作業などは、図書室に端末機として各自持参したノートPCからtelnet等を使って部室の共用サーバを動かしながら作業することが多くなっていた。

さらに、冬場は部室よりも図書室の方が部屋が暖まっていることが多く、図書室の窓際にのみ取り付けられている、本が日焼けすることを防ぐための厚手のカーテンと、厚手の暗幕を閉めれば、室内の熱が簡単には逃げないので、冬は図書室で作業をすることが常識になりつつあった。

斉藤が作成した、これまでの資料は、すべてTeX用に作成してあったため、まとめ作業は全自動で行えるので簡単だった。

しかし、一応の体裁を整えるために表紙と裏表紙、章毎の表紙の作成をmuleで行っていると、突然停電が起こった。

研究部会用LANと研究部会共用サーバマシンはUPSによるバックアップが行われているが、バックアップ時間内に部室に戻るため、muleを終わらせてから非常用懐中電灯を頼りに部室へ向かう。

各部室の共用サーバを手順通りシャットダウンする余裕は十分にあったのでデータは損なわれずに済みそうだった。

もっとも、実行中のジョブはやり直しかもしれない。

実行状況を調べると、他の部の部員のシミュレーションが実行中であったので、その事を斉藤はメモに残しておいた。

何が原因で停電したのか、翌日は休みであり、調べる余裕は十分あった。

部室のカーテンを開けて確認すると、校外の家屋や街路灯は点灯していた事から、校内に停電の原因があることが推定できた。さらに、校内への引込み線の開閉器が閉じている事を廊下の端の窓から確認した。

6600V系が問題を起こしていたら手の打ちようがないので、まず校内の受電室の100V系の配電盤を調べた。主幹ブレーカーはON状態で、電圧も正常であったが漏電遮断器が落ちていたのである。

何処で漏電しているのかは分からないが、旧校舎の電力は回復させないと大変なことになる、研究部会員が夜中まで作業できるのは帰る際に、旧校舎にある職員室と教職員用出入口、部室である実験室、作業場として使っている図書室を確実に施錠することが条件だった。しかも、これらの鍵はカード式の電気錠であり、停電時には安全のため鍵が開放される仕組みとなっている。万一シャットダウンタイムを見られれば、停電を放置して帰った事になり、研究部会の立場は危ういものとなる。

また、サーバを稼動させておかなければ、氷点下近くになる実験室内の機器が結露を起こす恐れがある。ましてや、ハードディスクでそのような障害が発生すれば、折角保存したデータが損なわれる危険性もある。

ましてや、入部の際に停電時の復旧法の講習を受け、受電室の鍵を渡されている以上、放置する訳にはいかない。

そういうわけで、斉藤は随所にある配電盤ごとにメインブレーカーを開放しては、漏電ブレーカーを投入するという作業を漏電箇所が見つかるまで反復する不毛で途方も無い事をする目に遭ってしまった。

各フロアのブレーカーをOFFにして、漏電遮断器を投入することを、何度も繰り返しているうちに、新校舎一階のブレーカーをOFFにして戻ると、漏電ブレーカーは落ちなくなった。

これで作業を続けられると一旦は安堵したが、その前に新校舎一階以外のOFFにしたブレーカー全ての投入をしなければならない。

また、昇降口は通常の鍵で施錠されるため、夜間作業をする場合は教職員用の出入口から帰る事になっている。そのため真っ暗な新校舎一階を通らなければ雪靴を取りに行くことが出来ないことに気づいてしまった。

とりあえず、まとめ作業は後に廻して、電池の節約のため手探りしながら異常の無い回路のブレーカー投入と雪靴を下駄箱に取りに行った。

新校舎に入り1Fの廊下を見通すと何故か月明かりが強く差し込んでいる箇所があった。そこまで行くと、漏電の原因が一目瞭然で分かった。

コンクリート製の壁に大穴が空き、配線を通してある管が見事に地面に突き刺さっていたのである。

しかし、周囲、すなわち廊下や床、天井、向かい側の壁に痕跡を残さずに、こんなことが可能なのか全く不可解な現象である。こんな現象には滅多に出会うことは無い。調べてみれば面白いかもしれないので、物理部の奴に言ってみる事にした。

斉藤は壁を這いつくばる事数十分、下駄箱に到着した。雪国を生き抜くための道具であり、冬山登山にも用いられるアイゼンを予め取り付けてある雪靴を取り出す。

この靴は大袈裟過ぎ、とかダサいとよく言われるが、冬場のフィールドワークには欠かせない装備でもあった。特に、自動観測装置用の蓄電池とスコップを背負って森に分け入るときには。

だが、振り返ると上に向かう階段が月明かりに照らされているのが見えた。一階の廊下を手探りで歩いてきた斉藤は、、わざわざ停電のフロアを通る必要が無いことに気づき挫けそうになったが、気を取り直して別のルートで部室に戻ることにした。しかし階段の明かりは点かなかった。この階段の明かりは新校舎1Fの壁と共に破壊された経路で取っているのかもしれない。

今度は階段の壁を数分這いつくばって上った。

上の階の廊下の明かりのスイッチを投入すると、この廊下の明かりは点いた。普段は当たり前のように存在している明かりがあることのありがたさを理屈ではなく実感として斉藤に感じさせていた。

帰路の途中で、ある教室の扉が開いていた。不審に思った斉藤は懐中電灯を両手で握り締めると、壁に身を隠し、視線と点灯させた懐中電灯のビームを中に向けた。

教室の中では、顔は机の陰に隠れて見えなかったが、3年生らしき女子生徒が剣を腹に突き刺し、その隣では血まみれの男子生徒が横たわっている、という凄惨な光景を目にしてしまった。

見なかったことにして、そのまま帰ろうとも思ったが、自分の指紋が多数付着している上に、各フロアのブレーカをON/OFFさせるという一見不審な事までしている。

物証らしきものと状況証拠らしきものは十分に備わっている。このまま現場を放置して帰れば問題にされるかもしれない。

通報するにしても、実験室や職員室の電話の外線発信の方法は知らなかった。

公衆電話のあるフロアは停電だが、仮に48Vの電話線が活きていて、硬貨か非常ボタンが有効ならば交番まで行かなくても通報できると、情報通信部員が話しているのを聞いたことがある。

ダメ元で、試しに非常ボタンを使って警察にかけてみたら通じたので状況を知らせた後、念のため救急車も呼んだ。

停電が直ったついでに、凍結防止のため各部のサーバを立ち上げてから校門へ緊急車両を迎えに行くか、それとも緊急車両を迎えに行ってから各部のサーバを立ち上げるか。考えている暇はあまり無い。 また緊急車両が来るには時間的余裕があり、防寒服も部室に置いて来ているのでいずれにせよ部室に寄って来なければならなかった。

そういうわけで、先に電源投入と防寒着を取りに部室へ行った。

当然の如く、帰路は明かりを煌々と点け、部室へ大急ぎで戻った。

部室に戻って各サーバの電源を入れ、防寒具を身につけて大急ぎで教職員用出入口から校門まで速足で向かった。

校舎を出て少しの間は体が温まっていたが、

晴天による放射冷却で普段よりも寒い中、満天の星の下で校門の扉を開けて車両の到着を待っていた。

部室から持ってきた氷雪地迷彩の施されたフィールドワーク用のケブラー製防寒着と防雪ゴーグル、防寒用ヘルメットを着け、その下にゴアテックス製アウタージャケットとインナージャケットのフリース防寒着を制服の上に重ね着しているにもかかわらず、冷気が染み込んで来る。

フィールドワーク用のジャケットには氷雪地迷彩を施した冬用と、ウッドランド迷彩を施した夏用の薄手のものがある。

当然の如く冬用のジャケットを着ていたが、それでは目立たないので、合図用に懐中電灯を持参していた。

極寒の地に一人取り残されている、そんな風に感じはじめていた矢先に、赤色灯が見えた。

斉藤は、電池が冷えないように懐にしまってあった懐中電灯を点け、赤色等を光らせている車に見えるように振りかざした。

到着した車には警察官が一人しか乗っていなかった。とりあえず様子を見に来たと言った所だろう。

続いて救急車も反対側から到着した。

まずは、全員を殺傷事件らしき現場まで案内した。警官が、室内に危険が無いことを確認してから、教室の明かりを点け、倒れている二人のもとへ全員で歩み寄った。 倒れていたのは、クラスメートの相沢祐一と問題児の川澄舞だった。

意識の無い相沢祐一を普通のキャンバス布製の担架に載せ、次にFRP製らしい橇形の担架に剣を刺したままの川澄舞を載せた。

2人意識不明の生徒が居ることと一人は剣を腹に刺していることを予め伝えたためか、救急隊員は4人来ており、手際よく搬送していった。

続いて警官を壁が崩れている現場へ案内した。

壁崩壊事件については、科学捜査研究所の仕事になりそうだが、一通りの状況を見せ、これ以上この事件に関して斉藤は自分がすべきことは無いはずだと思っていた。

もう帰っても良いか、警官に尋ねたところ、クラス、住所、氏名、電話番号を聞かれた。さらに旧校舎の施錠をしてきて良いかと尋ねた所、現場保存のため止めろといわれた。どうも、多数の警官を呼び付けるつもりの様子だった。

斉藤と警官は一緒に校門まで行き、不審者の立ち入り防止を警官に要請してそのまま帰途に着いた。

斉藤が家に着いた頃には、オリオン座が西に傾き、空が白み始めていた。すでに朝刊も届いている。

朝刊を持って家に入ると、そのまま朝刊を食卓に置き、今日も寒い一日になるだろうなどと考えながら、自室で遅い就寝に入った。

数時間後、警官が事情聴取のために来るなどとは、まだ思ってもいなかった。