作:◆5KqBC89beU
鳳月と緑麗が地上に出られた頃には、落下してから、かなりの時間が過ぎていた。
地下遺跡の出入口で、手早く食事をしながら休憩し、すぐに神将たちは出発した。
緑麗は、地下遺跡の床が抜けたときに右足を骨折している。自力で歩くことも、
立つことも不可能だった。だから、ずっと鳳月が肩を貸している。
鳳月だって無事ではない。左腕は折れているし、左側頭部から出血していて、
ときどき平衡感覚がおかしくなる。右手の五指は、動かすたびに激しく痛んだ。
さらに、双方とも、打撲や擦過傷の疼痛に全身をさいなまれている。
もしも彼らが普通の人間なら、とっくに気絶していてもおかしくない。
「急がないと、待ち合わせの時間に遅れそうだな」
何かしゃべっていないと力尽きそうだ、といった表情で鳳月が言う。
「すまない。それがしが、足手まといになっている」
うつむく緑麗の顔は、土と埃に汚れ、疲労の色が濃い。
「そうでもないさ。正直、俺も限界が近い」
ふらふらとよろめきながら、二人は西へ向かう。移動速度は非常に鈍い。
「せめて、その、太極指南鏡がまともに動いてくれれば……」
緑麗の眼鏡を見ながら、鳳月が愚痴をこぼした。彼女の眼鏡は、視力補正器具でも
装飾品でもない。天界の最長老にして発明家、太上老君の作った探査分析装置なのだ。
本来なら、島中を隅々まで調べあげ、知人の居場所などを数秒で表示できるだけの
能力を秘めているのだが、見た目は単なる丸眼鏡だ。おかげで黒服たちに奪われず、
緑麗の手元というか目元に残ったわけだが……。
「この空間を造っている術は、探査の術と相性が悪いようだからな。まぁ、あるいは
どんな術とも相性が悪いのかもしれないが。これでは、空間そのものに探査妨害の
術がかかっているのと同じことだ。……すぐそばにいる相手くらいなら調べられるが、
現状でも信用できるほどの精度があるかどうか」
「でも、取りあげられずに済んだだけでも良かったよ。俺の隣にいた赤髪の男なんか、
黒服が見てる前で、眼鏡についてたカラクリを作動させちゃったせいで、あっけなく
その眼鏡を没収されてたぞ」
そうこう話しながら歩いているうちに、森林地帯の終わりが見えてきた。
森の外には、とてつもなく珍妙な光景があった。
奇天烈な物体――小屋のように見えるような気がしないでもない――を背景に、
筋骨隆々で傷だらけの巨漢が、無言で周囲を見回していたのだ。
既に誰もいないムンク小屋と、迷える子羊を探すハックルボーン神父だ。
少し離れた森の中では、それを見た鳳月と緑麗が大いに迷っていた。
「なぁ、どうする? なんだか、ものすごく強そうな危険人物がいるぞ」
「いや待て。確かに外見は凶悪だが、あの巨漢からは邪気や妖気の匂いがしない。
信じ難いことだが、むしろ清らかな聖気すら発しているようだ」
「おいおい、冗談だろ?」
「事実だ。納得しろ。おそらく彼は、平和主義者の武術家か何かなのだろう。
『乗った』者に襲われ、仕方なく戦った後、仲間を探している途中、といったところか」
「……とりあえず話しかけてみるか。まず俺が一人で出ていって、信用できそうか
判断してみるよ。緑麗は、ここで待っててくれ。というわけで、俺の荷物を頼む。
万が一のときには走って逃げるから、身軽な方がいい」
「素手で大丈夫か、と言いたいところだが、どうせその怪我ではろくに戦えまいな。
下手に疑心暗鬼を煽るくらいなら、まだ素手の方がマシか。……たぶん平気だとは
思うが、用心はしておけ。いざとなったら、ここから術で援護する」
「やめとけって。片足が折れてるのに、居場所を教えてどうする気だよ」
「そのときは、それがしを囮にして生き残ってくれ」
「! ちょっと待てよ、何ふざけたこと言ってるんだ?」
「ふざけてなどいない。お前は、足手まといを守って無駄死にして、それで満足か?
思い出せ。父上どののような立派な神将になりたいと言った、あの言葉は嘘か?
お前が命懸けで守るべき相手は、同じ神将のそれがしではない。そうだろう、鳳月」
「でも……俺は……」
「そんな顔をするな。……いいのだ。天軍に入ったときから、とうに覚悟はできている」
「やめてくれ、縁起でもない。……いいか、俺たちは帰るんだ。麗芳や淑芳と再会して、
天界に戻って、星秀のぶんまで生きていくんだ」
「鳳月」
「行ってくるよ、緑麗。俺は必ず戻ってくるから……だから、待っててくれよな」
そう言って緑麗に背を向け、鳳月は静かに歩き出した。
「あのー……」
背後からかけられた声に神父が振り返ると、少し離れた位置に子供が一人いた。
子供は荷物も武器も持っておらず、怪我をしていたが、それでも怯えてはいない。
「や、どうも、こんにちは」
まっすぐ目を見て挨拶する相手を、快い、とハックルボーン神父は感じた。
柔和な笑顔で軽く会釈し、神父は来訪者を迎える。内面の善良さがにじみ出るような、
親しげな挙動だった。当然だ。彼は、史上最強の超弩級聖人なのだから。
「俺は鳳月っていいます。争うつもりはありません。あなたと話がしたいんです」
やや安心した様子で、子供が語りかけてきた。神父は鷹揚に頷き、厳かに言う。
「私はハックルボーン。神に仕える者」
誰よりも先に、一刻も早く参加者たちを昇天させるために、情報はあった方が良い。
鳳月を神の下へと導くのは、話を聞いてからでも遅くはない。そう判断した結果だ。
「へぇ、そうなんですか。……だったら話が早いかもしれないな。
えーと、実は俺、これでも一応、神サマの端くれなんですよ」
鳳月の自己紹介を耳にして、思わず神父は天を仰いだ。にこやかだった笑顔が、
残念そうに歪む。神将たちが異変に気づいたときには、すべてが手遅れになっていた。
ゆっくりと歩を進めながら、哀れみを込めた瞳で鳳月を見て、神父が一言ささやく。
「神を騙るなかれ」
次の瞬間、敬虔なる神の使徒は、疾走すると同時に拳を振りかぶっていた。
神父の殺意は、善意の塊だ。異常で不可思議な殺気に、神将たちの反応が遅れた。
森の中で、とっさに緑麗が呪文詠唱を始めるが、もはや術よりも拳の方が速い。
鳳月が動くより先に、神父の全身が聖光を放つ。至近距離からの発光は目潰しとなり、
少年神将から貴重な一瞬を奪った。そして、鳳月の脇腹が、拳の一撃で大きく陥没する。
奇跡と神通力が相殺しあい、生身と生身の勝負となった末に、神父の怪力が、鳳月の
内臓に致命傷を与えたのだ。負傷によって神通力が弱まり、奇跡の光が輝きを増す。
鳳月が血を吐いた。救済の対象と同調し、神父の口からも鮮血があふれる。
「アーメン」
神父が拳を振り抜く。鳳月は、わずかに滞空してから地面に落ち、動きを止めた。
「――ぃ――ぅ」
哀れな子羊が、小さく誰かの名を呼んで絶命する。数秒だけでも意識を保てたのは、
日頃の鍛錬があったからだ。彼の逝く先は、彼の見知らぬ天の上だろう。
「――太上玄霊七元解厄、北斗招雷――!」
絶叫と共に、森の中から翡翠色の稲妻が撃ちだされ、神父を滅するべく大気を貫く。
緑麗の必殺技、北斗招雷破。今の彼女では大した威力を出せないが、しかし当たれば
ただでは済まない。けれど神父は、鳳月の魂に同調して、神を見ている真っ最中だった。
「なっ!?」
最大限に強まっていた聖光効果と神聖和音が、神通力の電撃を受け流した。
もしも、あと数秒だけでも術の完成が遅れていれば、確実に命中していたはずだった。
だが、そんな仮定に意味はない。
全力で放たれた雷が、ハックルボーン神父に届くことなく四散していく。
数百年に及ぶ、彼女の努力と研鑽が、完膚なきまでに全否定された。
神との邂逅を邪魔された神父が、悲しそうに緑麗の方を向く。優しさと思いやりを
感じさせる、聖者のまなざしだ。
「あ、ぁあ、ぁ……」
慈愛に満ちた表情で、異世界の聖職者が駆けだした。急速に近づいてくる殺人者を
見つめながら、緑麗はただ呆然としている。体中から、力が失われていく。
「あなたに神の――」
彼女が心に感じていたのは、憎悪でも悔恨でも恐怖でもなく、疑問だった。
「祝福あれ!」
顔面へ迫る拳を前に、どうして、と緑麗はつぶやいた。
【031 袁鳳月 死亡】
【035 趙緑麗 死亡】
【残り 63人】
【G-5/森の西端/1日目・13:40】
【ハックルボーン神父】
[状態]:全身に打撲・擦過傷多数、内臓と顔面に聖痕
[装備]:なし
[道具]:デイパック(支給品一式)
[思考]:万人に神の救い(誰かに殺される前に自分の手で昇天させる)を
※森の西端に、支給品一式(パン4食分・水1000ml)×2、スリングショット、
詳細不明の支給品が落ちています。詳細不明の支給品は、防具ではありません。
鳳月のデイパックには、メフィストの手紙が入っています。
※緑麗の眼鏡(太極指南鏡)は破壊されました。