作:◆Sf10UnKI5A
公民館の一室。テーブルとソファが置かれた談話室に、新庄とミズーは腰を落ち着けていた。
「ガユスさん達遅いね。大丈夫かな……?」
「あの変な化け物、頭の方は空っぽみたいだったわ。そんなに気にしなくても平気よ」
「う、うん……」
黄色い獣ことボン太君の強襲を受け、二手に分かれてビルを逃げ出したのが約二時間前。
重傷を負っているミズーのことを考慮し、市街地を避け、どうにか公民館に着いたのが十時ごろ。
幸い中には誰もおらず、館内を捜索し、銃弾のような物――咒弾の入った小箱を見つけていた。
それからもう大分経つのだが、ガユスと緋崎は未だ訪れない。
もしかして捕って食われたんじゃ、と新庄は思うが、縁起でもないとかぶりを振る。
――でも、やっぱり遅いよね……。
「ねえミズーさん。やっぱりボク外に――」
「駄目よ。何度言わせるの? 今から動いても行き違いになる可能性があるし、
もし襲われでもしたら私は満足に戦えないわ。あなたの剣だって、何か弱点があるかもしれない」
「う、うん……」
「ともかく、今は彼らを信じて待ちましょう」
信じる。昔の自分なら絶対口にしないであろう言葉を、見ず知らずの他人を安心させるために使っている。
ミズーの口元に苦笑が生まれるが、それも一瞬のことだ。
彼女は改めて、自分達の現状を分析する。
新庄はガユスらを気にしているが、怪我人を連れ回す、もしくは一人で置いていく気にはなれないらしい。
外を気にしながらも、大人しく座っている。
自分は左腕が全く動かせない。念糸は使えるし素人に遅れを取るとは思えないが、
ウルペンのような達人に出会う可能性も充分にある。
結局、今は動かないことが一番安全なのだ。
もっとも、ミズーが新庄を抑えている理由は他にもある。
――この子は人を殺せない。襲われて戦ったとしても、……止めは刺さない。
優しすぎる。甘えと言ってもいいかもしれない。それがミズーの新庄への評価だ。
初めて会ったときも、いざ戦わんとする自分とウルペンを制止した。
そして――宿敵同士とはいえ――殺し合いをしようとしていた自分を信用し、今こうして横にいる。
その性格が命取りになるかもしれない。これは、そういう『ゲーム』だ。
ミズーは、ふう、と溜め息を一つついた。問題ごとが多すぎる。
しばらく経った後、玄関の方からかすかに足音が聞こえてきた。
「やっと来たのかな?」
そう言って腰を浮かせる新庄。しかしそれを制止する声が掛けられる。
「待ちなさい。足音が一つしかないわ」
ソファーに体を横たえていたミズーは右手だけで体を起こし、傍に置いておいた斧を手に取った。
「新庄も剣を」
小声でそう指示する。襲撃者の可能性は十分にあるが、しかし、
――随分と派手な足音ね。
本当の殺人者ならば、足音を消して館内を調べるだろう。なら、この足音の主は何者なのか?
ミズーは気配を消してドアの横に張り付き、新庄をドアから離れさせた。
かすかに聞こえるドアの開閉音。各部屋を調べて回っているのだろうか。
無用心だ、とミズーは思う。そして足音の主にますます疑問を抱く。
しばらくして、二人の潜む部屋のドアが開かれ――
「動かないで」
「……ッ!?」
ドアが開けられた瞬間、ミズーはその人物の喉首に斧を突きつけていた。
ノブを握ったまま固まっているのは、長身の、腰まで届くような長い黒髪の女性だ。
背にデイパックを背負ったきりで、手には何も持っていない。
「ゆっくり両手を上げて。変な真似さえしなければ、危害を加えるつもりはないわ」
女性は指示通りに手を上げた。
体がかすかに震えているのは、斧を突きつけられている恐怖からだろうか。顔には怯えの色がありありと浮かんでいる。
「まず中に入って。……名前、あとここに来た目的を言いなさい」
「ちょっと、ミズーさん……」
ほとんど尋問に近いミズーの話し方に、新庄までが怯えた声を出す。
迂闊に名前を呼んだ新庄に内心で舌打ちを返すが、しかしミズーはそれを表情には出さない。
そして、女性が口を開いた。
「――佐藤聖と申します。ここには、誰か知り合いがいないかと思って……」
「――そう。佐藤さんも色々大変だったんだね」
「ええ。ですが、祐巳や志摩子達も大変だと思います。由乃ちゃんも、何でこんなことに……」
佐藤聖と名乗った彼女は、ソファーに腰掛け横の新庄と話していた。
ミズーはテーブルを挟んだ反対側に座っている。しかし先ほどから一言も喋らず、射すくめるかのように聖を見ていた。
警戒の証か、斧は手を伸ばせばすぐ届くように置いてある。
「それにしても、ガユスさん達まだ来ないのかな……」
「先ほど話していた二人ですか?」
新庄の呟きに、佐藤聖が興味を示す。
「そうそう。変な着ぐるみに追われてて、ここで合流しようって言ってたんだけど……」
「そうなんですか……」
「うん、でも多分大丈夫。ガユスさん頭良さそうだし。
えっと、それで佐山君がまた壊れちゃってね?」
「……あの、すみませんが御手洗いに行ってもよろしいですか?」
「へ? ……あ、ご、御免なさい……」
話しすぎたかな、と思い、新庄は軽く頭を下げる。
「それでは、少し失礼します」
優雅な動きで立ち上がると、聖は談話室から出て行った。
新庄は逃げやしないかと一瞬考えたが、しかし荷物が残っていることを理由に否定した。
何より、友人の死を悲しむ表情は本物だったし、彼女はとても殺人を犯すような人には見えなかった。
きっと、この状況から抜け出すために自分達と協力してくれるだろう。
――何とか上手く誤魔化せたみたいね……。
女性用トイレの個室に座り込む女性――小笠原祥子は、大きく息を吐いた。
オドーと別れた後、商店街に留まることは出来なかった。
もしまた会ったら、あの恐ろしい老人は自分に何をするか解らない。
しかし森林部に逃げるのは、人並み程度の体力しか持たぬ自分には無謀に思えた。
近くで落ち着けそうな場所は学校があったが、地図に記され目立つ建物であるそこよりは
島の端に近い公民館の方が安全だろうと思ったのだ。
もし夜明け前にいた人間が残っていても、二人のままなら取り入ることも出来ようと判断しての行動だった。
あの時聞いた声は男と女のものだったので、彼女らが来る前に移動していたのだろう。
――それにしても、あの新庄って子がお人よしで助かったわ。
首筋にかすかに触れた斧の感触を思い出すと、今でも身が震える。
もし新庄がいなかったら、あのミズーという女に殺されていたのだろうか。
無用心に踏み込んだことも、聖の名を騙るのも、迂闊な行為だったのかもしれない。
結果的に情報が引き出せたのは良かったとは思うが。
ともあれ、過去を振り返る余裕は無い。祥子は、これからどうするべきかと改めて考える。
――彼女らと一緒には動けないわね。
新庄はともかく、ミズーの眼光、物腰、声の圧力。とても自分達のように平和に暮らす人間のものとは思えない。
もしかすると、オドーのように何か特異な力を持った『戦士』なのかもしれない。
そんな人間を生かしておいて、祐巳を助けることが出来るのか、と思う。
先ほど新庄が話していた二人が来れば、もはや殺害のチャンスなど訪れやしないだろう。
……殺るなら、今しか――――ッ!?
そこまで考えて、祥子は自分の正気を疑った。
彼女は、ごく自然に自分に対する脅威であるミズーを『殺す』ことを考えた。
「おかしくなんかないわ。私が彼女の動きを止めるには、殺すしか方法がないもの……」
頭を抱え、小声でブツブツと呟く祥子。
殺人という行為への恐怖と、ミズー自身の持つ恐怖が彼女の中でせめぎ合う。
しかし、苦悩の時間はさほど長くはなかった。
もう、二人も殺した。一条豊花も呉星秀も、自分を信頼し、――油断しきっていたところを殺した。
今更殺すことが何だというのか。この島には、自分以外にも他人を殺して回る人間が存在している。
もしかすると、彼女達だってそうなのかもしれないではないか。
そう、彼女達を殺せば、祐巳が生き残る可能性が高くなる。妹の身を守ってやらないで何が姉だ。
「……祐巳……絶対に、守るから…………」
一度人間を殺した人間は、その瞬間に別の人間に変化してしまう。
自分の手で人を殺した人間は、そうでない人間とは全く違う別の生物になる。
小笠原祥子。彼女は、この異常な環境で人を殺した。しかも、理由を他者に求めてしまった。
もはや彼女は人間ではない。理由のため、目的のために殺人を繰り返す、――ただの獣。
まだ未熟な獣なれど、妄執とすら呼べる彼女の祐巳への想いは、祥子の心を醜く変化させていた。
……いいよ、ミズーさんはここで……
ふと、新庄の声が耳に入ってきた。どうやらトイレの外にいるらしい。
……二人で行ったら驚くよ。大袈裟だって……
気がつけば、随分と長い間トイレに篭っていたらしい。心配して見に来たのだろうか。
――今なら殺せる?
人を殺すというのは、不意を突くということ。それを、祥子は過去二回の殺人で学んでいた。
ソースケと呼ばれた男には見破られたが、新庄はとても同類には見えない。
それに、今はあの時と違う。目をそらさずに殺す覚悟がある。
「佐藤さんいる? 遅いから気になったんだけど、大丈夫?」
ほら、新庄は心配して声を掛けてきた。優しい子だ。まるで祐巳みたいに。
――でも、私には祐巳以外何もいらないわ。
「御免なさい、気に掛けさせてしまったようで。ちょっと待ってくださる?」
そう言って水を流す。その音に紛れて、スカートの中に隠していた銀の短剣を取り出した。
たまたま見つけたタオルで縛り付けていたので心配だったが、すぐに役立つことになろうとは。
スカートを直し、右手で剣を握り、それを背に隠す。
剣は一瞬見えなければ、それで十分。何よりも躊躇わないことこそが、殺人のコツなのだから。
開いた左手で扉を開ける。キィッと立て付けの悪さが目立つ音がした。
「あっ、佐藤さん。御免ね、御節介な真似しちゃって」
「いえ、そんなこと……」
微笑みながらそう言って、静かに新庄に歩み寄る。
新庄のあどけない顔は、疑念や警戒というものが全く無い。
――幸せ者ね。
スッと背中に隠していた右手を前に出し、そしてそのまま体ごと新庄にぶつかった。
新庄の体が揺れる。その顔は、祥子へと向けた笑顔のまま。
しかし、すぐに一滴、二滴、そしてだらだらと血が溢れ出す。
「えっ……?」
自分の体の中に何か別の物が入ってきた。
初めての感覚に、新庄は戸惑いを覚え、間の抜けた声を上げる。
祥子は、新庄の体内へと侵入する短剣の感触に悦びすら覚えた。
皮を破り、肉を裂き、腑を掻き分けるその感触。確実な死を相手に与える愉悦の感触。
深く深く差し込んだ短剣をぐいとねじる。抵抗と共に手に伝わる、内臓が壊れる感触。
そして引っ張る。ぐいとねじって広がった刺し傷は、簡単に短剣を吐き出した。
「佐藤、さん……?」
祥子は新庄の横を歩いて抜ける。
そして、別れの挨拶を送った。
「――ごきげんよう、新庄さん」
手洗い場の鏡に映る彼女は、服が、手が、握った短剣が――赤黒く濡れていた。
「うぁ、あ……ああぁぁぁぁあぁぁあぁぁああッッ!!!!」
「新庄!?」
濁った叫びが耳に入る。ミズーは壁にもたれていた体を翻し、トイレに入ろうとした。
しかし、その体は飛び出してきた佐藤聖――祥子と激突する。
予想外の激突に、体重の差で祥子はよろめき膝を落とすが、ミズーは、
「ぐぅっ……!」
激痛の走る左肩に、右手を当てて苦痛のうめきを漏らしていた。
凶弾に打ち抜かれた左肩に、祥子の体がぶつかっていたのだ。
痛みをこらえ、トイレの中へ視線を送るミズー。彼女の目に映るのは、
――何なの、これは……。
既に立ち上がっている祥子の右手には、血に濡れた短剣。
その奥、床に座り込む新庄の下に、大きな血溜まりが出来つつあるのが見える。
しかし、それを見るのはわずかの間しか許されなかった。
短剣を腰だめに構えた祥子が、肩を押さえたミズーへと突進する。
「――ッ!?」
ミズーは罵声を吐く間も与えられず、痛みの走る体を強引に制御して祥子の突進をかわした。
彼女の手には、祥子と違い武器になるものは何も無い。
――斧は置いてきた。なら念糸? いや……。
考える。彼女の動きは甘い。素人だろうか? もし手練ならば、最初の激突の時に自分は殺されている。
――それなら!
念糸を紡ぐ間すら惜しい。激痛を生み全く動かぬ左手を無視して、ミズーは祥子に殴りかかった。
祥子の顔面を狙ったミズーの拳は、受け止められることも無く綺麗に入る。
――やはり素人? ならば、このまま潰す!
鍛えられた拳はそのまま凶器になる。祥子は一発で既に膝を着いていた。
ミズーは素早く右拳を引き、追い討ちの一撃を浴びせんとする。
この時、彼女の左手が生きていれば、その左拳で祥子は沈んだだろう。
もしミズーの中に獣が生きていれば、――祥子が獣になりつつあることに気がついただろう。
片膝着いていた祥子は、その姿勢から一気にミズーへと飛び掛った。
止めを加えんと構えなおしていたミズーの右拳は、狙いをそれて祥子の体へと突き刺さる。
強靭なミズーの拳に打たれながらも、祥子の殺人への勢いは停止しなかった。
ミズーの右拳は祥子の肋骨を砕き、祥子の銀の短剣はミズーの腹に深々と突き刺さった。
「……くっ!!」
短い刀身の半ばまで――あるいはそれ以上が、ミズーの腹に刺さっている。
遠くなる意識を自分の身体に留め、ミズーは短剣を無理矢理引き抜く。
――この娘を生かしてはならない……!
紛れも無くあれは獣だ。たとえどれほどに未熟であろうと。
肋骨を砕かれ床に横たわったまま動かぬ祥子へと、既に銀と朱のまだらになった短剣が振り下ろされる。
避けることなど到底出来ず、振り下ろされた勢いのまま祥子の体に突き刺さった。
祥子の体がビクリと一度跳ね、そしてそのまま動かなくなる。
「……祐巳…………貴方は、これで…………生きれるわね…………」
小笠原祥子の時は、その呟きを残して止まった。
死をもって、やっと殺人の衝動から解放されたのだろうか。
血にまみれた喧騒の時間。わずかな間に起きたこの騒ぎは、あっさりと終結した。
既に新庄と祥子は物言わぬ体となり、血溜まりと共に冷たい床に横たわっている。
ただ一人、壁に寄りかかるように腰を下ろしたミズーだけが、荒い呼吸をしながら止血をしようとしている。
しかし左肩は激痛しか生まず、全く動かない。右手でどうにか止血しようとするが、それは到底無理な行為だ。
もっとも、既に止血して助かるような怪我ではないとミズー自身察している。
――ほんの一瞬なのね、終わる時って。
それは、何も今初めて知ることではない。
幾度となく死線を潜り抜け、殺し続けてきた他の人間は勿論、自分とて死に瀕したことすらある。
――今度も生き残れたら良かったのだけれど。
気がかりは二つ。フリウ・ハリスコーと、ウルペン。あの二人は今どうしているのだろうか?
「精霊アマワ……。あなたは、この『ゲーム』すらも見越していたの……?」
今となっては、もはや何が真実で何が虚偽かなど解らない。
ただ、どうやら自分の体から血が減っていくのは紛れも無い真実のようだ。
意識が混濁していく。それは初めて味わう感覚ではない。
しかし、今回は今までになく、深く静かに失っていく――――。
【D-1/公民館/1日目11:50】
【014 ミズー・ビアンカ 死亡】
【061 小笠原祥子 死亡】
【072 新庄運切 死亡】
【残り81人】
[備考]:公民館の一室に、
・火災用の斧 ・蟲の紋章の剣
・支給品一式(支給品の地図にアイテム名と場所がマーキング)、缶詰、救急箱
・支給品一式(懐中電灯、支給品の地図にアイテム名と場所がマーキング)、部屋で発見した詳細地図
・支給品一式(青酸カリ)
が置かれています。
また、公民館のトイレ周辺は血の匂いが充満しています。
祥子の死体には銀の短剣が刺さったままです。
2005/05/19 修正スレ107-8
2005/06/13 全面改稿