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306:フラジャイル・ワンダリング(眠れない子供)

作:◆7Xmruv2jXQ

 音も光もない世界で、子供が一人立っている。
 小さな子供だ。

 その背丈は低く。
 その肉付は薄く。
 その肌は真白く。
 その体は脆く。
 その瞳は、清浄だった。

 子供はじっとこちらを見ている。
 暗闇に浮かび上がり、気負うこともなく、崩れることもなく、こちらを見ている。
 子供の唇は結ばれたまま動かない――――ここに言葉は存在しない。
 子供の腕は垂れ下がったまま動かない――――ここに動作は存在しない。
 ただ視線だけが何かを語る世界。
 子供は、初めから何かを語り続けているのだ。
 静止画の中で、子供の意思を汲み取ろうともがく。
 色のない視線に身を晒す。
 
 その子は何を言いたいのか。
 その子は何を伝えたいのか。
 永劫とも思える時間考えて、結局、その程度のことがわからなかった。

 やがて終わりの時間が訪れる。
 ゆっくりと闇が薄れていく。
 広がっていく白に塗りつぶされるようにして、子供の姿も薄れていった。
 夢が終わることを自覚する。
 夢に留まろうと手足に力を込めるが、白の侵食は迅速に広がっていく。
 抗うことは無意味だった。 

 
 世界が消え、浮遊感が身を包む。  

 
 夢から覚める最後の一瞬。
 子供の右頬の涙を見て――――ただ、それが昔の自分だと気づいた。

 
 フリウ・ハリスコーは森の中で目を開いた。
 溢れかえる緑が目に痛い。
 少し瞼を閉じて半眼になりながら、フリウは短い夢を反芻する。
 デイバックを抱えて座り込み、すでに三時間以上が経過している。
 木に体重を預けてはいるが、背中を中心に筋肉がこっていた。
 それでもフリウは立ち上がろうとは思わなかった。
 立つのが億劫なほど疲弊していたというのもある。
 しかし、それ以上に何かをしようとする意思が希薄だった。

 夢の世界とは違う。
 ここには言葉も動作も存在する。
 そのどちらも鈍く、錆びついた状態でフリウ・ハリスコーの中に放置されている。
 一度投げられたそれらを拾うには莫大な力が必要だった。
 少なくとも……誰かを殺すのと、同じくらいの力が。

 フリウは喉元まで這い上がってきた悪寒に耐えるように、さらに視界を狭めた。
 森の緑がぼんやりとした黒に削られる。
 じっとしていれば、また夢を見るのだろう。
 出来ることなら夢さえ見れないほど深く眠りたかった。
 懇願に似た感情で、思う。
 自分でも無理だとはわかってはいるのだ。
 高ぶった神経が、血液とともに駆ける熱が、深い眠りを許さない。  
 起きているのか眠っているのか。
 次第に境界線が曖昧になるのをフリウは自覚した。
 体の芯がひどく重かった。
 頭は脳に鈍器を突っ込まれたような痛みを持ち、血液を送り出す心臓の音だけが耳に響く。
 それ以外の感覚は麻痺したように感じない。
 火傷の痛みも、骨折の痛みも。
 一線を越えた痛みが、容易に上から塗り潰してしまった。

 フリウは短い夢を反芻する。
 
 一人立っている子供。
 黒く停止した世界。
 動かない唇、存在しない言葉。
 動かない体、存在しない動作。
 視線だけが物語る。
 やがて白が世界を消してゆく。
 すべてが消える瞬間、子供の右頬に涙が見える。

(きっと……)

 胸のうちが締めつけられる痛みに、フリウは心を震わせた。
 
 夢の中の小さい自分。
 あれは、最初に村を蹂躙した自分だ。
 呪わしき破壊の王。
 世界に拒絶された、はじめのフリウ・ハリスコー。

(……あの夢は、別れの夢だ。あの頃のあたしと、今のあたしが別れる夢だ)
 
 今の自分は、あの頃とは違う。
 あの頃とは違ってしまった。
 同じ殺戮者でありながら、二人の間には一本の線が横たわっている。
 
 超えてはならない境界線。
 無力な子供ではなくなる線。
 賢しい大人ではなくなる線。
 
 殺人者の、一線。 

 フリウは心の底から渇望した。

 ……眠りたい。

 深く、呼吸すら止まるほど深く眠りたい。
 聞き入れられることない願いだと、自分でもわかっている。

「あたしは人を殺したんだから。一時でも、それを忘れるなんて、許されない」
 
 小さく、かすれた声で呟く。
 フリウはデイバックを手放し、両手で左胸を押さえた。
 
 
 やがて夢が始まるまで。
 頬を伝う涙に気づかぬまま、少女は無力に境界をさまよい続ける。
 

【A-5/森の中/10:00】

【フリウ・ハリスコー】
[状態]: 精神的に消耗。右腕に火傷。顔に泥の靴跡。肋骨骨折。
[装備]: 水晶眼(ウルトプライド)
[道具]: デイパック(支給品一式)
[思考]: 思考停止中(ミズーを探す)
※第一回の放送を一切聞いていません。ベリアルが死亡したと思っています。
 ウルトプライドの力が制限されていることをまだ知覚していません。

2005/05/11 修正スレ91 
2005/05/31 改行調整

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