作:◆E1UswHhuQc
歩きながら、一条京介は溜息をついた。
無効治癒体質証明書がない。いや、あっても意味はないが。
普段見慣れたものが急になくなるというのは、軽い不安を抱かせる。どうせなくなるなら体質ごとなくなって欲しい。
「いまさらだけど」
「何がよ?」
小さい呟きのつもりだったが、同行する少女――涼宮ハルヒは耳ざとく聞きつけてきた。
……口だけじゃなく耳もいいのか。
憂鬱になる。かなりの間――勘で三時間くらい――ともに歩いて、彼女の口の良さだけは充分に分かった。
早く答えなければうるさいことになると思って、適当に言い訳を考える。素直に体質のことを話すのは面倒だ。
が、少し遅かったようだ。
ハルヒは立ち止まって、腕を組んであごに手をあてる。思考のポーズ。
「確かにいまさらだけど。本当に、なんで私たちがこんなことに巻き込まれるのかしら」
実にいまさらだ、とは言わなかった。どうせ涼宮ハルヒはこちらの答えを必要としていない。
「大体あたしの武器が何の変哲もないフライパンだなんてのからしておかしいのよ。もっとこう、伝説の剣とか巨大ロボットとかそういうのがあったはずよ。誰が持ってるのかしら。みくるちゃんだったら許せるけどキョンだったら許せないわね」
呟きだが、声量はかなり大きい。
涼宮ハルヒの呟きは当分続きそうなので、京介は休憩することにした。手近な石の上に座り込む。
煙草を取り出して口にくわえて火をつけて一服。
無効治癒体質証明書を取り上げておきながら煙草とライターはそのまま。このゲームの主催者――『薔薇十字騎士団』とやらは結構ずさんらしい。
ふーっと煙を吐き、月灯りを曇らせる。煙草は健康に悪い。
と、そんなに長くなっていない灰が地面に落ちた。
「…………?」
疑問に思って見てみれば、手が震えている。
そのことで、ああ、と思い出した。
……殺したんだった。
人を。殺した。
豊花に危害を加えそうな奴は消す。それは覚悟で、誓約で。
人が死ぬ様を知らないわけではない。目の前で見たことがあり、殺してくれと乞われたこともある。
……仕方がなかった。
あれは既に誰かを殺した人間で、あそこで見過ごせば誰かを――豊花を、殺すかもしれなかったのだ。
上司の低い声が、脳裏にひらめいた。
(――「他人を救いたいのなら、何が一番その人間にとって救いになるか、見極める力をつけろ。半端な同情や優しさだけで、全ての人間を救えると思うな」――)
それは学園祭の、無効治癒体質を癒す事が出来た拝呪能力者との一件で、言われた言葉。
殺した相手のことを思い出す。自分と同程度の年齢だと思われる、返り血を浴びたセーラー服の少女。
……救えない。
彼女は学生だっただろう。こんなゲームに参加させられるくらいだから、真っ当な学生かどうかはあやしいが――死体の傍にいて、こちらが近付くのにも気付いていなかった。殺人による心神喪失の状態にあったと見ていいだろう。
救えない。京介は呟いた。救えない。もはや一条京介はあの殺した少女と同じだ。引き返せない。救われない。
独り言に飽きたのか、ハルヒがこちらを向いた。怒り顔で、ずかずかと近付いてくる。
「ちょっと、何勝手に一人だけ休んで」
何も無ければそこで『るのよ』と続いて、さらに機関銃のような言葉の連打が続いてくるはずだった。
固いものが肉を打つ鈍い音がして、ハルヒの身体が傾いた。
そのまま、倒れる。
倒れた彼女を放置して、京介はマグナムを抜いた。
ハルヒを助けようという考えはなかった。玲洗樹の枝がなくて治療できないからではなく、ただ純粋にその考えに至らなかった。
直後、硬質の足音を響かせ男が走りこんで来る。額に傷のある男だ。
男は京介の持つマグナムを見ると、歯をむき出しにするように大口を開けながら、
「――ハッ!」
笑った。その顔に向けて容赦なく発砲。
当たらなかった。
「持ち方が素人なんだよ、ガキが!」
右に左にとジグザグに跳び走りながら、男が距離を詰める。
手が届くような至近距離に来てすら、銃弾は一発も当たらなかった。
「ガキが銃を持っちゃいけないなあ……アブないだろっ!」
男の怒号と同時に、打撃が頬を打った。生の人間の拳とは思えない、硬く重い打撃だ。
地に殴り倒されながら、見る。甲に十字を埋め込まれた機械の左手。義手だ。
「フウゥゥゥ――」
にやついた笑いを浮かべ、男が呼気を放つと同時。義手が唸りをあげる。
「何が」
京介の呟きは、急速にトーンを上げるハム音に打ち消された。
甲に埋め込まれたクロス・ゲージが発光。始めは鈍い赤。次に燃えるような白。
男が獰猛な笑みを浮かべて、口を開く。
「聖なるかな、聖なるかな、聖なるかな。昔いまし今いましのち来たりもう主たる世にも貴き三位一体の御名において――!」
その男には全く合わない聖言。
三位相封環、全相解除。
光の筋を描いて拳に纏わりつくのは、ゲージから散った青白い火花だ。
拳を振りかぶり、にっ――と男が浮かべたのは、笑み。
「――DAWN YOU!!」
閃光。轟音。
超雷撃の拳打が腹部を打ち、膨大な熱量が腹を中心に肉を焼く。
炭化した切り口を見せながら、身体が上下に別たれて。
(礼子、そっちに行く)
一条京介は死を迎えた。
涼宮ハルヒが痛む頭を押さえて立ち上がった時、最初に感じたのは熱気だった。
視界はぼやけ耳は遠く鼻が利かない。痛みのせいだ。
ややあって、復活した嗅覚が伝えて来る。
「……焼肉?」
肉の焼ける臭い。臭いだけだが、『焼き過ぎ』の感じがした。
「あたしに断りもなく焼肉パーティー? 誰の手配よ。キョン……はそんな気が利くはずはないし、有希なわけがないし――」
そこで気付いた。ぼやけていた五感が復活する。混乱していた記憶が戻る。
いつ。どこで。誰が。何をしていたか。
月が昇る夜半、いきなり連れて来られた島で、偶然出会った一条京介とともに、殺し合いのゲームを生き残ろうと、
「――京介っ!」
叫びをあげ、ハルヒは彼を見つけた。
腹部を削られ、上半身と下半身で別れた屍を。
誰だ。
「……ううううう……」
口を押さえた。胃から込み上げてくる衝動を無理矢理にこらえ、呻く。
誰だ。
「うううううっ……!」
膝を付き、草を掴み、叫びをあげる。
誰だ――
「――誰がやったのよ!?」
「俺だよ、お嬢ちゃん」
「!」
からかうような男の声は、背後から。
まだ熱い鉄の銃口の感触は、頭部に。
髪が熱され、臭気を立てる。
息さえ感じられる距離。耳元に息を吹きかけ、男が言った。
「生きたまま犯されるのと死んだまま犯されるのと、どっちがいい?」
ハルヒは奥歯を噛み締めた。
一条京介を殺したのは背後の男に違いない。
……よくも……!
涼宮ハルヒは、意志と表情と声音の全てに怒りを込めて、振り返った。
目に入ったのは銃口。額に押し付けられたそれにも構わず、吐き出す。
「あんたは許さない」
断言した。強く、強く、強く。
男は笑った。明らかな蔑みを込めて、
「……で、どうするんだ? 俺がほんのちょっぴり指を動かせば、お前の頭はトマトのように潰れるぜ」
「あたしじゃあんたを殺せない」
静かに――認める。
何の力もない、一般人。
凶悪な殺意に侵されてしまえば、そのまま逝くしかない……無力な者。
でも、とハルヒは思った。
――言葉には言霊が宿る。
どこかで見たオカルトの知識。ただの験担ぎでしかない、それ。
でも、とハルヒは思った。
ここは涼宮ハルヒの知る世界ではない。
ここは涼宮ハルヒの居る世界ではない。
ここは涼宮ハルヒの為の世界ではない。
日常とはかけはなれた、異常な世界。
そんな世界なら、死ぬ前の呪いの一つや二つ、実現するだろう。
それを信じる。それしか出来ないから、信じる。
言葉が力を持つことを。空想でしかないことが現実になるのを。
強く、強く、強く。呪詛を込めて。怨嗟を込めて。憎悪を込めて。
吐き出す。
「あんたは死ぬ」
「恨み言か。ハハッ、いいじゃねえか。もっと言ってみろ」
もっと強く、もっと強く、もっと強く。
ただひたすらに恨みを込めて、ハルヒは告げた。
「絶対に死ぬ。簡単に死ぬ。あっけなく死ぬ。誰からも省みられず死ぬ。蔑まれて死ぬ」
「死ね、じゃねえところが予言クサくていいな。でも飽きた」
「あんたは死ぬ」
最後の一言の為に、ハルヒは息を吸った。
そして、
「あたしを殺したから」
「じゃあな」
銃声。
頭欠の死体が地に臥し、真っ赤な血で草地を汚す。
鉄錆の臭いに懐かしみを感じながら、ガウルンは少年から奪ったマグナムを腰に納め、少女の死体に手をかけた。
ブチ込もうとして――思いなおす。
「初めては……カシムの為に、とっとくか。ククッ」
二人を殺す前に見た名簿。そこにあった相良宗介の名。
思い出しながら、少年の荷物を漁る。中から出てきたスペツナズナイフに気を良くし、死体の懐から燃え残った煙草を手に入れて笑みを浮かべる。
次に少女の荷物を漁りながら、彼女の遺した恨み言を思い返す。
「絶対に簡単にあっけなく誰からも省みられず蔑まれて死ぬ、か。――ははっ」
笑う。
あの香港で、ズタボロになった自分は相良宗介とともに心中したはずだった。
それがなぜか生きており、手足が戻っており、左腕はイカした義手に代わっている。
ならばどう死のうとどうでもいい。
「また、カシムと遊ぶチャンスが手に入ったんだからな」
少女の荷物から出てきたフライパンを指で弾き、ガウルンは哄笑をあげた。
【D-8/平原/1日目・03:01】
【ガウルン】
[状態]:健康
[装備]:クラックナックル マグナム スペツナズナイフ
[道具]:デイパック×3(支給品一式) フライパン 煙草
[思考]:適当に歩き回って遭遇者をぶち殺しながら、カシム(宗介)を殺す
【一条京介 死亡】
【涼宮ハルヒ 死亡】
【残り99名】
・クラックナックル(出典:ブラッドジャケット 異相空間に蓄電されていた落雷を放出する義手)
※2005/05/07:全面改訂