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九七式中戦車

2004年3月22日 完成


 旧日本軍の代表的戦車といえる「九七式中戦車」です。タミヤの名作キットです。「九七」の由来は、「皇紀2597年」(1937年)の下二桁で、この年に制式採用されたという意味です。日本軍の兵器で「○○式」というのがあったら、それはこういう意味です。

 ちなみに、明治・大正に制式化された兵器は元号で「○年式」というように表示されています。明治の兵器は18年の村田銃が初めてで、更に大正は14年までしかなかったので、「明治」「大正」を頭に冠しなくても、混同の心配が無かったからです。

 正面から見たところ。砲塔が車体の右よりにつています。向かって左の窓が操縦士席、右で頭を出しているのが機関銃手、砲塔から頭を出しているのが戦車長です。これに、砲手を加えた4名が乗員の定数です。隊長車の場合は、隊長を加えた5名が乗り込んでいました。

 砲塔にすえつけられているのは、57mm戦車砲。口径のわりに砲身が短いので、対戦車威力はないに等しいです。九七式中戦車が制式化された時期は、日本軍の戦車は歩兵を援護することが主任務とされていました。装甲も最大25mmと薄く、砲の威力もないので、連合軍の戦車には歯が立ちませんでした。

 戦車長は右腕を改造して、敬礼させました。真鍮線を芯にして、ラッカーパテを盛ってあります。ラッカーパテは乾燥が速く(そのくせ完全硬化には時間がかかる)て、一見使いにくそうですが、パテが乾きかけの時に上から溶きパテを塗ると、服の皺作りなど、表面の微調整が簡単です。

 戦車帽も資料を見ながら作りこみ、階級章もつけました(が、サイズ的に塗れていない・・・)。ハッチの裏は何もなかったので、適当に作りました。

 砲塔の周りについているのは、通称「はちまきアンテナ」です。僚車との通信に使われましたが、送信機は隊長車にしかなかったようです。

 なぜか、日本の戦車は砲塔の真後ろに機関銃がついています。この機関銃は機銃架(戦車長の背後の棒状のもの)につけて、対空射撃ができました。

 エンジンの冷却空気整流防弾板を外して、初期型に改造しました。あ〜っ、でも防弾板の蝶番を削るのを忘れた(汗)