日本軍大好き企業、ファインモールドの「1/12?ワールドフィギアコレクション」のNo.3、大清水一等兵です。どこかで見たような顔をしてませんか?実はこれ、鳥山明先生デザインの模型なんです。初期のドラゴンボールやアラレちゃんを見ればわかるとおり、鳥山先生も兵器好きとか。フィギアはデフォルメされていますが、その他の装備品などは1/12で正確に作ってあります。さすがに鉄帽は無理ですがw |
今回、スコップの柄や三八式歩兵銃の木部など、木の上手な塗装を開発しました。まず、クラフトノコで木目をつけた後、タミヤアクリルのバフで塗装します。その上からタミヤエナメルのレッドブラウンとオレンジを混ぜたものを溶剤で薄めて塗ります。調色の具合、溶剤の濃度で色々な質感の木に塗れます(^∀^) |
手前に見えるのが「携帯小円匙(えんぴ)」で、いわゆるスコップ。「大円匙」というのもあって、そちらは工兵の装備品でした。 |
背後の図。完全軍装なので、実際の荷物の重さは30kgくらいありました。装備品の詳しい解説は下の方にあります。 |
持っている銃は、日本軍の小銃の代名詞ともいえる「三八式歩兵銃」。採用年はその名の通り、日露戦後の明治38年です。全長128cm、重量3.95kg、射程距離約3,000mで、5発の弾丸を装填できました。しかし、1発撃つごとに槓桿(ボルト)を操作して次弾を装填するボルト・アクション式でした。 |
鉄帽は、脱着可能にしました。鉄帽の下は、略帽を後ろ前にして被っていました。戦車帽などの下にも略帽を被っており、当時の写真をよ〜く見ると、後ろから略帽のつばがのぞいています。 襟の色は、歩兵の兵科色の赤で、「2」というのは歩兵第二連隊所属ということを示しています。写真ではよくわかりませんが、肩章には二等兵を示す星2つが描いてあります。 |
外した鉄帽は、飯盒の上に被せるようにして背負っていたようです。これは「九〇式鉄帽」というもので、頭に合わせて大小2種類の大きさがありました。頭頂部には風通しをよくするために、4つの穴が開いていました。材質はクロームモリブデン鋼。 |
個人テントとして使われたが、テントというよりはマントに近い。 | |
アルミ製で、一回で2食分の米が炊けた。 | |
日本軍では「地下足袋式軍靴」というものがあった。夜襲などに重宝したらしい。確かに動きやすそうだ。 | |
木枠に布張りで、外側には防水のために朝鮮牛の毛皮が張ってあった。食料、予備弾薬などを入れていた。やたらと紐が多い(携帯天幕や地下足袋などをくくりつけているのは、全部背嚢の紐)ので、タコ足背嚢と呼ばれた。 | |
アルミ製。将校用は兵用より厚いアルミで出来ていたらしい。 | |
襦袢(シャツ)、袴下(ズボン下)、洗面用具、靴下のような日用品から、食料、手榴弾など、何でも入れた。因みに、米は靴下に入れて持ち歩いたらしい。 | |
弾薬入れ。三八式の弾薬は、5発ずつクリップで留めてあり、15発ずつ紙に包んであった。後盒にはこれを4つ入れ、計60発入っていた。 | |
「ゴボウ剣」と呼ばれた日本軍の代表的銃剣。長さ51.5cmと他国のものより長く、三八式小銃に着剣すると当時の日本人の平均身長を上回った。 | |
ガスマスクを入れていた。 | |
小型スコップ。柄と鉄部分に分解できる。 |
何十何万番というようにそれぞれ固有の番号がつけられており、軍隊に入るとすぐに、新兵はそれを覚えさせられた。薬室の上には菊の御紋章が刻印されており、粗末に扱うとひどい目に遭わされた。なんと、銃にはそれぞれ履歴書まであって、詳しくキズの跡が図示されており、新しくキズをつけた場合にはその理由書が必要であった。兵器検査で新しいキズが見つかると昇進にも差し支えると、兵たちは特に神経を使ったらしい。 | |
外套。ボタンはダブルになっており、左右どちらでも掛けることができた。 | |
日本軍の軍帽は、鉢巻の部分が赤かったため、戦場では使用できなかった。そこで、この略帽が用いられていた。 | |
昭五式軍衣では、肩章で階級を示した。階級章の細かい説明は省くが、偉くなるほど星の数(1〜3)が増え、布地も赤色より黄(金)色の面積が増えていく。 | |
布地の色が兵科を、徽章が所属部隊を表す。 | |
弾薬入れ。前の弾薬入れには15発の包が2つずつで計30発、左右合わせて計60発が入っていた。 | |
いわゆるゲートル。非常時には止血帯としても使われた。 | |
「へんじょうか」と読む。牛皮製で、兵用は表皮を中にして仕立てている。土踏まずに年式、横腹にサイズが刻印されていた。 |