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・華叟禅師
祥瑞寺01
華叟禅師の寺・祥瑞寺


・華叟禅師について

  華叟宗曇(かそうそうどん 1351-1428)は、かそう禅師として、一休さん第1話から登場し、以来時々出てくる。琵琶湖北岸の堅田のぼろ寺「祥瑞寺(しょうずいじ)」にすんでいる、徳の高い和尚として登場する。  外観和尚がしきりに頭を下げているので、かなりの高僧であることが窺える。が、個人的には(一般的にも)人物像は、もう少し厳しい人ではないかと想像したい。アニメでの祥瑞寺は、安国寺よりもさらに貧乏な寺で、小坊主も殆ど姿を見せない。桔梗やから貢ぎ物をもらっている外観とは違い、浮いた話もでてこない。

 史実に出てくる禅師は、播州(ばんしゅう)に生まれ、8歳から大徳寺の徹翁義亨(てつおうぎこう-大徳寺第2祖)に師事、言外宗忠(ごんがいそうちゅう)の法嗣となり、一休や、その兄弟子養叟(ようそう)らを、祥瑞(しょうずい)庵(あん)で育てた。一休の名付け親で、一休の悟りを認めた、一休生涯の師である、まことの禅師である。

 華そう禅師の禅風は、峻厳無比として世に有名であり、当時の堕落した五山(ござん)十刹(じっさつ)の禅院と一線を画し、大徳寺の禅を継ぐものでありながら大徳寺に座住することをしなかった。それだけに祥瑞庵は、清貧とは聞こえはイイが、その実、貧乏極まりなく、まともな食事もとれなかったと言われる。そのため、一休さんも京にいって香袋や雛人形(ひなにんぎょう)を作る内職をしていたというのは、有名なはなしである。
祥瑞寺01
華叟禅師の寺・祥瑞寺


しかし、このような庶民にとけ込む経験により、純粋な禅者をめざす一休さんに庶民的な感覚を植え付け、交友関係も多種多様(庶民から武家公家まで)になったことを考えると、よい経験であったといえるだろう。

 かそう禅師の墓は小さく、「これが・・・」というくらいのものらしい。このささやかなかそう禅師の墓と比べ、一休さんの立派はお墓をみて、一休最大の失敗という人もいる。(拙者も思わんではないが・・)まあ、一休さんのお墓もそんなに大きくなく、弟子がすることだからよしとしよう。

 なお、現在の「祥瑞庵」は、滋賀県の琵琶湖北岸の堅田駅(JR湖西線)から歩いて15分くらいのところにある。浮身堂も近く、蓮如(れんにょ)のお寺も近い。「祥瑞庵」の入り口には、「一休和尚修養の地」の石碑がある。中庭には、かの俳句マスター松尾(まつお)芭蕉(ばしょう)もおとずれたという証拠に芭蕉の俳句などあり、たいへんいい感じの和風のお庭になっていた。現在のお寺は、畑などもある様子で、お金に困っていそうなそぶりは見受けられず、貧乏寺ではないと思われる。


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