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上野の国立博物館に行きました。


東京国立博物館正門前。

 平成15年7月1日、上野は東京国立博物館へ行ってきました。
 なぜそんな所へ行ったのかといいますと、遡ること1日前の6月30日の昼過ぎ、100円ショップで買った東京都の地図を眺めていると、ふと「東京国立博物館」が目に留まり、衝動的に行きたくなりました。(そういうものに興味があるんですねえ、私は。)
 で、これがサラリーマンであったなら、日曜日という混雑している日に行くものですし、自営業者なら仕事のスケジュールを調整しなければなりませんが、かくいう私はプー太郎ですので毎日が日曜日という素晴らしい(?)環境におりますので、さっさと行けちゃうわけです。
 そんなわけで当日、電車に乗って上野へ。着いたのはお昼頃で、天気は今にも降り出しそうな曇天…というより、この時点で既に雨がポツポツきていましたし、私がちょうど博物館内にいる時にザーザーきていました。(その点で私はちょうどうまい時間に来たということです。)


 上野公園の名物・西郷隆盛像。お供は薩摩犬。イザヤ・ベンダサンは西郷を「日本教の聖者」と呼んだ。
 さて、上野駅から国立博物館へ行くには、上野公園の中を通るルートがあります。無論それ以外の道もありますが、自動車の排気ガスが溢れる公道よりは、公園の道の方がいいやと思いましたので、公園内を歩きました。
 ところで、上野公園といえば、皆さんは何を思い浮かべますか? …西郷隆盛像ですか? 不忍池(しのばずいけ)ですか? さもありなん。しかしそれだけが上野公園の特徴ではありません。実は、上野公園にはホームレスが多いのです。数年前はイラン人が多かったのですが、今ではホームレスが主役です。
 代々木公園や新宿中央公園のような青テント村こそありませんが、公園内を観察すると、観光客に混じって歩きまわったり自転車に乗ったりベンチで寝そべったりしているホームレスが結構いることがわかります。
 尚、彼らに因縁を付けられるのが怖くもあり嫌でもあったので、彼らをデジカメにて撮影する事は差し控えました。関わりたくないのが正直な心情です。(←この発言に接して「泉獺は冷酷なヤツだ」と言いたくなったらどうぞ御自由に。ただし、その前に自分の胸に手を当ててみて下さい。)

 さて、国立博物館に入ってみることにします。入館料は1300円。正門の前の券売所で入場券を購入して敷地内に入りました。入館料はそんじょそこらの美術館よりは割高ですが、六本木ヒルズ展望台の入場料が1200円なのに較べれば、こちらの方がはるかに有意義です。それに、ただ一口に博物館と言っても、広大な敷地に本館・東洋館・平成館・表慶館・法隆寺宝物館が散らばっていて、しかもその一つ一つが一個の立派な博物館ですから、それらを半分程まわってみるだけでも充分元が取れます。

レストラン「精養軒」
 ところで、時刻は丁度お昼頃。私はお腹が空いたので、敷地内にあるレストランで食事をすることにしました。場所は東洋館付属の建物、名は「精養軒」。名前を見る限りでは、なんぞ精の付くものでも食わせるのかと思いきや、いざ実際にメニューを見てみると、ハヤシライス、ミートスパゲティ、サンドイッチ、…一時代前の大衆食堂に出てくる品揃えです。
 私は財布と胃袋と相談して(食べ物が、重厚長大なら胃袋が喜び財布が泣く。軽薄短小なら財布が喜び胃袋が泣く。)、スープスパゲティ(\530-税込)を注文しました。その後、企画展のチラシを読んでいたらスープスパゲティがすぐに来ました。時間的に見て、どうやら作り置きのものを温め直して出したようです。しかも、スープスパゲティとはなんのことはない、ちょっとタレの多いクリームスパゲティです。無論、感のいい読者ならお察しのことと思いますが、味の方だってハッキリ言うと旨くないです。もっとも、このテの食堂の食べ物は、海の家のラーメンや雀荘のカップ麺と同じようなもので、味に関してあまり期待してはならないのでしょう。

いざ平成館へ
 昼食をなんとか腹に詰め込むと、私は早速、この博物館のメインイベントである企画展「鎌倉―禅の源流」が開催されている平成館へと直行しました。少々の雨が降っていましたが、気にしない気にしない。
 パンフレットによればこの企画展は「建長寺創建750年記念」の「特別展」で、「鎌倉の禅文化を代表する優品を一堂に公開」するというものです。
 平成館一階の受付でチケットを提示し、エスカレーターに乗って二階へと上りました。この二階部分で特別展が催されているのです。
 展示ゾーンへ入って行くと、そこは照明を落とした暗い通路です。これは展示物の劣化を防ぐための措置で、もちろんフラッシュを焚いてのカメラ撮影なんぞはご法度です。とはいえ、劣化を防止する手だてを講じていても、このように一般に展示されている以上、徐々に劣化してゆくのは避けられないのです。
 専門家に言わせれば、一般公開なんぞせずに密封してしまえばベストの保存状態を保てるのだが、展示して一般から観覧料を取らないと、保存の為の予算が得られないし、だいいち、文化遺産の保存に対する一般の理解も得られなくなる。したがってその辺はジレンマなのだ、と。

 さて、展示ゾーンに入って一番最初に出迎えてくれたのは、第五代執権・北条時頼です。

北条時頼坐像(建長寺)
←このオッサンです。時の最高権力者を掴まえて言うのもナンですが、実にユーモラスな顔をしております。なんとなーく、マンガチックな気もします。
 さらに進むと、蘭渓道隆(らんけいどうりゅう)の頂相(ちんぞう)や夢想疎石の坐像、はたまた高僧某の書、すっかりセピア色になった水墨画、宝冠釈迦如来坐像、等々がこれでもかこれでもかと出てきます。
 そこでフト考えたのですが、これらの仏書仏像仏画仏具はかつては信仰の対象もしくは信仰の媒体でした。しかし今現在、これらは皆、歴史的・文化的資料として大衆の目に晒されております。かく言う私もその大衆の一人です。この大衆の中には信仰心をもって接する者もいるでしょうが、中には異教徒のようにそれへの信仰心を持たずに見る者もいるでしょう。とすると、これら仏書仏像仏画仏具に宿る物精(魂)は、この事態をどう思っているのでしょうか? 晒し者になることに不満を抱いているのでしょうか? それとも、仏法を広める好機ととらえているのでしょうか?

 さて、企画展を半分ほど進んだところで、お土産コーナーに出くわしました。ここでは企画展にまつわる種々のお土産を売っています。展示物の絵葉書、それっぽい模様の手拭(てぬぐい)、仏様が印刷された護符、等々です。
 ちなみに私は、展示物を写真に収めた資料集(\2300-)を衝動買いしちゃいました。特にこれといった合理的な理由はありません。ただ欲しくなったから、「執筆の手助けになる」とか「神々の辞典の画像に」など色々とそれらしい理由を捻り出しただけです。(←自分で言うのもなんですが、動揺していますな。)
 そしてこれを執筆している7月7日現在、私はこの資料集を手許に置いて、執筆にフル活用しております。上で紹介した北条時頼坐像の写真は、この本から吸い出したものです。又、神々の辞典の画像にも、この資料からの吸い出し画像があります。例を幾つか挙げると、達磨や鐘馗、黄帝などです。

常設展(平成館・本館・東洋館)
 平成館の一階には、縄文〜古代の遺物が展示してあります。ここでは日本史の教科書や副読本で見たことのあるものがズラリと並んでおります。
 古墳から出土したという、ボロボロに錆びた装身具や武具を眺めておりますと、RPGでは定番の「古代遺跡に眠る財宝」の実物とはこういうものだと思い知らされます。魔法の効果がないのは無論のこと(ただし、北欧のように剣を造る際に神聖とされるルーン文字を刻む、といったような何らかの呪術が施されていた可能性はある)、実用性すら全くないのです。ボロボロに錆びた鉄剣は振り回しただけでも折れてしまいそうです。まあ、青銅の剣なら人を殴り殺せそうですが。

 次は本館へ行きました。本館の地下には土産物店があり、外国人受けしそうな和風アイテムから、仏像彫刻の指南書などのマニアックなものまで揃いも揃ったり、よくもまあこんなものがと思います。これら土産物も、立派な展示品といえるでしょう。
 本館の常設展は中世から近代までの芸術品・美術品が並んでいるのですが、そこでフト、「外国人が多いな…」と気付きました。単独行動の金髪美女(髪は染めているらしい)、白人の家族連れ、インドの老婦人(インド風の民族服を着ていたから)、中国人カップル(中国語の発音で話し合っていたので)、等々。外国人の頻度は渋谷のセンター街より高いです。
 なぜこんなに家族連れが多いのだろうかと考えてみましたが、そもそもここは日本の首都にある"national museum"です。外国からの観光客が来るのは当たり前といえば当たり前です。ちょうど日本人観光客がイギリスへ行ったら大英博物館へ、エジプトへ行ったらカイロ国立博物館へ行くようなものです。
 ちなみに、本館は相当古いものらしく、懐かしの黒電話が平然と使われていたりします。私はなにげなく配置されている黒電話を見付けた時、思わずデジカメを取り出して撮影しちゃいました。黒電話は展示品ではありませんので、撮影は許されるでしょう。
 又、無料素材のコーナーに、「倉庫のドア」の写真を載せておきました。こちらは確か、本館一階か地下一階の中央階段裏にて撮ったものです。

 次に、東洋館へ行きました。東洋館には、日本を除くアジアの文物(主に仏像)が展示されてあります。
 そこで私がちょっと注目したのが、パキスタン・ガンダーラの仏像です。これら仏像はいずれも顔の彫りが深く、日本の仏像の頭髪がパンチパーマのようなイボイボになっているのに較べてこちらは頭髪にウェーブがかかっています。そして、日本の仏像ではまずもって見られないであろう、交脚(こうきゃく)というポーズを取っています。交脚とは、腰を掛けた状態で両足の脛を交差させている姿勢です。
 思うに、日本の仏様は日本人の顔つきをしていらっしゃるし、ガンダーラの仏様はパキスタン人の顔つきをしていらっしゃる。これは仏様がその土地その土地で受容され、その地の水を飲んでその地に合うように変容したという証拠なのでしょう。

 尚、表慶館は閉館中で入れませんでした。又、法隆寺宝物館は忘れてしまいました。

旅の終わりに
 博物館を出ると、時刻は午後4時。先程まで降っていた雨はいつのまにかやんでいましたが、いつ降るともわからない空模様。
 私は上野公園へ行き、西郷隆盛像を拝んでから不忍池の辯天堂にお参りしました。そこでおみくじ(\100-)を引いてみたら、「運勢:吉」と出ました。まあまあということでしょう。

著・泉獺(H15.7/13)
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