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萌えヘイト!


2002、5、26

 

やや久しく当社のモットーを掲げてみる。

先日「電撃萌王」なる雑誌が発売されたらしい(まだ未見)

正直みんな病んでないか!?

いや、萌王が悪いとは言わない(未見だし)

むしろ、それを発売出来る今のオタク社会全体(男性に限る)が

どこか間違った方に歪んでいるのではないか?と思う。

 

ここで問題提議だが「萌え」の正しく意味合い、語源、発生時期が分かる奴はいるか?

「萌え」者に訊いても答えられる者はおそらくほとんどいないだろう。

それに真実、答えは無いのだとも思う。

しかし時に性的な意味合いを含んだり含まなかったり、それのみになったり…

「はにゃ〜ん」と腰砕け的な盲愛の様であるとはなんとなくニュアンスとして掴んでいる筈だ。

発生は、俺が始めて耳にしたのはゲームラボ。時期はCCさくら絶好調の時じゃないか?

 

さて、忘れずに言っておきたいのだが、

「俺としても2次元をはじめ届かぬ愛に心を燃やすのは否定しない、

むしろ自身を燃焼させるぐらいに傾けば良い」と思っている、と言う事である。

異性を愛でる事と自分好み、つまり美に執心するのは本能に根ざしていて俺も最も好む所だ。

 

ではそれと萌えと何が違うのかと言うと、一つは気合。

誰彼構わず、好みのキャラに「〜たん萌え〜」とか言うのは

単なるミーハーでしかないと言えるだろう。

スデに「萌え」に毒されているとも言える。

 

そしてもう一つ。コレがある意味真髄かもしれないのだが、

萌えとは「カテゴライズ」ではないか?

「メガネっ娘」「ブルマー」「ロリっ娘」「セーラー服」…

どの語の末尾に「萌え〜」と付けても言葉になる。

つまり「萌え」とは知らず知らずの内に自らの好みを一定の型にカテゴライズされている

症候群ではないか?と言う訳だ。

そして、それらを提供するモノ(マンガ、ゲーム等)もそれらを意図的に提示する事により、

受け手側(オタク)はそれらのカテゴライズされた提示の中から、自分のカテゴリーに当たるキャラを選んでいく…

そんな循環にも思える。

 

恋愛ゲームには必ず、正統派ヒロイン、健気風、高飛車、メガネ、幼女キャラ等々と

パターンが決まっているではないか。

これが成年向けゲームでもキャラ付けやプロポーション等で数キャラにカテゴライズされるに過ぎない。

 

それがイカン!

それぞれのフェティシズム性(これも本来の意味合いとは違うが現在一般的に言っての)

励行するが、そこには初恋の記憶や幼年時代、良い思い出にトラウマにと

自分の過去や遍歴等々、今まで生きてきた人生の中での執心や妄執、愛憎に艱難辛苦と、

精神的な前提があって始めて成り立つ物であり、

例えば「メガネっ娘」一つ取っても、偏愛に至るまでの紆余曲折が知らずの内に本人に内在している筈だ。

だが「メガネっ娘萌え」などとのたまう者はカテゴライズの取捨選択の中から

たまたまビジュアルで比較的好みの「メガネ」を選択しただけに過ぎない。

そこには信念、妄執、偏愛などは介在していないのだと思う。

そして、そこが俺の「萌えヘイト」の由来ではないか?と自分で思ってみたり。

 

つまり自分の美意識も確立できぬ信念なき者に明日は無し!

と言いたかったようだ俺は。

 

まぁこの論理も

「ここだけの話いかがでやんしょ?わっちの美意識は?」

(By おせん)って事に過ぎないけどな!

 

次回以降には「ロリータ」「せつない系」についてでも愚痴ってみようか。

 

ところで「メガネっ娘」を提示してる物の多くが「線だけのメガネ」ってのはどう言う事よ。

俺は鼻パッドと金具まで描き込んで無ぇと認めないぞ。

つまりメガネとはだなぁ、人と鉄との融合であってだなぁ…(以下略)


    

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