綺麗なオレンジ色に染み込んだ綿雲がゆっくり流れる夕焼け空。
長く伸びた影法師の足元踏みつけながら歩くアスファルトの道。寂しげに一人たたずむ郵便ポスト。茜色に染まる世界。
ただいまっ、と制服姿のツクモは明るい声とともに我が家の玄関のドアを開けた。
すぐに三つ編みに縛った長い栗色の髪を背中で揺らして、眼鏡をかけたエプロンドレス姿のむつきが柔らかい笑顔で迎えてくれた。
「おかえりなさい。すぐにお夕飯にしますからね」
聞いているだけで安堵してしまう透明な優しい声。胸元の黒いリボンがチャームポイントだ。
居間にあがったツクモは私服に着替えて学生鞄をどっかり降ろすと、台所で夕食の準備をしているむつきの側に腰を下ろして
いつものように学校での他愛のない出来事ことを嬉しそうに話し出す。
「…それで委員長ったら『フケツよ!』を連発しながらぽかぽか叩くんだ。
そりゃもう頭に角でもにょっきり生えてるんじゃないかってくらい、怖い顔してさ」
「そうなんですか。ふみつきさんも意外と慌て屋さんなんですね」
むつきは料理の手を動かしながら、ツクモの話に相づちを打ったり微笑んだりしている。
普通の家庭ならごく当たり前の、母親と子供の会話。
しかしツクモが子供の頃どれだけ望んでいても手に入らなかったゆるやかに流れる時間。
もし、ツクモの両親が生きていたなら、きっと―――
ふと、味噌汁を作っていたむつきの手が止まる。
「あ、いけない。むつき、お豆腐買うの忘れて来ちゃいました」
「だったら、この時間ならまだお店しまってないから一緒に買いに行こうよ。誰かに見つかったらこの間みたいに偶然会ったフリをすればいいし」
むつきと一緒に夕飯の買い物に行くのも久しぶりなものだから、
ツクモの声はどこか遠足に行く子供みたいに楽しそうだった。
「そうですね。じゃあ、着替えてきますからちょっと待っててくださいね」
と、手にしていたおたまをおいてコンロの火を止めてエプロンドレスを脱ぎながら、三つ編みをほどいたむつきの髪がふわっと広がる。
どくん、と。
夕焼けの照り返しを受けてむつきが輝いているように見えて、ツクモは胸を思いっきりぶん殴られたみたいな衝撃を受けた。
あんまりにも―――綺麗すぎた。
「ツクモさん、どうしたんですか?お顔、赤いですよ」
いや、ほらさ。女の子はぜんぜん意識してないけど、男にとっては無性にドキドキする瞬間ってのはあるわけで。
「ゆ、夕日のせいだよ。…………たぶん」
「ふふっ、変なツクモさん」
沸き上がる感情を照れ笑いで隠しながら、外に出て普段着に着替えたむつきの背中を追いかけた。
夕日はまだ西の空に輝き二人の頬を照らしていた。
血の繋がっていない母と子。他人から見ればどう誤解されてもおかしくない同居生活。
失ったものはもう戻らない。
物心つく以前急に、まったくの突然に、ひとりぼっちにされた心の欠落は一生埋まることはないだろう。
それでもツクモは、生まれてきたことを、むつきと過ごすこの瞬間を、幸せだと思う。決して悲しいことばかりではないと、胸を張って言える。
そして、この幸せがいつまでも続くことを心の底から、願った。
【終】
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