ウトロの土地はもともと日産自動車の傘下にある現日産車体(当時は傘下ではなく別名であった)の所有物であったが、
戦後そこに在日朝鮮人たちが無許可で家を建てていまの居住区となっているのである。
日産自動車としては、水道の敷設件などを認めてしまうとそこに住むことまで認める形になるため、
なかなかそれを認めなかった。
しかしその後ついに日産自動車はそれを認め、土地をウトロ自治会長であった平山氏に3億円で売却した。
その後その平山氏が設立した会社が「西日本殖産」である。
この売却に関して住民はこの時点では知らなかった。(法律的に知らせる義務はないが。)
そして正式な土地所有者となった西日本殖産が、ウトロ住民を相手取り立ち退きを求める訴訟を起こす。
これが「ウトロ裁判」である。
日産自動車は既に土地を売却済みで既にこの件に関しては一切関係していない。
ウトロ裁判は在日朝鮮人同士の訴訟なのである。
裁判の結果は土地の所有者側の全面勝利に終わる。
最高裁は住民に立ち退き命令を出したが、未だ住民は立ち退かず、争いは続いている。
■補足■
ウトロ住民がそこに住み着いた経緯などは強制連行により日本に来たと言われているが、
強制連行に関してはなぜか今のところ賛否両論なので、ここでは割愛させていただいた。
そのあたりは当サイトの朝鮮データベースなども参考にしていただきたい。
また、もっと詳しく知りたければ「大日本史番外編朝鮮の巻」が詳しいので一度は見てみることをお勧めする。
当サイトも大変お世話になっている。
ウトロ住民の立場や、この上の文のソースを知りたい場合は、こちらへ。
裁判の判決文もあるので、それには一度は目を通す事をお勧めする。
これらのページから事実(あくまでも証拠のあるもの)を拾い集め、さらに詳しく本で調べ、自分で考え結論を出す。
情報に惑わされず、利用できる力を。
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