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113 :Everytime,Everywhere・1:2006/04/02(日) 05:10:01 ID:FMdp6rHR

   好きな色や言葉や景色
   胸をはって言えるようになって
   昨日よりも明日の事を
   思うようになってきた


     Everytime,Everywhere 〜奏×奈々穂〜


 幼い頃、私は全てを諦めていた。
 だからいつも、頭の中で空想を広げていた。
 いつか、きっと素敵な毎日が訪れる事をイメージして。
 朝を迎えて、外に出掛けて、時間が経つのも忘れて…。 
 そんな夢のような日々は、現実では簡単じゃない。
 そう分かっていたから、私は全てを諦めるしかなかった。
 だけど、その気持ち次第で、見えるものが変わってくるって、教えてくれたのはあなただった。

 月の第三日曜日。定期的に行われる神宮司の親族会議の日。
 その日は、憂鬱な私の心を映し出したように、雨が降っていた。
 朝、迎えに来てくれた車に奈々穂と一緒に乗り込んで、神宮司の本家へと向かった。
 りのと遊ぶ約束を反古してしまった事は申し訳なかったけれど、こればかりは仕方の無い事だから。
 淋しい気持ちにさせてしまったと落ち込む私を、奈々穂は優しく励ましてくれた。
 他のメンバーがいるから大丈夫だと。
 宮神半島から続く橋を渡って、予定の時間に到着すると、私は直ぐに本殿の方へと案内される。
 離れで待っていると言った奈々穂にお礼の言葉を残して、私は御爺様の待つ場所へと向かった。
 数歩進んだところで、僅かに後ろを振り返ると、離れへ向かう奈々穂の姿を見つめた。
 再び前を向き、先を歩く侍女の背中を見つめながら、私は少し、昔を思い出していた。
 それは、あの頃と変わらない神宮司の家にいるからだろうか。
 それとも、あの頃と少しは違う気持ちになれたからなのだろうか。
 本殿の屋根に降り注がれる雨の砕ける音を聞きながら、私は子供の頃を思い出していた。
 あの日も、雨が降っていた。

 私は今でも忘れない。
 あなたと出逢った、あの雨の日の事を…。

 

114 :Everytime,Everywhere・1:2006/04/02(日) 05:11:21 ID:FMdp6rHR


 神宮司に生まれ、神宮司の能力を持つ私には、もはや自由は無かった。
 生まれながらにして、もう人生は決められていた。
 敷かれたレールから外れる事は許されず、逃げ出しても直ぐに見つかる。
 私には選択肢も権限も無かった。
 与えられた命令に従う事しか出来なかった。
 この日常が変わる事はない。
 だから、私は心を殺して、全てを諦めたのだ。
 叶う事の無い願いを浮かべなければ、傷付く事もない。
 心を捨てて、心を何処か遠くに置き去りにして。
 あの頃の私は、自分自身にまで嘘を吐かなければ、心の均衡を保てなかった。

 そして、五年前の夏、雨が降るその日に、私は初めて奈々穂に出逢った。
 神宮司一族を護衛する金城家の長女として、私の前に現れた。
 対面する日が決まった時から、私はどんな子だろうと密かに想像を膨らませていた。
 他の金城家の人達のように、優しい人なのだろうか。
 それとも、私を憎んでいるのだろうか、と。
 恐らく、きっと後者だろう。
 決められた人生を歩かなければならない苦痛は、私が一番知っている。憎まないはずがない。
 だから、私は決意した。
 その子を、自由にしてあげたい、と。
 私と同じような気持ちを与える必要なんて、何処にも無いのだから。
 自由になれない自分が、誰かを自由にする力があったなら、そんな素敵な事はない。
 自己満足な想いかもしれないけれど、それは私の願いだった。
 自分の為だけじゃなく、誰かの為に。
 金城家夫妻と奈々穂が、私に挨拶をしに来た時に、私は確信をした。
 奈々穂の色の無い瞳を見て、この子は私を憎んでいるのだと分かったのだ。
 だから、私ははっきりとした声で言った。
「金城奈々穂さん。あなたは今から自由です。どうか、自由でいて下さい」
 願いを込めて。
「私の護衛をする必要はありません。好きなように、自分の思うように生きて下さい」
 精一杯の笑顔を見せて。
「それが、私があなたに発する、最初で最後の命令です」
 誰かに与えた事のない優しさを含めて。
「嘘じゃないからね」
 雨の音に消えないように。
「本当だからね」
 奈々穂は瞳を潤わせ、私に深く頭を下げた。
 これでいい。これで良かったんだ。
 けれど、本当は確かめたかったのかもしれない。
 こんな私にも、誰かの為に出来る事があるのかを。
 私は、誰かに憎まれるだけの存在じゃないって事を。
 窓の外を眺めながら、誰に言うわけでもなく、私は小さく呟いた。
「…雨…止まないね…」
 その日の夜に、雨は止んだ。
 私の心の雨は、まだ止まない…。

 
115 :Everytime,Everywhere・3:2006/04/02(日) 05:12:34 ID:FMdp6rHR

 奈々穂と再会した日も、同じように雨が降った日だった。
 あの日、私は家から逃げ出した。
 積み重なった苦しみに、私の心は限界だったのだ。
 能力を使って侍女を足止めして、目的も無く走った。
 もう力なんて使いたくない。
 どんなに全身が雨に濡れても、此処ではない何処かに行きたかった。
 無我夢中で走る私の腕を、誰かが突然掴んだ。
 神宮司の追っ手かと思った私は、懸命にその腕を振り解こうとした。
「落ち着いてっ!私を見てっ!」
 その声に目を開けると、私を追って来たのは奈々穂だった。
 何故、彼女が此処にいるのだろう。
 誰かの命令で私を追って来たのだろうか。
 自由にしていいと言ったのに。好きにしていいのに。
 私の願いは、やっぱり叶う事はないのだろうかと、軽い絶望感を味わった。
 所詮は神宮司に逆らえないのだろうか。
 そんな気持ちを全部彼女にぶつけるように言葉を並べると、奈々穂は優しい声で否定した。
 どれも違う、と。私の事が気になったから此処に来た、と。
 何かあったと訊かれても、答える事が出来ない私は、ただ涙を流す事しか出来なかった。
 奈々穂は何も訊かず、ただ傍にいてくれた。

 近くの神社で雨宿りをして、奈々穂が買って来てくれたアンパンを二人で食べた。
 初めて口にしたアンパンはとても美味しかった。
 私はあの味を、きっと一生忘れはしないだろう。
 夏の暖かい風が、濡れた服を乾かしてくれた。
 静かな雨の音に消えないような声で、奈々穂は私に言った。
「…ありがとう」
 私を自由にしてくれて。
 奈々穂の瞳は以前に見た時と違って、輝いて見えた。
 そして、捜していた夢を見つけた気がすると言った奈々穂の言葉に、私の方が嬉しくなった。
 奈々穂を自由にして良かった。
 誰かの夢を見つける手助けが出来たのだと、本当に嬉しかった。
 だから聴きたかった。奈々穂が見つけた夢の話を。
「あなたと一緒にいる」
 真っ直ぐな奈々穂の声が、私の死に掛けた心に優しく響いた。
「あなたを自由にする。あなたが私にしてくれたように、今度は私があなたを自由にする。それが私の夢になった」
 それは、何処かで聴いた言葉。誰にも言えなかった、私の本当の願い。
「嘘じゃないよ、本当だよ」
 最上級の微笑みを見せながら。

 
116 :Everytime,Everywhere・4:2006/04/02(日) 05:13:30 ID:FMdp6rHR

 その後、金城家の長男の一博さんの後押しもあって、私は学校へ通えるようになった。
 何がしたいかを考えて、一番最初に出た言葉だった。
 一族には、優秀な人材を神宮司に送り込むという名目をつけて説得した。
 そして、神宮司の所有する宮神半島に学園を作った。
 奈々穂は少し呆れていたけれど。
 あの日、一博さんは言ってくれた。
 私の隣りには、奈々穂がいる、と。親友がいる、と。
 奈々穂は私を奏と呼んでくれた。私も奈々穂と呼んだ。
 呼び捨てにする事もされる事もほとんどなかった私は、それが少し照れくさくて、嬉しかった。
 生まれて初めて出来た、友達だった。
 あの日。
 奈々穂と出逢ったあの日に降った雨は、空と大地を繋ぎ留めるように、私と奈々穂の心も繋ぎ留めてくれたのかもしれない。
 いつだって私の隣りに奈々穂はいてくれる。
 尽きない迷いから抜け出して、変わり始めてる私を見ていてくれる。
 だから、私も同じように、奈々穂の隣りに在り続けたい。
 この先に待っている、いろんな瞬間を一緒に感じたいから…。

 本殿から出ると、車の前にはもう奈々穂がいた。侍女が迎えに行ってくれたのだろう。
 奈々穂は、あの時と同じ笑顔を見せてくれた。
 見上げた空は、清々しい程晴れ渡っていた。
「…雨、上がったみたいね」
 同じように空を見上げた奈々穂は、穏やかに流れる雲を追いかけながら、どこか遠い目をしていた。
「…どうかした?」
「あぁ、ごめん、ちょっと昔の事を思い出してたの」
 雨を見て昔を思い出すなんて、私と同じだ。それが嬉しかった。
「…私もよ、奈々穂」
 二人で同じ場所を見つめるように、同じように空を見上げた。
 一つの姿を留める事が出来ずに、風に乗って形を変えていく雲のように、私達は同じ所でこのまま立ち止まれない。
 今はまだ、夢の途中。
 未知の経験は、今日も、これからもずっと続く。
 それでもまた、迷うかも知れないけれど。
 その時は、きっと奈々穂が私を救ってくれる。私が口にしなくても、きっと、何度でも。
 この先に広がるいろんな場所へ、一緒に行きたいから。

 言葉に出来るほど、簡単な想いではないけれど、心の底からあなたに伝えたい事がある。
 ありがとう、奈々穂。
 あなたが私の傍にいてくれた。
 あなたが私に居場所を与えてくれた。
 あなたが私を支えてくれた。
 あなたが私を絶望から救ってくれた。
 あなたが私の弱い心を掬い上げてくれた。
 本当に、ありがとう。
 もう、大丈夫。

 心に降り続いていた雨が、止んだ気がした……。