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661 :友達以上恋人未満親友以上姉妹以下 :2006/02/24(金) 14:35:46 ID:nA4Gx64k
「―――どうぞ」
ノックの音に算盤を弾く手を休めて、市川まゆらはドアの方を振り返った。

時、放課後。
所、生徒会室。
室内には彼女一人。
今の今まで、この場所に響くのは彼此数時間、算盤珠を弾く音と印刷紙に黒鉛を走らせる音だけであった。
にも関わらず、振り返った彼女の表情に疲れの色は見えない。
職業柄、とでも言うのだろうか。会計は天職―――と、自他共に認める所以である。

「…失礼しまーす」
一拍置いて返ってきたその声に彼女は、おや、と一抹の驚きを感じた。
予想していた、あの人当たりの柔らかさをそのまま音にしたような声ではない。
良く通る所はよく似ているが、その性格は正反対と言っても過言ではない、この声は―――

「…みなも?」
ドアを開け、中に入って来たのは、桂みなもであった。
―――どうしたのだろう。
彼女は内心、首を傾げた。
何時もこのくらいの時刻に決算報告に此処に来るのは、姉の聖奈の方なのだが。
―――それに、何と言うか…
「……………」
……何と言うか、すっごい御機嫌斜めに見えるのは、私の気の所為なのだろうか。

662 :友達以上恋人未満親友以上姉妹以下 :2006/02/24(金) 14:37:04 ID:nA4Gx64k
「…えーっと、どうしたのかな?」
そう口にした瞬間、彼女は自分で自分が可笑しくなった。
殆ど幼稚園くらいの子を宥めるような口調。当人には悪いが、無意識にこんな口調になってしまう。
対するみなもの方はと言えば、誰がどう見てもそうだと判るような―――不機嫌を絵に描いたような表情と声で、
「……決算の報告書、届けに来ました。…お姉ちゃんに頼まれて」
ずい、と書類の束を彼女に突き出した。
「え?…ああ」
―――『頼まれて』…ね。
なるほど、と彼女は自分でも驚くほどのスピードで、事態のほぼ全てを理解した。

……大方、聖奈に上手く言いくるめられて書類を届けさせられる羽目になった、という所だろう。
とは言え、聖奈とて理由も無く他人に仕事を押し付けるような人間ではないから、
恐らく本人に何か止むを得ない用事があったか、或いは―――
(……また、駄々でも捏ねたかな…)
パラパラと書類を捲りながら、彼女はチラリとみなもの顔を盗み見た。
―――もしそうだとすれば、理由――及び動機、は理解りきっている。
『購買の仕事、つまんない!』
と、
『あたしも遊撃に入りたーい!』
だ。

663 :友達以上恋人未満親友以上姉妹以下 :2006/02/24(金) 14:38:30 ID:nA4Gx64k
この"衝動"らしき代物は、発作的に、且つ定期的に込み上げて来るものらしい。
"衝動"を吐き出す度、その都度聖奈にあれこれと宥め賺されているのを、まゆらも幾度となく見ている。
最近は珍しく収まっている、と思っていたのだが……
「………」
やはり長く溜め込んでいた分、その反動も比例して大きくなるモノなのだろうか。
どうやら今回ばかりは、流石の聖奈でも完全に宥め切る事は出来なかったらしい。
そこを「無理矢理」に決算報告に「行かされ」て―――本人としては非常に面白くないだろう。

「―――うん」
まゆらは書類から目を離すと、みなもの方へ向き直って、
「確かに受け取ったわね。ありがとう、みなも」
―――何はなくとも、他人の功業は真っ先に認めて、感謝の意を示すこと。
特に―――こういうタイプの子は、褒めて伸ばす。
まゆらとて、それ位の事は心得ている。
と言うよりそれは彼女の人間性であって、生来身に付いているモノなのであるが―――今回は特に、
それを意識して―――心肝に留めて、彼女は言葉を発していた。

「…別に…あたし、ただお姉ちゃんに頼まれただけですから」
しかし、こういう状態の人間には得てして、そのような類の期待は簡単には届かない。
何時もなら照れ笑いでその言葉を受け入れるみなもも、今回ばかりは刺のある口調に、無表情で反応も薄い有様。
「そ、そんな事……コレは購買部として立派な仕事だし―――」
当人としては「予想以上」の反応に、まゆらはつい弁解めいた口調になってしまう。
半ば必死にフォローしようとする彼女だが―――それは最早、逆効果にしかならない。
言葉を紡げば紡ぐほど、それは却って取り繕うような、唯の単語の羅列になっていく。

664 :友達以上恋人未満親友以上姉妹以下 :2006/02/24(金) 14:40:04 ID:nA4Gx64k
「…立派な仕事?」
みなもは上目遣いで、睨み付けるように彼女を見る。
「そんな仕事―――そんな書類なんて、あってもなくても大して変わらないじゃない!」
室内に響き渡る声。
吐き捨てるようなその言葉に―――まゆらの表情が、瞬時に強張る。
「……会計として、その言い方はちょっと聞き捨てならないわね」
そう言って彼女は、みなもの顔を真直ぐに見据えた。

「―――いい?これはとっても大事なモノなの。
確かに作業自体は地味だし、書いてあるのも数字ばかりで訳が解らないかも知れない。
だけど、この紙切れが一枚無くなっただけで、この学園の何処かの機能が破綻してしまう。
今まで当たり前のように出来ていた事が、この紙一枚燃やしただけで簡単に出来なくなるの」
「…………」
そう言って俯く彼女の顔は、真剣そのものであった。
その表情は最早、学内唯一無二の会計士としてのそれに他ならない。
「この学園は生徒達の力で動いているから―――だからこそ、脆い。
途轍も無く繊細なバランスを保っているのよ、この場所は。今が当たり前のように平和なのが、信じられないくらい。
だから、土台が無いといけない。
この学園をしっかりと支えていける――私達の平和を決して揺るがす事の無い――確かで、丈夫な土台。
財力が土台なんて、なんて思うかも知れないけれど―――少なくとも極上生徒会の会計である私は、そう信じてる。
そして、縁の下でその土台を―――皆の平和を造る役目を担うのが、会計である私と」
其処まで言うと、彼女は手元の書類から目を離して、みなもの居る方に目を遣った―――所で。

彼女の言葉が、ぷつりと途切れた。




665 :友達以上恋人未満親友以上姉妹以下 :2006/02/24(金) 14:41:43 ID:nA4Gx64k



「……―――!?」
突然胸を押さえて苦しみ出したみなもの様子を、まゆらは暫くの間、まるで自分がその光景を
俯瞰的に――自分も含めて――眺めているような錯覚を覚えながら、唯呆然と見ている事しか出来なかった。
膝を床に落とし、その侭ゆっくりと―――崩れるように倒れ込むみなも。
「ちょっ…どうしたの!? 大丈夫っ!?」
漸く我に返ったまゆらは、倒れたみなもの元へと急いで駆け寄った。
硬い床に身を横たえるみなもは息も絶え絶え、歯を食い縛って苦悶の表情を浮かべている。
「……っ」
持病の発作が起きたのだろうか。
どうしよう。
どうすればいい。
どうすれば。
まゆらは半ば混乱していた。
もつれそうになる足を何とか動かしながら、壁掛けの電話に飛び付く。
「とっ、とと取り敢えず救急車―――あ、あれ?救急車って何番だっけ?…えぇ…と、ひゃ、110番?」
「警察呼んでどーするのよ」
「あぁぁ違う違う違うっ!えぇと確か、確か…117!」
「それは時報」
「ああぁあもう何やってんの私っ!?
平常心よ平常心!落ち着いて落ち着くのよ落ち着きなさい市川まゆら!
深呼吸、深呼吸っ……ふぅ………えぇと―――そうだ、177!」
「…まゆら先輩…わざとじゃないよね?」
「だって本当に思い出せないのよ!こんな事初めてだし、早くしないとみなも―――――え??」
濁点でも付きそうな声を発して、宛らロボットのように、ゆっくりと後ろを振り返るまゆら。
殆ど涙目になっている彼女の眼に移ったのは―――机に頬杖を突き、半分は呆れ顔、半分は得意顔、
といった視線を彼女に向ける、紛れも無い桂みなもの姿であった。

666 :友達以上恋人未満親友以上姉妹以下 :2006/02/24(金) 14:42:58 ID:nA4Gx64k
「―――………………」
目を点にして、言葉も無く立ち尽くすまゆら。
一方のみなもは、正に悪戯の成功した子供、という顔――事実、それは本当に嬉しそうな表情であった――で笑う。
「あはははは!びっくりしたびっくりした?
私お説教って苦手で苦手で、たまにこうやってやり過ごしてるんだ。
あ、お姉ちゃんには昔からどうやってもバレちゃうんだけど。
でもでも結構上手だったでしょ?騙されたでしょ?あたしの演技!
子役なんて随分昔に辞めたけど、まだまだ演技のウデは鈍ってないと思うんだよねー、あたし。
自分でも手応えがあるってゆーか、何て言うのかな、磨けば光るってヤツ?
あーあ、子役辞めたの勿体無かったかなぁ。コレを機に芸能界に復帰しようかなー?なーんちゃって!
ねぇねぇ、まゆら先輩はどう―――」

パン。

乾いた音。
室内に響くその音が、心なしかやけに大きく聞こえたような気がした。―――みなもにも、まゆら自身にも。