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561 :君が笑ってくれればいい・1 :2006/02/11(土) 17:37:50 ID:+m2W3c7/

  私には、何もありません。
  優れた才能も無ければ、特別な能力もありません。
  プッチャンや奏会長は、神宮司の能力がどうとか言ってたけど、私には良く分かりません。
  悪運の強い、ただのドジっ子です。
  だから、これは私の単なる我侭なんです。
  あの人と一緒にいたい。あの人に笑って欲しい。
  あの人にとって特別な存在になれなくてもいいんです。
  ほんの少しでも、一緒にいたいだけなんです。
  これは私の我侭なんです。
  ほんの小さな、願いなんです。

「はぁ……」
 部屋の中で大きな溜息を吐く。
 机の上に広げられたノートの上にシャープペンを置く。
 ペンフレンドであるミスターポピットへの手紙を書いてたけれど、筆がちっとも進まない。
『何だよ、りの。溜息なんか吐いて、何かあったのか?』
 左手につけていた私の親友、プッチャンが心配そうに私に声を掛けてくれた。表情は変わらないけど。
「プッチャン……」
『そういや、今日は飯を御代わりしなかったなぁ。どっか具合でも悪いのか?』
「…ううん、何でもないよ、プッチャン」
 何とか笑顔を繕ってみたけれど、プッチャンは納得がいかないみたいだった。
『何でもない訳ねぇだろう?それとも、俺には言えないのか?』
「………」
 何も言えずに俯いていると、プッチャンは私の頭を撫でた。
 傍から見ると、自分で自分を慰めているようで何だかおかしい格好になった。
「プッチャン…」
『よく分かんねぇけど、あんまり一人で考え込むなよ?お前は一人じゃないんだからな…」
 お母さんはもういないけど、此処には極上生徒会の皆がいる。
 プッチャンの優しい言葉に、胸が熱くなる。
「…ん、ありがとう、プッチャン」
 心配してくれる親友に向けて、今度は本当の笑顔を見せる事が出来た。


562 :君が笑ってくれればいい・2 :2006/02/11(土) 17:40:28 ID:+m2W3c7/

 翌日の朝、教室の自分の席に座っていると、登校してきたアユちゃんが驚いた顔をしていた。
 挨拶を交わすと、アユちゃんはそのまま私の隣の席に座った。
「珍しいね、りのがこんなに早いの」
「そ、そうかな…」
 確かにいつも私はアユちゃんよりも遅く登校してくる。
 でも、今日は何だか早い時間に目が覚めて、いつもよりも早く寮を出た。
「…あれ?りの、プッチャンは?」
「え…?」
 アユちゃんの問いかけに、自分の左手を見た。常に在るべき親友の姿がそこにはなかった。
「……あぁぁぁーっ!?忘れて来たぁぁーっ!!」
 勢いよく椅子から立ち上がり、絶叫してしまう。
 道理で朝からやけに静かだと思った。と言うか、今日は寮でも誰かと話をした記憶がない。
 もしかしたら誰かに話し掛けられたのかもしれないけれど、私は気付いていなかったのかもしれない。
 実際、アユちゃんだって肩を叩かれるまで気付かなかった。
 突然出した大声で驚かせてしまったクラスメイトに謝罪をして、私は再び椅子に座った。
「……はぁ…」
「ねぇ、りの?最近変じゃない?」
「………」
「授業中とかも上の空だし、溜息ばっかりだし、親友のプッチャンまで忘れてくるし。何かあった?」
 私が一人で勝手に悩んでいると、色んな人を心配させてしまう。
 嬉しいけれど、何だか情けない気持ちにもなった。
 周りが少しずつ賑やかになってくる。登校してくる生徒の数が増えてきた。
「…あのね…アユちゃん…」
 小さな声は、周囲の声に掻き消されそうだったけれど、アユちゃんはその声をちゃんと受け止めてくれた。
「…何?」
 優しい声。昨日の夜のプッチャンと同じ位、優しい声。
「…アユちゃん…私…」
「うん?」
 言葉にするにはまだ躊躇ってしまう曖昧な感情。だけど、早くこの気持ちをはっきりさせたい。
 溜息ばかり吐いていたら、周りの人を困らせてしまうから。
 私はアユちゃんの正面に向き直り、真っ直ぐに目を見つめて言った。
「…私…何か変なんだぁ…」
「いや、それもう私が言ったし…」
「あ、そ、そっか。うんと、変っていうか、おかしいっていうか、そのぉ…」
「だから、何が変なの?」
 上手く説明出来ない私を、アユちゃんは辛抱強く促してくれた。
「…何か、よく分からないんだけどね…気付いたら、ずっと考えてるの…」
 私はゆっくりと、自分の気持ちをアユちゃんに話し始めた。


563 :君が笑ってくれればいい・3 :2006/02/11(土) 17:41:50 ID:+m2W3c7/

 あの人と出逢ったのは、極上寮の改装工事が終わって間もない頃だった。
 聖奈先輩から言われて、みなもちゃんと一緒に隠密のお手伝いを頼まれた時。
 手伝いは不要だと言って姿を消したり、教室に行っては追い出され、私達がいない事が一番いい事だと言っていた。
 確かに実際に何の役にも立てなかったけど、私は少し淋しかった。
 とても無口な人だった。あまり表情の変わらない人だった。いつも一人でいる人だった。
 その後も、何度かあの人と行動を共にした事があった。
 何処かの企業の悪い事を調査した時、結局は私がドジをしてしまって任務が失敗してしまったり。
 懲りないみなもちゃんと一緒に教室を訪ねては、いつも上手にかわされた。
 いつも迷惑を掛けてしまう。いつも困らせてしまう。
 でも、私は知っている。私達を見つめる、あの人の優しい眼差しを。
 とても無口な人だった。あまり表情の変わらない人だった。いつも一人でいる人だった。
 だから、余計に気になった。理由を、気持ちを知りたくなった。
 どうして多くの言葉を使わないのか。どうして表情が変わらないのか。どうしていつも一人でいるのか。
 でも、そんな事訊ける訳がない。答えはきっと『隠密だから』ってはぐらかされると思うから。
 それでも少しでもあの人に近付きたくて、少しでもあの人の事を知りたくて。
 あの人は『隠密に笑顔なんか必要ない』と言っていた。それでもあの人の笑顔を見たいと思った。
 隠密である事が周りの人に知られたくないから、生徒会のメンバーと一緒にいたくないって事も分かってる。
 望んで一人でいるって分かってる。逢いに行っちゃ駄目だって分かってる。
 逢いたくなっちゃ駄目だって、何度も自分に言い聞かせても、それでもやっぱり逢いたくて。
 気付いたら、毎日あの人の事を考えている。
 困らせるだけだって分かっていても、あの人の傍にいたい。
 ほんの少しでもいいから、あの人と一緒にいたい。
 例えそれが私の我侭だとしても…。

「……あ、あのさぁ…りの…」
「へ?何、アユちゃん?」
 一通り話をした所で、アユちゃんが口を開いた。
 その顔は少し紅潮していて、少し呆れた表情だった。
「りのは、そのぉ…何でその人の事を考えてるのかが分からないんだよ、ね…?」
「?…う、うん…」
「気付いたらその人の事を考えてて、用もないのに逢いたいとか思ってるんだよね?」
「うん…」
 何となくその人の名前は伏せた。同じ隠密のアユちゃんなら直ぐに気付いてしまうかもしれないけど、名前を出したら、何だか恥ずかしい気がして。
「…それってさぁ」
「うん」
「恋、じゃない?」
「へ?」
「……好きなんじゃないの?」
「好き?」
「あ〜、だからぁ、その人の事」
「誰が?」
「…りのが…」
 私が、あの人の事が好き…?
「…え……えぇぇぇぇぇーっ!?」
 教室に、本日二度目の絶叫が響き渡った。


564 :君が笑ってくれればいい・4 :2006/02/11(土) 17:42:53 ID:+m2W3c7/

 その日の授業の内容は、いつも以上に理解出来なかった。ただでさえ頭が悪いのに、ちっとも意味が分からない。
 昨日まで憶えていた数式の一つだって出てこないまま、気付いたらもう放課後になっていた。
 こんな時プッチャンがいれば、気持ちを整理させる事が出来たかもしれないのに。
 それでも考えてしまうのは、あの人の事ばかり。
 私は一体どうすればいいのだろう。恋と言われてもよく分からない。恋なんてした事がない。
 好きかどうかと言われたら確かに好きだけど、それはお母さんとか、プッチャンとか、アユちゃんとかに向ける好きとは少し違う。
 好きに違いがあるのなんて知らないけれど、それが恋だとすれば納得がいく。
 でも、恋は男の子とするものだと思ってたから、今一しっくりこなかった。
 今日は会議がない。でも、この気持ちが何なのかを知りたくて、私は生徒会室に向かった。
 先輩達なら教えてくれるかもしれない。恋とか、好きとか。
 廊下を通り、突き当たりの階段を下っていると、見覚えのある後ろ姿があった。
 その人は少し薄暗い階段脇に立ち止まり、窓の外を静かに眺めていた。
 中等部の制服、短い黒髪、背筋を真っ直ぐに伸ばした綺麗な立ち姿。今までずっと考えていた人の背中。
 …トクン…と、鼓動が小さく跳ねた気がした。
「琴葉…先輩…」
 無意識に紡いだ言葉は小さくて、僅かな風に攫われたら消えてしまうほど弱かった。
 それでも、その人に届いたのか、ゆっくりと振り向いて、私を見上げていた。
「…りの、か」
「こ、こんにちは!」
 琴葉先輩は一度瞬きをしてから、視線を戻し、また窓の外を見つめていた。
 空はどこまでも高く、真っ青だった。
 転ばないように一段一段、階段を下りると、琴葉先輩の隣に立って、同じように空を見上げた。
 何処を見つめているのかを知りたくて、同じ景色を見つめたくて、視線を漂わせた。
「何か用か?」
「え、あ、べ、別に、これといっては…」
 琴葉先輩は私の方を見ずに、小さな溜息を一つ溢した。
 ほんの少し低い声。それを聴くだけで、自然と胸は高鳴った。
「今日は、みなもは一緒じゃないのか」
「あ、は、はい!」
「?」
 恋かもしれないと、色々考えて意識してしまったからなのか、話し掛けられるだけでビクッとしてしまう。
 琴葉先輩が私の方を見たのが分かった。分かったけど、横を振り向く事が出来ない。
 ただ傍にいるだけで、身体の中から熱が湧き上がってくる。
 自分の身体なのに、何が起きているのか理解出来ない。
 黙って俯く事しか出来ない私の隣を、琴葉先輩は何も言わずにいてくれた。いつもだったら直ぐに姿を消してしまうのに。
 理由もなく隣にいてくれる事が、とても嬉しかった。
 言葉を交わす事もなく、二人で静かに空を眺めていた。
 次第に落ち着いてきた私は、いつしかその空気を心地良く感じるようになった。


565 :君が笑ってくれればいい・5 :2006/02/11(土) 17:45:44 ID:+m2W3c7/

「琴葉」
 突然、時間が止まったような感覚に襲われる。
 背後から投げられた言葉に二人で振り返ると、副会長さんが階段を下っていた。
 琴葉先輩を覆っていた空気が変わった気がしたのは気のせいだろうか。
「此処にいたんですのね。電話も通じなかったからどうしたのかと…あら、蘭堂さんと御一緒でしたの?」
「えっ、あ、いや、その…」
「…何か御用ですか、副会長?」
 しどろもどろになる私を置き去りにして、二人は話を始めた。
「えぇ、実は急で申し訳ありませんが、調べて欲しい事があるんですの」
 どうやら隠密の任務の相談らしく、私は黙っていた。その場を離れようと思ったけれど、何だか離れ難かった。
 部外者の私がいても支障はないのか、二人は話を進めていった。
 ほんの少しの疎外感。それが仕方の無い事だと分かっているのに。
 待っている間、私は一人で空を仰いだ。
 小鳥が二羽、仲良く木の枝に寄り添っている。番なのだろうか。
 一羽がくちばしを使ってもう一羽の小鳥の羽を撫でている。その微笑ましい姿を見つめていると、二人の会話も一段落したみたいだった。
「では、よろしく頼みますわ、琴葉…」
 そう言って、副会長さんは微笑んでいた。その時に、気付いてしまった。
 副会長さんが『琴葉』と呼ぶ事に。
 誰かを呼び捨てにしているのなんて聞いた事がない。
 目の前が一瞬、真っ黒になる。ドクン…と、鼓動が静かに響く。
 ハッとして琴葉先輩の方を見ると、いつもと変わらない無表情。けれどどこか穏やかな雰囲気を醸し出していた。
「……っ」
 副会長さんは私の隣を通り過ぎ、そのまま階段を下りていった。その背中を見つめていると、胸を締め付けられるような痛みを感じた。
 靴音が、やけに大きく聞こえる。
 分からない。自分に今、何が起きているのか。
「……りの?」
「え…」
 琴葉先輩の声で、漸く我に返る。声のする方を振り向くと、表情こそ変わらないものの、どこか心配そうな顔をしていた。
「どうした、りの?」
「あ、な、何でも…ないです…」
 何故か顔をまともに見れなくて、私から顔を反らした。声が、震える。
「何でも無い訳ないだろう。具合でも悪いのか?」
「……」
 何でだろう。いつもは話が出来るだけで嬉しいのに、今は声を聴く事が何だか苦痛に感じる。
 そうして何も言えずに俯く私の手を、琴葉先輩は何も言わずに握ってくれた。
「!?」
「…熱は…無い様だな」
 いつの間にか琴葉先輩は私の額に手を当てていた。冷たい手だった。何故かとても気持ちよかった。


566 :君が笑ってくれればいい・6 :2006/02/11(土) 17:47:06 ID:+m2W3c7/

「一応、保健室で診て貰った方がいいかもしれないな…一人で行けるか?」
「……」
 別に具合が悪いわけじゃない。保健室に行く気も無い。
 琴葉先輩は、これから副会長さんに頼まれた隠密のお仕事があるのも知っている。邪魔をしちゃいけないって分かってる。
 でも、琴葉先輩から握ってくれたこの手を、放したくなかった。
 風が強く吹いたのか、窓の硝子がカタカタと音を立てて揺れていた。
「………」
 すると、琴葉先輩は無言のまま、繋いだ手をそのままに歩き出した。
 顔を上げても、半歩先を歩く琴葉先輩の顔は見えず、微かに横顔が見えただけだった。
 二人で階段を下りて行く。保健室に向かって歩きながら、私は朝のアユちゃんの言葉を思い出していた。

―――いやぁ、そりゃあ私も恋とかまだ分からないけどね。
   理由もなく逢いたいとか、その人の事ばかり考えたりとかって、好きだからそう思うんじゃない?
   だったらそれを素直に伝えなきゃ。
   それにさ、その人の特別な存在になれなくてもいいって言うのは、りのはどこか諦めてるんじゃない?
   なりたいけど、なれないって、勝手に決め付けてるだけなんだよ。
   その人が他の人と仲良くするのなんて嫌じゃないの?
   笑って欲しいなら、自分が笑わせてやるって思わなくちゃ。
   りのは、何にも無い訳じゃないんだよ。りのにしか出来ない事だってあるんだから!
   …え?た、例えば…あ、ほら、ご飯をいっぱい食べるとことか!
   ……だ、だからさ、取り敢えずは好きなら好きって、自分の気持ちを伝えてみなよ。
   誰かに何かを願うなら、そういうとこから始めなきゃ。ね?―――

 …うん。そうだね、アユちゃん。何となく、分かった気がするよ。
 繋いだ手を、放したくない。このまま離れたくない。
 笑って欲しい。私に笑顔を見せて欲しい。
 副会長さんに向けるような、穏やかな空気を私にも感じさせて欲しい。
 琴葉先輩にとって、この想いは迷惑なだけかもしれないけれど。
 それでも、伝えたい。私の真っ直ぐな気持ちを。
 歩く足が止まるのに気付いて、前を見ると、保健室の扉が目の前にあった。
 琴葉先輩は扉を開けて中に入り、人がいないかを確認していた。
「…そういえば、平田先生は出張だったな…」
 独り言のように呟いて、部屋を仕切っているカーテンを開いた。
 真っ白なベッドの方に私を歩かせると、琴葉先輩は携帯電話を取り出した。
「本当は寮に戻って休んだ方がいいかも知れないが、取り合えず此処で休んでいろ。今、会長に連絡…――」
「あの、琴葉先輩っ!」


567 :君が笑ってくれればいい・7 :2006/02/11(土) 17:48:25 ID:+m2W3c7/

 琴葉先輩の言葉を遮って私は少し大きな声を出してしまった。
 驚いた顔を一瞬だけ見せてから、直ぐに表情を戻していた。
「…何だ」
「…あ、あの…」
 咄嗟に声を出したけど、何を言えばいいのか分からない。
 アユちゃん…気持ちを伝えるって、どうすればいいの?いきなり好きって言っていいのかなぁ…。
 それによく考えたらこれが告白ってやつなんだよね。そんな事を意識したせいか、何だか顔が熱くなってきた。
 呼び止めておいて、何も言わないなんて変に思われる。一体どうすればいいのだろう。
 すると、黙って次の言葉を待っていた琴葉先輩が不意に動き、ベッドの上に腰掛けた。
「……」
 それでも私は何も言えなくて、その一連の動作を見つめていた。
 私よりも下にある目線。その瞳は、私を真っ直ぐに見つめていた。
 鼓動が大きく跳ねたのは、やっぱりこの人が好きだからなんだろう。
「…りの…」
「は、はいっ!?」
 思わず声が裏返る。心臓は益々早く、大きく脈打った。
「…何かあったのか?」
「え?」
 琴葉先輩の手が、再び私の手を握る。先程と違って、何だか温かかった。
「…元気がないりのは、らしくないな…」
「私、らしくない、ですか…?」
「…普段は無駄に元気だ」
「う…」
 何だか痛いところを突かれたような…。
「みなもと一緒になって…目的も無く走り回っている」
「か、返す言葉もありません…」
 そんなに考えなしに行動しているように見えたのだろうか。でもはっきりと否定出来ない自分が情けない。
 琴葉先輩は反対側の手を取ると、今度は指を絡めるように手を重ねた。
「こ、琴葉先輩…?」
 いきなりの行動に思わず動揺する私をよそに、話を進めた。
「…みなもがいないから、元気がないのか…」
「え?」
「…一人で私といても、面白くないだろう…」
「琴葉先輩…?」
 琴葉先輩が何を言っているのか、何を言おうとしているのかがよく分からないけど、何だかとても悲しい色を含んだ声だった。
「りの…私は…」
 僅かに俯いて、次の言葉を躊躇するように。私はどうしていいのか分からずに、ただ黙って待っていた。
 繋いだ両手に僅かな力が込められると、琴葉先輩は顔を上げた。
「私は、笑っているりのが好きだ…」
「……え…」


568 :君が笑ってくれればいい・8 :2006/02/11(土) 17:49:25 ID:+m2W3c7/

 見えない何かに心臓を鷲?みにされたような、そんな感覚。
 胸が、顔が、身体が熱い。
 目の前のこの人は、今、何て言ったのか。
「りのが笑うと、私は嬉しい…」
「こと、は、せんぱ…」
「…だが、私といる事でお前の笑顔がなくなってしまうなら、お前は私といるべきではない」
「っ!?」
「お前が笑ってくれなければ意味がない…なら…」
「ち、違いますっ!」
 誤解をさせてしまっていた。違う。そうじゃないのに。私が何も言わないばかりに、この人を悲しませてしまっていたんだ。
「私は…私は…」
 悩んでばかりいないで、もっと早く伝えるべきだったんだ。
「私は…琴葉先輩が…」
「りの…?」
「琴葉先輩が…す、好きなんですっ!」
 困らせたくなかった。そう思っていた。でも今は、安心させたい。
 あなたの事ばかりを考えて、笑う事すら忘れてしまっていた事を。
「り、の?」
 琴葉先輩は普段のポーカーフェイスが崩れ、見た事の無い顔をしていた。
「少しでも一緒にいたいんです…もっと琴葉先輩の事、知りたいんですっ…」
 目頭が熱くなって、視界が歪んだ。琴葉先輩の整った顔がまともに見えない。
「私、バカだから…一緒にいても、迷惑ばかり掛けちゃうけど…それでも一緒にいたいんです」
「りの…」
「私じゃ駄目ですか?琴葉先輩の特別になれませんか?」
 瞳から一つ、涙が零れ落ちた。それがまた一つ、二つと頬を流れていく。私は目を閉じて、ずっと願っていた事を口にした。
「私…琴葉先輩に笑って欲しいんですっ…!」
 突然、身体が前に引き寄せられた。一瞬何が起きたのか分からずに、恐る恐る目を開ける。
 目の前には琴葉先輩の肩。さらさらの黒髪が頬を撫で、背中には温かな温もりを感じた。
 私は琴葉先輩に、抱き締められていると脳が理解するまで、たっぷり数秒の時間が必要だった。
「こ、琴葉先輩…」
「…言ったはずだ。隠密に笑顔なんて必要ない、と…」
 耳元から直接声が響く。心拍数は上昇するばかりで、限界を知らない。
「でも…」
「私の代わりに、りのが笑ってくれればいい」
 僅かに密着させた身体に隙間を作り、互いの顔を正面に捉えた。
 琴葉先輩は、微かに微笑んだ。その優しい表情は、初めて見た笑顔だった。
「私は隠密だ。だからいつもお前の傍にいる事なんて出来ない」
「……」
「だけど、お前に出逢って、私は漸く自分が此処にいる理由が分かったんだ…」


569 :君が笑ってくれればいい・9 :2006/02/11(土) 17:51:21 ID:+m2W3c7/

 そう言って、繋いだままの片方の手を解き、私の頬に触れた。
「生徒達の…お前の笑顔を守る事が、私の最優先事項なんだ」
 頬に触れていた指がゆっくりと滑って、涙の流れた跡をなぞった。
「こと、は、せん、ぱい…」
「…だから笑ってくれ、りの…」
「ふ、ぅううぅ…」
 笑いたいけど、一度緩んだ涙腺に拒まれて、涙がぽろぽろと次々と溢れてくる。
 琴葉先輩に好きだと言われて嬉しくて、幸せで。涙が止まらない。
「ひっく、う、ううぅ…」
「…り、りの…取り敢えず鼻をかんでくれ…」
 そう言って綺麗にたたまれたハンカチを手渡された。どうやら涙と一緒に鼻水も出てしまっていた。ものすごく恥ずかしい。
「う、ず、ずみまぜん…」
 鼻声になりながら、ハンカチで涙を拭った。さすがに鼻を拭くのは申し訳ない気がした。
 その間、琴葉先輩は私を優しい瞳で見つめてくれていた。
 やっと落ち着いてきた私は、今更自分の大胆な告白を思い出し、再び顔を赤くした。
 勢いとはいえ、とても自分の口から出た言葉とは思えない。
「…落ち着いたか?」
「あ、は、はいっ」
 本当はまだ心臓がバクバクしていたけど、これ以上待たせる訳にもいかず、私は頷いた。
 琴葉先輩は立ち上がって、僅かに乱しれシーツを直した。
「…帰るぞ、りの」
 私達は手を繋いで保健室を後にした。入って来た時と同じように手を繋いで。でも、気持ちだけは違ってた。
 太陽は西に傾いて、空をオレンジ色に染めていた。
 人気の無い廊下を歩きながら、私は繋いだ二人の手を見つめていた。
「りの」
「はい?」
「…明日は隠密の仕事がある。だから明日は会えない」
「……はい」
 今まで毎日会っていたわけじゃないけど、互いに好きだと伝えたから期待してた。はっきり口に出されると、やっぱり少し落ち込むもので。
 でも。
「…仕事が片付いたら…逢いに行く」
「え?」
 琴葉先輩の口から出た言葉は、初めて聴いた言葉だった。
「か、勘違いするな!お前が来て、私が隠密だと周りに知られると困るからだ!」
 慌てた口調で、怒ったみたいになっていたけど、私はとても嬉しかった。
 だから私は、満面の笑みで頷いた。
「はいっ!」

――拝啓、ミスターポピット。
 泣いたり、笑ったり、色々悩んで大変な毎日を過ごしているけど。
 あなたが与えてくれたかけがえの無いこの場所で、尊い時間の中で、大好きな人達に出逢えました。
 私は今、とっても幸せです!