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主要打者通算打率推移

名球会の存在で2000本安打が名選手の基準のようになっているが、もうひとつ、終身打率3割も打者にとって勲章であろう。 しかし単純な積み重ねの安打数と異なり打率は変動するので、結果だけ見たのではよくわからない部分もある。 そこで3割を残した人、残せなかった人も含めて、主要打者の各年度毎の通算打率推移をまとめてみた。
(プロ入り順。4000打数以上。赤数字の年は打率首位。2006年終了時点)


藤村 富美男
年度年齢所属打数-安打打率通算打数-安打通算打率
1936春20大阪37-11.29737-11.2972
1936秋20大阪52-18.34689-29.3258
1937春21大阪105-25.238194-54.2783
1937秋21大阪126-40.317320-94.2937
1938春22大阪146-44.301466-138.2961
1938秋22大阪164-43.262630-181.2873
194327阪神124-25.202754-206.2732
194428阪神130-41.315884-247.2794
194630阪神375-121.3231259-368.2922
194731大阪481-132.2741740-500.2873
194832大阪572-166.2902312-666.2880
194933大阪563-187.3322875-853.2966
195034大阪527-191.3623402-1044.3068
195135大阪410-131.3203812-1175.3082
195236大阪475-149.3144287-1324.3088
195337大阪459-135.2944746-1459.3074
195438大阪422-115.2735168-1574.3045
195539大阪349-94.2695517-1668.3023
195640大阪105-23.2195622-1691.3007
195741大阪----5622-1691.3007
195842大阪26-3.1155648-1694.2999
ミスター・タイガース藤村富美男は1956年で現役を退き、それまで選手兼任だった監督に専任した。 この時点で3割8毛と、通算打率3割を上回っていた。 ところがタイガースお家芸のゴタゴタで監督を辞任し、現役に復帰することとなった。しかし41才の年齢、 そして1年のブランクは大きく、結局通算打率を下げ3割を僅かに切る結果になってしまったのである。 尤も、戦争で20代の大半を野球選手としては無駄にしながらでのこの生涯成績は、立派の一言に尽きるだろう。


川上哲治
年度年齢所属打数-安打打率通算打数-安打通算打率
1938春18巨人35-7.20035-7.2000
1938秋18巨人133-35.263168-42.2500
193919巨人343-116.338511-158.3092
194020巨人392-122.311903-280.3101
194121巨人339-105.3101242-385.3100
194222巨人274-73.2661516-458.3021
194626巨人279-85.3051795-543.3025
194727巨人443-137.3092238-680.3048
194828巨人504-150.2982742-830.3027
194929巨人545-180.3303287-1010.3073
195030巨人559-175.3133846-1185.3081
195131巨人374-141.3774220-1326.3142
195232巨人478-153.3204698-1479.3148
195333巨人467-162.3475165-1641.3177
195434巨人510-164.3225675-1805.3180
195535巨人435-147.3386110-1952.3194
195636巨人490-160.3276600-2112.3200
195737巨人465-132.2847065-2244.3176
195838巨人435-107.2467500-2351.3134
打撃の神様・川上哲治は、のちに張本に抜かれるまで長らく終身打率1位の記録を保持していた。 仔細に見ると、引退2年前の36才の年に通算打率が生涯最高の3割2分にまで上がっている。 先の藤村でもそうだが、戦前・戦中派は粗悪な環境などの影響で、戦後世代より通算成績の上では損をしている部分がかなり大きい。 川上の場合も本領を発揮したのは戦後の約10年間ということで、通算打率のカーブもやや右肩上がりの線を描くようである。

大下 弘
年度年齢所属打数-安打打率通算打数-安打通算打率
194624セネタース395-111.281395-111.2810
194725東急435-137.315830-248.2988
194826急映496-132.2661326-380.2866
194927東急476-145.3051802-525.2913
195028東急401-136.3392203-661.3000
195129東急321-123.3832524-784.3106
195230西鉄355-109.3072879-893.3102
195331西鉄443-136.3073322-1029.3098
195432西鉄514-165.3213836-1194.3113
195533西鉄469-141.3014305-1335.3101
195634西鉄347-90.2594652-1425.3063
195735西鉄395-121.3065047-1546.3063
195836西鉄199-44.2215246-1590.3031
195937西鉄254-77.3035500-1667.3031
青バットで名を馳せた大下弘は戦後プロ入りして実働期間が短かったため、2000本安打などの記録には届かなかったが、生涯打率3割を残している。 ちなみに1958、9年と言うのは新旧入れ替わりの時期に当っており、川上、藤村、小鶴誠、西沢道夫、そしてこの大下と 戦後の打撃スターが相次いで引退する一方で、長嶋、王、張本、江藤らのちに記録を残す打者たちが続々とプロ入りしているのである。

与那嶺 要
年度年齢所属打数-安打打率通算打数-安打通算打率
195126巨人181-64.354181-64.3536
195227巨人474-163.344655-227.3466
195328巨人365-112.3071020-339.3324
195429巨人477-172.3611497-511.3413
195530巨人424-132.3111921-643.3347
195631巨人452-153.3382373-796.3354
195732巨人467-160.3432840-956.3366
195833巨人467-137.2933307-1093.3305
195934巨人432-124.2873739-1217.3255
196035巨人399-91.2284138-1308.3161
196136中日146-26.1784284-1334.3113
196237中日14-3.2144298-1337.3111
日系2世のウォーリー与那嶺はフットボーラーから負傷のため野球に転向し、 サンフランシスコ・シールズのファーム・チームで活躍したのち1951年5月に来日した。 この年、規程打席不足ながら3割5分4厘を打って以降、通算打率が3割を下回ったことが1度もない。これは4000打数以上の打者では他に若松勉とリー兄弟、ブーマーしかいないのだから快挙と言っていいかもしれない。4000打数に到達した時点で川上を抜き一時は 通算打率トップに立っていたが、その後2年間の低打率で結局再び川上に1位の座を明渡して終った。

中西 太
年度年齢所属打数-安打打率通算打数-安打通算打率
195219西鉄384-108.281384-108.2813
195320西鉄465-146.314849-254.2992
195421西鉄493-146.2961342-400.2981
195522西鉄473-157.3321815-557.3069
195623西鉄462-150.3252277-707.3105
195724西鉄486-154.3172763-861.3116
195825西鉄404-127.3143167-988.3120
195926西鉄153-45.2943320-1033.3111
196027西鉄47-17.3623367-1050.3119
196128西鉄253-77.3043620-1127.3113
196229西鉄71-19.2683691-1146.3105
196330西鉄216-61.2823907-1207.3089
196431西鉄40-6.1503947-1213.3073
196532西鉄51-15.2943998-1228.3072
196633西鉄51-14.2754049-1242.3067
196734西鉄36-10.2784085-1252.3065
196835西鉄25-10.4004110-1262.3071
196936西鉄6-0.0004116-1262.3066
「怪童」と言われた中西太は故障のため目立った打撃通算成績を残せなかったが、通算打率は3割を維持した。3割6厘6毛はのちに落合に抜かれるまで右打者の最高記録だったのである。

山内 一弘
年度年齢所属打数-安打打率通算打数-安打通算打率
195220毎日113-38.336113-38.3363
195321毎日213-52.244326-90.2761
195422毎日504-155.308830-245.2952
195523毎日492-160.3251322-405.3064
195624毎日500-152.3041822-557.3057
195725毎日435-144.3312257-701.3106
195826大毎260-74.2852517-775.3079
195927大毎425-136.3202942-911.3097
196028大毎483-151.3133425-1062.3101
196129大毎498-155.3113923-1217.3102
196230大毎470-157.3344393-1374.3128
196331大毎502-142.2834895-1516.3097
196432阪神506-130.2575401-1646.3048
196533阪神460-120.2615861-1766.3013
196634阪神438-112.2566299-1878.2981
196735阪神482-125.2596781-2003.2954
196836広島467-146.3137248-2149.2965
196937広島310-85.2747558-2234.2956
197038広島144-37.2577702-2271.2949
打撃の職人・山内一弘は一時は3割1分台の高通算打率を記録し、当時の1位・川上に接近したこともあったのだが、終身打率は3割を切って終ってしまった。 広島に移籍1年目には7年振りの3割を打ったが焼け石に水で、打数を重ねてから現役終盤に落ちた通算打率はなかなか戻るものではない。

榎本喜八
年度年齢所属打数-安打打率通算打数-安打通算打率
195519毎日490-146.298490-146.2979
195620毎日524-148.2821014-294.2899
195721毎日446-120.2691460-414.2836
195822大毎431-112.2601891-526.2782
195923大毎496-137.2762387-663.2782
196024大毎494-170.3442881-833.2891
196125大毎543-180.3313424-1013.2961
196226大毎483-160.3313907-1173.3002
196327大毎532-169.3184439-1342.3023
196428東京540-161.2984979-1503.3023
196529東京493-132.2685472-1635.2988
196630東京476-167.3515948-1802.3030
196731東京372-108.2906320-1910.3022
196832東京487-149.3066807-2059.3025
196933ロッテ400-109.2737207-2168.3008
197034ロッテ303-86.2847510-2254.3001
197135ロッテ90-22.2447600-2276.2995
197236西鉄163-38.2337763-2314.2981
天才・榎本喜八の通算打率はあまり高くない。終身打率も3割を切っているが、その過程でも、1966年に2度目の首位打者を取った時の3割3厘が最高である。 尤も本人は3割や首位打者など眼中になく、別の次元を見ていた人だから、どうでもいいことかもしれない。

長島茂雄
年度年齢所属打数-安打打率通算打数-安打通算打率
195822巨人502-153.305502-153.3047
195923巨人449-150.334951-303.3186
196024巨人452-151.3341403-454.3236
196125巨人448-158.3531851-612.3306
196226巨人525-151.2882376-763.3211
196327巨人478-163.3412854-926.3244
196428巨人459-144.3143313-1070.3230
196529巨人503-151.3003816-1221.3200
196630巨人474-163.3444290-1384.3226
196731巨人474-134.2834764-1518.3186
196832巨人494-157.3185258-1675.3186
196933巨人502-156.3115760-1831.3179
197034巨人476-128.2696236-1959.3141
197135巨人485-155.3206721-2114.3145
197236巨人448-119.2667169-2233.3115
197337巨人483-130.2697652-2363.3088
197438巨人442-108.2448094-2471.3053
ミスター・ジャイアンツ長嶋茂雄は現役終盤の衰えが激しく、生涯打率は3割5厘に終ったが、一時は川上を抜き通算打率トップに立っていたこともあった。また、引退前年までは 中西太を上回って右打者最高打率を維持していた。本人もそれにこだわりがあったようだが、「バットマン」としてまだ自分に納得できないとの理由で、川上の引退の勧めも断わりもう1年現役を続行、結局更に打率を落として終った。

張本 勲
年度年齢所属打数-安打打率通算打数-安打通算打率
195919東映418-115.275418-115.2751
196020東映384-116.302802-231.2880
196121東映473-159.3361275-390.3059
196222東映472-157.3331747-547.3131
196323東映529-148.2802276-695.3054
196424東映461-151.3282737-846.3091
196525東映455-133.2923192-979.3067
196626東映443-146.3303635-1125.3095
196727東映414-139.3364049-1264.3122
196828東映363-122.3364412-1386.3141
196929東映480-160.3334892-1546.3160
197030東映459-176.3835351-1722.3218
197131東映480-150.3135831-1872.3210
197232東映472-169.3586303-2041.3238
197333日拓441-143.3246744-2184.3238
197434日本ハム406-138.3407150-2322.3248
197535日本ハム410-113.2767560-2435.3221
197636巨人513-182.3558073-2617.3242
197737巨人440-153.3488513-2770.3254
197838巨人424-131.3098937-2901.3246
197939巨人228-60.2639165-2961.3231
198040ロッテ341-89.2619506-3050.3209
198141ロッテ160-35.2199666-3085.3192
安打製造機・張本勲は長嶋茂雄を抜いて以来、長らく通算打率首位打者を維持していたが、80年に4000打数に到達した若松勉が一躍トップに出たためついにその座を譲った。ちなみにこの年張本は3000本安打を達成している。

王 貞治
年度年齢所属打数-安打打率通算打数-安打通算打率
195919巨人193-31.161193-31.1606
196020巨人426-115.270619-146.2359
196121巨人396-100.2531015-246.2424
196222巨人497-135.2721512-381.2520
196323巨人478-146.3051990-527.2648
196424巨人472-151.3202462-678.2754
196525巨人428-138.3222890-816.2824
196626巨人396-123.3113286-939.2858
196727巨人426-139.3263712-1078.2904
196828巨人442-144.3264154-1222.2942
196929巨人452-156.3454606-1378.2992
197030巨人425-138.3255031-1516.3013
197131巨人434-120.2765465-1636.2994
197232巨人456-135.2965921-1771.2991
197333巨人428-152.3556349-1923.3029
197434巨人385-128.3326734-2051.3046
197535巨人393-112.2857127-2163.3035
197636巨人400-130.3257527-2293.3046
197737巨人432-140.3247959-2433.3057
197838巨人440-132.3008399-2565.3054
197939巨人407-116.2858806-2681.3045
198040巨人444-105.2369250-2786.3012
長嶋茂雄のようにデビュー当時から活躍した打者は、高打率を残してもやがて徐々に通算打率を落として行くが、「世界のフラミンゴ」王貞治の場合は初期に低打率で悪戦苦闘した時期があった影響で、通算打率の推移はなだらかな右肩上がりを描いてから3割ちょっとで平行線を辿るという状況になっている。王は首位打者を5回も取り3割5分5厘の高打率もマークしたこともあるのだが、通算打率としては77年時点の3割5厘7毛が最高である。現役最後の年、ホームランはまだ30本を打ちながら引退したのは、 ホームランよりこの年の打率がリーグ最下位に終ったことへの衝撃が大きく、 現役を続行して通算打率3割を切ることを避けたかったのだという。 「ホームランはヒットの延長」が信条の王にとって、打者の最高の勲章とはやはり「打率3割」だったのである。

江藤慎一
年度年齢所属打数-安打打率通算打数-安打通算打率
195922中日495-139.281495-139.2808
196023中日429-108.252924-247.2673
196124中日480-128.2671404-385.2742
196225中日493-142.2881897-517.2725
196326中日510-148.2902407-665.2763
196427中日468-151.3232875-816.2838
196528中日443-149.3363318-965.2908
196629中日364-117.3213682-1082.2939
196730中日481-133.2774163-1215.2919
196831中日487-147.3024650-1362.2929
196932中日436-122.2805086-1484.2918
197033ロッテ146-42.2885232-1526.2917
197134ロッテ389-131.3375621-1657.2948
197235大洋276-69.2505897-1726.2927
197336大洋365-103.2826262-1829.2921
197437大洋378-110.2916640-1939.2920
197538太平洋302-69.2286942-2008.2893
197639ロッテ214-49.2297156-2057.2875
闘将・江藤慎一は首位打者を3回も取っている割には生涯打率が低い…と思って各年毎に調べたら、そもそも通算打率が3割あった時も、1度もないのである。最高は3度目の首位打者を取った71年の2割9分4厘8毛。また、単年度で3割を打ったのも、首位打者以外では2回しかなく、これでは通算打率が3割に乗らないのはしかたがない。 4回も打率2位になりながら1度も首位打者にはなれなかった近藤和彦(大洋-近鉄)とは対照的な打者である。

加藤英司
年度年齢所属打数-安打打率通算打数-安打通算打率
196921阪急8-1.1258-1.1250
197022阪急69-23.33377-24.3117
197123阪急445-143.321523-167.3193
197224阪急362-105.290884-272.3077
197325阪急436-147.3371320-419.3174
197426阪急428-138.3221748-557.3186
197527阪急456-141.3092204-698.3167
197628阪急430-129.3002634-827.3140
197729阪急423-135.3193057-962.3147
197830阪急427-109.2553484-1071.3074
197931阪急448-163.3643932-1234.3138
198032阪急484-154.3184416-1388.3143
198133阪急468-147.3144884-1535.3143
198234阪急456-107.2355340-1642.3075
198335広島253-66.2615593-1708.3054
198436近鉄499-126.2536092-1834.3011
198537近鉄455-130.2836547-1964.2999
198638巨人105-23.2196652-1987.2987
198739南海262-68.2606914-2055.2972
業師・加藤英司は通算打率推移を見ると、先の長嶋パターンと同じになっている。 つまり高打率・右肩下がり型なのだ。1980年に4000打数到達の時点では、たぶん若松、 張本に次ぐベスト3にランクインしていたはずである。しかしその後大幅に打率を下げ、ふらふらになりながら2000本安打を達成した時は、通算打率の方は3割を切ってしまっていのは惜しまれる。

谷沢健一
年度年齢所属打数-安打打率通算打数-安打通算打率
197023中日427-107.251427-107.2506
197124中日423-110.260850-217.2553
197225中日465-135.2901315-352.2677
197326中日454-134.2951769-486.2747
197427中日466-135.2902235-621.2779
197528中日470-138.2942705-759.2806
197629中日496-176.3553201-935.2921
197730中日493-154.3123694-1089.2948
197831中日184-52.2833878-1141.2942
197932中日12-2.1673890-1143.2942
198033中日425-157.3694315-1300.3023
198134中日462-147.3184777-1447.3029
198235中日471-132.2805248-1579.3009
198336中日485-153.3155733-1732.3021
198437中日505-166.3296238-1898.3043
198538中日360-104.2896598-2002.3034
198639中日220-60.2736818-2062.3024
谷沢健一は2割9分から3割の壁をなかなか破れず、ゲンを担いで背番号を「14」からひっくり返して「41」に変えたら、途端に3割どころが一気に首位打者を獲得したという逸話の持ち主である。その後アキレス腱断裂の故障に見舞われたが、復活して2度の首位打者。 通算打率も徐々に上がって、3割に乗せた。これは右肩上がりの「王パターン」ということになろうか。

若松 勉
年度年齢所属打数-安打打率通算打数-安打通算打率
197124ヤクルト274-83.303274-83.3029
197225ヤクルト365-120.329639-203.3177
197326ヤクルト438-137.3131077-340.3166
197427ヤクルト477-149.3121554-489.3147
197528ヤクルト453-132.2912007-621.3094
197629ヤクルト485-167.3442492-788.3162
197730ヤクルト441-158.3582933-946.3225
197831ヤクルト460-157.3413393-1103.3251
197932ヤクルト438-134.3063831-1237.3229
198033ヤクルト427-150.3514258-1387.3257
198134ヤクルト323-94.2914581-1481.3233
198235ヤクルト390-121.3104971-1602.3223
198336ヤクルト413-139.3375384-1741.3234
198437ヤクルト397-129.3255781-1870.3235
198538ヤクルト443-133.3006224-2003.3218
198639ヤクルト400-110.2756624-2113.3192
198740ヤクルト69-26.3776693-2139.3196
198841ヤクルト66-23.3486759-2162.3199
198942ヤクルト49-11.2246808-2173.3192
小さな大打者・若松勉は先に与那嶺の項でも触れた通り、常に通算打率3割を維持した数少ない打者だ。通算首位打者こそレロン・リーに明け渡してしまったが、特筆すべきは、 現役晩年まで打率を殆ど落とさなかったことだ。代打が主になったが、引退前年とその前の年には一旦、通算打率を上げているぐらいである。

掛布雅之
年度年齢所属打数-安打打率通算打数-安打通算打率
197419阪神162-33.204162-33.2037
197520阪神317-78.246479-111.2317
197621阪神406-132.325885-243.2746
197722阪神381-126.3311266-369.2915
197823阪神465-148.3181731-517.2987
197924阪神468-153.3272199-670.3047
198025阪神258-59.2292457-729.2967
198126阪神458-156.3412915-885.3036
198227阪神464-151.3253379-1036.3066
198328阪神483-143.2963862-1179.3053
198429阪神442-119.2694304-1298.3016
198530阪神476-143.3004780-1441.3015
198631阪神254-64.2525034-1505.2990
198732阪神387-88.2275421-1593.2939
198833阪神252-63.2505673-1656.2919
中西と同様、故障で通算成績の伸びなかったのが掛布雅之。レギュラー定着3年目の1978年までは、 アベレージを残しながらホームランも20-30本台放つ、張本パターンの3番打者だったのだが、田淵幸一が抜けたことで 4番に据えられ、長打を求めて打法が変った。その結果ホームラン王3回、打点王1回を獲得したが、首位打者には手が届かなかった。

篠塚 和典
年度年齢所属打数-安打打率通算打数-安打通算打率
197619巨人--------
197720巨人24-5.20824-5.2083
197821巨人7-2.28631-7.2258
197922巨人90-25.278121-32.2545
198023巨人315-82.260436-114.2615
198124巨人412-147.357848-261.3078
198225巨人467-147.3151315-408.3103
198326巨人424-130.3071739-538.3094
198427巨人461-154.3342200-692.3145
198528巨人466-143.3072666-835.3132
198629巨人485-141.2913151-976.3097
198730巨人429-143.3333580-1119.3126
198831巨人414-131.3163994-1250.3130
198932巨人461-134.2914455-1384.3107
199033巨人232-66.2844687-1450.3094
199134巨人289-77.2664976-1527.3069
199235巨人241-64.2665217-1591.3050
199336巨人208-70.3375425-1661.3062
199437巨人147-35.2385572-1696.3044
篠塚利夫(のち和典に改名)は内角の難しい球を器用に捌いてヒットを量産した。 持病の腰痛で2000本安打には遠く及ばなかったが、終身打率3割はしっかりキープした。

L.リー
年度年齢所属打数-安打打率通算打数-安打通算打率
197729ロッテ467-148.317467-148.3169
197830ロッテ461-146.317928-294.3168
197931ロッテ471-157.3331399-451.3224
198032ロッテ489-175.3581888-626.3316
198133ロッテ447-135.3022335-761.3259
198234ロッテ322-105.3262657-866.3259
198335ロッテ479-152.3173136-1018.3246
198436ロッテ485-150.3093621-1168.3226
198537ロッテ451-148.3284072-1316.3232
198638ロッテ483-160.3314555-1476.3240
198739ロッテ379-103.2724934-1579.3200
外国人選手というのは1年不振だと即、本人の意志とかかわりなくクビにされて終ってしまうため、幸か不幸かリ−は最高打率保持者のまま現役を退くこととなった。 一時、落合に1位を譲ったが、その後落合が打率を下げたため、現在はまたリ−が終身打率1位である。なお、確かリ−が4000打数に到達して通算打率トップになった1985年だったと思うが、「ガイジン」の最高打率保持を阻止するため、基準を5000打数だか6000打数だかに上げてはどうかというセコイ論議が出たことを記憶している。

レオン.L
年度年齢所属打数-安打打率通算打数-安打通算打率
197826ロッテ471-149.316471-149.3163
197927ロッテ484-147.304955-296.3099
198028ロッテ486-165.3401441-461.3199
198129ロッテ395-119.3011836-580.3159
198230ロッテ481-136.2832317-716.3090
198331大洋472-136.2882789-852.3055
198432大洋480-154.3213269-1006.3077
198533大洋462-140.3033731-1146.3072
198634ヤクルト483-154.3194214-1300.3085
198735ヤクルト453-136.3004667-1436.3077
リーの弟、レオンの場合、3割打ったのにお払い箱にされた。 その前の大洋でも3割30本打ってクビにされるという、本人にとっては全く不可解で理不尽な目に合わされている。しかもヤクルトでの最後の年はあのボブ・ホーナーの"お守り役"まで背負わされた挙句、ホーナーが1年で去ると用済みとばかりレオンもポイ捨てされたのだから、10年も日本球界で活躍した選手に対して、少し気の毒な仕打ちだった。

落合博満
年度年齢所属打数-安打打率通算打数-安打通算打率
197926ロッテ64-15.23464-15.2344
198027ロッテ166-47.283230-62.2696
198128ロッテ423-138.326653-200.3063
198229ロッテ462-150.3251115-350.3139
198330ロッテ428-142.3321543-492.3189
198431ロッテ456-143.3141999-635.3177
198532ロッテ460-169.3672459-804.3270
198633ロッテ417-150.3602876-954.3317
198734中日432-143.3313308-1097.3316
198835中日450-132.2933758-1229.3270
198936中日476-153.3214234-1382.3264
199037中日458-133.2904692-1515.3229
199138中日374-127.3405066-1642.3241
199239中日384-112.2925450-1754.3218
199340中日396-113.2855846-1867.3194
199441巨人447-125.2806293-1992.3165
199542巨人399-124.3116692-2116.3162
199643巨人376-113.3017068-2229.3154
199744日本ハム397-104.2627465-2333.3125
199845日本ハム162-38.2357627-2371.3109
リーが去った2年後、落合が3割2分6厘4毛で通算打率首位に立ったが、徐々に落ちて終身打率は結局歴代7位。しかし3割1分9毛は右打者の最高打率である。 また、40才を過ぎて2度も3割を打ったのはさすが落合と言うべきか。

ブーマー.W
年度年齢所属打数-安打打率通算打数-安打通算打率
198329阪急450-137.304450-137.3044
198430阪急482-171.355932-308.3305
198531阪急529-173.3271461-481.3292
198632阪急494-173.3501955-654.3345
198733阪急513-170.3312468-824.3339
198834阪急339-98.2892807-922.3285
198935オリックス512-165.3223319-1087.3275
199036オリックス163-50.3073482-1137.3265
199137オリックス463-139.3003945-1276.3234
199238ダイエー506-137.2714451-1413.3175
リー兄弟以上に気の毒なのはブーマー。最後の年、1992年は97打点で打点王を獲得していたのに、打率・本塁打の面で衰えを見せていたせいでクビになった。タイトルを獲得して クビ→引退という話は他にあまり聞いたことがない。

前田智徳
年度年齢所属打数-安打打率通算打数-安打通算打率
199019広島43-11.25643-11.2558
199120広島395-107.271438-118.2694
199221広島493-152.308931-270.2900
199322広島499-158.3171430-428.2993
199423広島492-158.3211922-586.3049
199524広島86-22.2562008-608.3028
199625広島396-124.3132404-732.3045
199726広島382-116.3042786-848.3044
199827広島504-169.3353290-1017.3091
199928広島392-118.3013682-1135.3083
200029広島262-62.2373944-1197.3035
200130広島27-8.2963971-1205.3035
200231広島422-130.3084393-1335.3039
200332広島427-124.2904820-1459.3027
200433広島407-127.3125227-1586.3034
200534広島540-172.3195767-1758.3048
200635広島472-148.3146239-1906.3054
3年連続の3割1分台の成績でしぶとく通算3割を維持し続けている前田智徳。今後極端な低打率を数年続けるようなことさえなければどうやら逃げ切れそうなところまでこぎつけた。 後は足の故障具合次第であろう。

鈴木尚典
年度年齢所属打数-安打打率通算打数-安打通算打率
199119大洋3-0.0003-0.0000
199220大洋--3-0.0000
199321横浜22-6.27325-6.2400
199422横浜77-20.260102-26.2549
199523横浜336-95.283438-121.2763
199624横浜355-106.299793-227.2863
199725横浜478-160.3351271-387.3045
199826横浜514-173.3371785-560.3137
199927横浜542-178.3282327-738.3172
200028横浜552-164.2972879-902.3133
200129横浜454-143.3153333-1045.3135
200230横浜380-107.2823713-1152.3103
200331横浜492-153.3114205-1305.3103
200432横浜150-40.2674355-1345.3088
200533横浜79-17.2154434-1362.3072
200634横浜82-27.3294516-1389.3075
一時期落合にそそのかされて三冠王などを夢見たせいかバッティングを崩した事もあり、近年は代打出場に甘んじている鈴木。 通算3割維持ほぼ確実と思われるが、このまま終わってしまうのも寂しい。再起に期待したいものである。

イチロー
年度年齢所属打数-安打打率通算打数-安打通算打率
199219オリックス95-24.25395-24.2526
199320オリックス64-12.188159-36.2264
199421オリックス546-210.385705-246.3489
199522オリックス524-179.3421229-425.3458
199623オリックス542-193.3561771-618.3500
199724オリックス536-185.3452307-803.3481
199825オリックス506-181.3582813-984.3498
199926オリックス411-141.3433224-1125.3489
200027オリックス395-153.3873619-1278.3531
200128マリナーズ692-242.3504311-1520.3526
200229マリナーズ647-208.3224958-1728.3485
200330マリナーズ679-212.3125637-1940.3442
200431マリナーズ704-262.3726341-2202.3472
200532マリナーズ679-206.3037020-2408.3430
200633マリナーズ695-224.3227715-2632.3411
イチローの通算打率は打数不足のためNPBでは参考記録にしかならないが(今後日本球界への復帰でもあれば別だが)、それにしても3割5分台という数字は凄まじい。イチローの場合、よく足で稼いだ内野安打の多さが指摘される。しかしそれをいうならあの張本でも 若い頃は俊足で鳴らしているし(通算盗塁数は歴代20位である)、調子を落とすと絶妙のバント安打で打率が落ちるのを防いでいたという話もある。 イチローの足力が落ちた時、通算打率の低下がどうなるかわからないが、最低でも3割3分近くの高打率は残せそうである。

松井秀喜
年度年齢所属打数-安打打率通算打数-安打通算打率
199319巨人184-41.223184-41.2229
199420巨人503-148.294687-189.2751
199521巨人501-142.2831188-331.2786
199622巨人487-153.3141675-484.2890
199723巨人484-144.2982159-628.2909
199824巨人487-142.2922646-770.2910
199925巨人471-143.3043117-913.2929
200026巨人474-150.3163591-1063.2960
200127巨人481-160.3334072-1223.3003
200228巨人500-167.3344572-1390.3040
200329ヤンキース623-179.2875195-1569.3020
200430ヤンキース584-174.2985779-1743.3016
200531ヤンキース629-192.3056408-1935.3019
200632ヤンキース172-52.3026580-1987.3019
メジャーに行ってしまった松井秀喜の通算打率は、とりあえず日本では3割4厘でストップである。ここまでの歩みは、ホームラン打者でありながら打率もじりじりと上げ3割に乗せたあたり、王貞治のパターンに近い。今後メジャーではどういう軌跡を辿るだろうか。

松井稼頭央
年度年齢所属打数-安打打率通算打数-安打通算打率
199419西武--------
199520西武204-45.221204-45.2206
199621西武473-134.283677-179.2644
199722西武576-178.3091253-357.2849
199823西武575-179.3111828-536.2932
199924西武539-178.3302367-714.3016
200025西武550-177.3222917-891.3055
200126西武552-170.3083469-1061.3059
200227西武582-193.3324051-1254.3096
200328西武587-179.3054638-1433.3090
200429メッツ460-125.2725098-1558.3056
200530メッツ267-68.2555365-1626.3031
200631メッツ・ロッキーズ243-65.2675608-1691.3015
リトル松井も2003年限りで日本球界におさらばしたので、通算打率は3割9厘で停止。 3割30本を打ったこともある松井だが、メジャーでは苦しみいまだ本領発揮できないのは残念である。

谷 佳知
年度年齢所属打数-安打打率通算打数-安打通算打率
199724オリックス309-84.272309-84.2718
199825オリックス476-135.284785-219.2789
199926オリックス532-155.2911317-374.2839
200027オリックス529-150.2841846-524.2838
200128オリックス547-178.3252393-702.2933
200229オリックス524-171.3262917-873.2992
200330オリックス540-189.3503457-1062.3072
200431オリックス378-120.3173835-1182.3082
200532オリックス435-108.2484270-1290.3021
200633オリックス434-116.2674704-1406.2988
04年まで安定して3割を打ち続けていた谷だが、ここ2年間の不振でついに通算打率も3割を割ってしまった。移籍を機に新天地で盛り返すことはできるのだろうか。

小笠原道大
年度年齢所属打数-安打打率通算打数-安打通算打率
199724日本ハム94-21.22394-21.2234
199825日本ハム86-26.302180-47.2611
199926日本ハム547-156.285727-203.2792
200027日本ハム554-182.3291281-385.3005
200128日本ハム576-195.3391857-580.3123
200229日本ハム486-165.3402343-745.3179
200330日本ハム445-160.3602788-905.3246
200431日本ハム377-130.3453165-1035.3270
200532日本ハム514-145.2823679-1180.3207
200633日本ハム496-155.3134175-1335.3197
まだまだ道は長いが、毎年ハイアベレージでの3割をマークし続けている小笠原は先が楽しみ。06年終了時点で4000打数に到達、L.リーに次ぐ歴代通算打率2位に躍り出た。このまま打ち続けるのか、それとも・・・?

松中信彦
年度年齢所属打数-安打打率通算打数-安打通算打率
199724ダイエー43-9.20943-9.2093
199825ダイエー71-19.268114-28.2456
199926ダイエー395-106.268509-134.2632
200027ダイエー471-147.312980-281.2867
200128ダイエー479-160.3341459-441.3022
200229ダイエー485-126.2601944-567.2916
200330ダイエー494-460.3242438-727.2981
200431ダイエー478-171.3582916-898.3079
200532ソフトバンク483-152.3153399-1050.3089
200633ソフトバンク447-145.3243846-1195.3107
07年度中には4000打数到達が確実な松中。このまま行けば3割1分台のハイアベレージでの登場が可能だが、 小笠原同様、今後更に上げるのかそれとも下降線を辿ってしまうのかは、まだまだこれからである。


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