3月8日(月)
http://www.1101.com/darling_column/index.htmlこのリンク、見る度に最新のものになると思うけど、
3/8時点での最新のもの。
「<「おもしろいもの」はいっぱいある。>」
ほんとに、よくわかる。
いや、ほんとはわかってないのかもしれないけど。
「わかるわー」、と、言わせてほしい。
でも、これはトレードオフなのだ。
「あたらしい」刺激と、
「おもしろい」ものを随まで味わうことの。
有限の時間であるが故のトレードオフ。
ああ、せつない!
この考えが「青い」ものとして、
自分の中で過去のものとなってくれればいいなあ、と、
思ったり思わなかったり。
「○○したり○○しなかったり」
という言い回しは便利すぎて「逃げ」だな。
「ここまで理屈で考えるか??」という、
嘲りにもにた感情を抱くと同時に、
その「理屈」がどうしようもなく正しく思えて、
「ここまで考えられていない自分は
欺瞞に満ちているのではないか」
と思ったりもする。
どうしようもねえな。
あー、後輩というか教え子に、
年長者風を吹かせたメッセージを送ってしまった。
歳取ると、自分のこれまでの人生での実感を、
自分より年少者に伝えたくなるな。
でも、自分がそれをできていないことはおいといて、
キラキラと輝いている若い人たち(僕が若いゆえの、
この発言のメタ的滑稽さは、今は置いておく。)には、
「生き生きと」過ごしてほしいんですよ。
とはいっても、
僕は「生き生きとしている人至上主義」ではない。
「生き生きと」していない人も大好きだ。
そこは、本当に、矛盾していると我ながら思う。
それでも、「生き生きと生きて」ほしいと願う。
きっと、「うまくいく」時というのは、
「生き生きと」している時だ。
それは、瞬間である。
瞬間の積み重ねである。
瞬間の積分である。
「生き生きと」しているとき、
「生き生きと」していないとき、
どちらも「本当」。
でも、「生き生きと」を「目指す」ことは
やっぱり、望ましいことなんじゃないか。
最近は、そう思う。
なんか、ズレてきたか?
いや、そんなのどっちでもいいか。
いま、本気で、「他人」の人生の幸せを、
願うことができていると思う。
それが嬉しい。
それで充分だ。
うん。