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【入試現代文概論】
492 名前:大学への名無しさん[sage] 投稿日:03/08/10 20:19 ID:Hfw6Lh2R
現代文という教科の捉えがたさや、現在の受験業界の現代文における風潮などについて
いろいろ常日頃考えていたことがだいぶまとまってきたので、書いてみます。


<第0章>
入試現代文という教科が何でこんなに捉えがたい教科と思われているのかと言えば、

1.入試現代文という教科が受験生にどういう力を問うているのかが分からない
2.現代文の成績向上のためにどういう勉強をすればいいのかが見えづらい

というのが大きな要因として挙げられると思う。


<第1章 入試現代文とはどういう教科なのか?>
[(i).入試現代文で問われている力]
入試現代文がどういう教科であるかについては田村秀行氏をはじめとする予備校の先生方が繰り返していることであるが、
「与えられた文章を、誰もが日常的に使っている現代日本語の文法に従って、正確に内容を把握し、本文から導くのが妥当だと思われる内容を解答する教科」
というふうにまとめられると思う。
大学に入学した後みんなは、それぞれの専門の授業で専門書を自分の力で読み解いていかねばならない。
そういった大学での授業についていけるだけの基礎的なリテラシー能力を受験生が持っているかどうか、それを大学側は現代文という教科で問うていると言える。

[(ii).テクスト分析としての入試現代文]
よく、「大学入試の現代文問題を、その著者に解かせたら間違えた」とか著者が「私はこんなことを言うつもりだったんじゃない」と言ったりとか,
筆者をタテにして入試現代文を批判する論調があるけど、これは入試現代文の特徴を理解していない発言と言わざるをえない。こういう批判に対してはこういう疑問を返すことができる。
「でも、あなた(筆者)の文章を一般的な文法規則に従って読み解いたならば、こういう内容を引き出すのが妥当といわざるをえないのですが」と。
入試現代文の内容読解に関しては、「筆者自身の真意」は介在する余地がない。
あくまで与えられた文章(テクスト)それ自体から、引き出すのが妥当と思われる内容を解答するのがこの現代文という教科だ。
ちなみに、東京大学の現代文問題では出典を表示しないのが恒例になっているが、これは問題文を「作者の『真意』とは独立した存在としてのテクスト」として扱うことで
こうした現代文という教科の特性を徹底しているからだとも考えられる。

[(iii).高校国語と大学入試現代文の間の距離]

大学入試現代文が難しい要因として、高校の現代文と大学入試現代文の間にかなりの懸隔(へだたり)があることも挙げられる。
これはさっき述べた 、「現代文は大学の授業についていけるだけのリテラシー能力を持っているか問う教科だ」というところと関連する。
大学は国語学だけを研究している場ではない。法学、政治学、経済学、歴史学、哲学、心理学、社会学、教育学… 
こういったさまざまな領域の学問が研究されているのが大学という場であり、入試現代文を出題しているのはこうした大学で研究している先生たちなのだ。
大学の先生方は入試現代文という科目で、こうした大学で現在研究されているさまざまな学問領域の文章を出題し受験生の頭がそれについていけるのかどうか問うてくるのだ。
ところが高校の国語では、こうした大学で現在行われているような学問内容を知る機会は少ない。それどころか、高校国語では小説を多く扱っていることもあって、
「現代文=文学」という思い込みが受験生に刷り込まれかねない。
「現代文=文学」「現代文=小説」という思い込みを抱いてしまっている受験生は、まずその思い込みを捨てるところから始めねばならない。
入試現代文は、「文学の読解」ではない。大学で現在行われている学問についていけるか、その基礎力を問うているのだ。
入試現代文を、「高校国語の延長線上」ではなく「大学の初歩」と捉える発想の転換が必要だろう。


<第2章 入試現代文のためにはどう勉強したらよいのか?>
ここまでは、「入試現代文という教科が受験生にどういう力を問うているのか」について述べてきた。
それでは次に「現代文の成績向上のためにどういう勉強をすればいいのか」について考えていく。
[(i).公式なき科目]
正直なことを言ってしまうと、「入試現代文という教科には普遍的に通用する公式などはない」というのが実情だろう。
おそらく、入試現代文に慣れた人ほどこのことが身に染みて分かるのではないだろうか。
現代文という教科が否応なくはらまざるをえないはらむこうした曖昧さが、
受験生の入試現代文に対する毛嫌いや、勉強しても無駄な教科だという思い込みや、「センス崇拝」などの数々の神話を生み出してきたように考えられる。

数学や理科は公式というものが存在し、それにあてはめれば(あてはめるまでの過程が大変なのだが)答えは(ほぼ)一つに決まる。
地歴は、だいたいの大学の問題なら、用語と流れを覚えてそれを書けばいいだけだ。
ところが、現代文はそういうふうに明確な公式はないし、暗記でも解けない。こうした現代文の捉えどころのなさが、受験生を不安に陥れる。
「公式もないし、暗記でも解けない現代文に対し、いったいどう対処すればいいのか?」と。

[(ii).現代文の勉強における危険]
そして、こうした現代文への不安を見透かしたかのように、受験業界はこうした受験生につけこむのである。
例えば、「現代文は誰にでも分かる!」であるとか「現代文にも公式がある!」というようにセンセーショナルにアピールすることで
現代文をあたかも「わかりやすいもの」であるかのように信じ込ませる風潮である。
設問テクニックをあてはめるだけで解けるような安易な入試問題も一つや二つはあるかもしれない。(講師が捻出した「テク」に合う問題ばかり選んでるから解けて当然だという説もあるが)
だが参考書で設問テクニックばかり身につけたつもりになっていても、初めて目にする問題文の内容を的確に理解するという根幹をおろそかにしたのでは、現代文の成績は安定しない。

こうした風潮というものは、入試現代文の現実から目をそらし、
自分が信じ込みたい「幻想」を現代文に投影するだけにすぎず、なんら入試現代文に対応する力をつけることにつながってはいないのである。
もちろん現在の現代文講師すべてがすべてこういう人ばかりではないことは言うまでもなく、
現代文の現実を十分理解して良心的に指導する講師もいるのであるが(大抵、そういう現代文の難しさをわきまえた講師は必然的に厳しくなるので毛嫌いされがち)、
さきほど述べたような、受験生の不安を見抜かして、甘い言葉でそこに付け込もうとする現代文講師もいるのが現実である。
受験生は、こうした現状があることをよく踏まえたうえで、甘い言葉で人をつるような講師・参考書は避けていかねばならない。
こういう甘い言葉につられると、最終的にひどい目に遭うだろう。そういう結果になったとしても、それはそういう勉強法を選んでしまった自分の責任である。

[(iii).入試現代文のための勉強とは?]

さきほど私は「入試現代文という教科には普遍的に通用する公式などはない」と述べた。「では現代文はどうやって勉強すればいいんだ!」と言われるだろう。
入試現代文の勉強の仕方については、先ほども出たように

・読書
・語彙・漢字
・基礎的な方法論の習得
・過去問・問題集で実戦経験を蓄積

これらをコンスタントに積み上げていくことである。

1. まず読書。これはまとまった量の活字を読んでもついていけるだけの頭の持久力をつけることや、
現代社会においてどういうことが問題になっているのかという背景知識をつけることが主眼である。さらにまた、文章を読む経験をつむことで語彙量を蓄積する効用もある。

2. 語彙・漢字については、ある程度早い時期に漢字問題集をやっておくのも大事であるが問題文に出てきた単語をその度にチェックすることも大事である。
「現代文用語集で熟語を覚える」というよりも、「出てきた語をその度に辞書or用語集でチェックする」という方が普通のやり方だと思うし、その方が語が頭に定着する。

3. 「基礎的な方法論の習得」についてはサイトでも方法論習得のための参考書がいろいろ挙げられている。
入試現代文がどのような教科か把握し、どのように問題文を読み設問を解いていけばいいのかその基本的作法を身につけるためのものである。

4. 方法論習得系の参考書で基礎作法を身につけた後は、それを実際に過去問・問題集で演習をつまないと身につかない。
自動車の運転の仕方を本で読んでも、実際に車の運転をしなければ運転の仕方が身につかない。それと一緒である。
方法論習得系の参考書をやっただけで安心してしまう人が結構いるので、ここは注意してもらいたい。

これら4つのいずれが不足しても現代文の成績上昇にはつながりにくいだろう。
いくら参考書で設問を解くテクニックだけ身につけた「つもり」になっていても、根本的な読書不足のせいで本文の内容を読んでも理解することができなかったら、さっぱり問題は解けない。
語彙や漢字が足りないのでは本文をまともに読めないし、記述解答もまともな内容のものを書けない。
どれだけ読書量をつんでいても、「現代文は個人の意見を述べる場なんだ」と現代文という教科を勘違いしてるようでは点が取れない。
基礎的な方法論を身につける参考書をやっていても、その後過去問で訓練を積んでいなければ経験不足で実戦的得点力は身につかない。

この4本柱を密接に関連付け、本番入試まで絶えず倦まず繰り返すこと。現代文の力をつけるためにはこれしかない。

[(iv).入試現代文の勉強に特徴的な点―解説による自己検証]
この現代文という教科の勉強で重要なのは「問題を実際に自分の頭でじっくり考えて解いてみて、その後解説を読んで自分の解答のプロセスを修正する」
という、この過程を繰り返すことである。
ここで入試現代文の勉強できわめて特徴的なのは「解説を読んで自分の解答のプロセスを修正する」という部分である。
現代文の勉強においてはある程度の問題演習で経験をつむことが最低限必要であるが、
普遍的な法則がない以上、その都度その都度自分の解答法をチェックし、修正を加えていくしかないのである。
この自己検証の経験を積んでいくことこそ、現代文の成績上昇のためには必須なのである。
極端な話、結果的に出てきた答えよりも、解答するときにどれだけ自分の納得のいく解答のプロセスを積み上げたか、その方が重要ではないだろうか。
現代文では二度と同じ問題は出ないと言ってよい。そうである以上、答えを覚えても意味はなく、次に生かせる「経験」をどれだけ積んだか
それが本番入試のためには重要だからである。

[(v).現代文が苦手な人の陥る悪循環]
ところが、現代文の勉強に慣れてない人や活字を読むことに慣れてない人は、よくこの自己検証の過程の重要性を見落としてしまう。
「解説を読むのがつらい…」「解説を読んでも難しくてよく分からない…」と、解説をおざなりにしてしまいがちなのである。
ここが現代文初学者がつまずきやすい点である。

  現代文が苦手な人が現代文の勉強をしようとする
 ↓
 だが、現代文の苦手な人は活字を読むこと自体が苦痛である
 ↓
 問題文が読めないだけでなく、解説を読むこと自体も苦痛である
 ↓
 解説をまともに読まない
 ↓
 現代文が苦手なまま

現代文が苦手な人は活字を読むこと自体が苦痛のため、現代文の勉強の過程において、この悪循環から抜け出しにくいのである。
さらに言うと、このサイトでも紹介されている『田村の現代文講義』や『現代文と格闘する』、『現代文のトレーニング』などの参考書は
昔から定評のある参考書でありつつ、一方で「解説が難しい・・・」という意見が多く出ているのは、こうした現代文における独特の問題が関係しているためである。
そして、この悪循環から抜け出したいため「私たちが普段使ってる日本語なんだから、今さら勉強しなくたっていいじゃん!」と勝手に思い込んだり、
「現代文なんてやっても無理…」だと思い込んで勉強を諦めたり、耳当たりがよくで甘い言葉で人を釣る参考書に逃げたりしがちなのである。

[(vi).現実の直視]
はっきり言おう。「現代文は、ある意味つらい教科である」と。

これまであなたが「読めなかった」ものを、なんとかして「読める」ようにするのである。
「無」から「有」に変えるのであるから、その変換に必要なエネルギーは皆さんが思っているよりずっと大きいと言わざるをえない。
だが、その現実から目をそらしていては何も変わらないのではないだろうか。
「現代文の勉強は大変だ」という現実から目をそらし甘い幻想を信じこみ続け、現実の本番入試で奈落に落ちるよりも、
この現実を直視し、それを克服しようと一歩一歩積み上げていく方がはるかに自分のためになるのではないだろうか。
現代文の成績は、勉強をしなければ決して上がらない。しかし、適切な方法で本番までコンスタントに積み上げていけば確実に上がっていくのである。


<結語>
幸いこのスレでは、こうした現代文の勉強にまつわる迷信を取り除き、効率よく成績を上げていける方法を探そうとさまざまな方によって勉強法が模索されている。
受験生の方は、このスレなどを参考に、自分が本当によいと思うものを自分の責任において選択し現代文の勉強に役立てていっていただきたい。
この勉強法のつかみづらい入試現代文という科目において、少しでもお役に立てるようこのスレでさまざまな方法を検討することによって、よりよい勉強法を模索しつづけていきたい。

以上です…
長文スマンカッタ_| ̄|○

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