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モドル




72 牛島和彦 1軍監督
愛称:ジマー、組長、牛島組長

中日('80〜86)−ロッテ('87〜93引退)
通算成績 395試合53勝64敗126S 防御率3.26


高校時代は浪商高校の総番長エースとして甲子園に3度出場。
プロ入り後は中日、ロッテで抑えとして活躍し、
怪我と戦いながら通算126セーブをあげた炎のストッパー。
マウンド上で思い切り打者を睨み付けびびらせておいて
しれっとど真ん中に変化球を投げ込む投球スタイルから「浪速のペテン師」と呼ばれたことも。

TBSの解説者を経て05年に横浜ベイスターズの監督に就任。今年で2年目。
監督としては年齢が若く、コーチ経験がなかったことや
ベイスターズから見れば完全に「外様」であったことから
横浜ファンの間では「監督牛島和彦」を不安視する声も少なくなかった。
しかし蓋を開けてみると05年のベイスターズはシーズン3位という好成績を収め
3年連続最下位の暗黒時代から夢のAクラス入りを達成。
牛島監督に対する信頼度も一気に高まった。


浪商時代は相当なワルだったらしく数々の伝説を残している。
なので監督就任が決まったときは「ぬるま湯に慣れているうちの選手たちは大丈夫なのか…?」
と心配されたが、そんな期待に応えるかのように就任早々
「練習では苦しむかもわかりませんけれども」と発言し横浜ファンを震え上がらせた。
(しかし実際は地獄の練習などはしていないようだ。表向きは。)

メガネの似合うナイスミドルであり、取材や試合後のインタビューではよく笑顔もみせる。
しかしよく見ると目はちっとも笑ってない時が多々ある。
また投手がふがいないピッチングをした時はベンチで般若のような顔になっていたり
微妙な判定には決して手は出さないが目で殺すような抗議をしたり
時折隠しているオーラがにじみ出る時がある。

采配は奇策はほとんど打たずオーソドックス。
「場面場面で柔軟に」というよりは「これがうちのパターン」という感じで決めている節があり
(先発が炎上してもイニングの途中では交代しない、など)
TVで見ている者ですら次に出てくる投手が読めるほどはっきりしている。
その方が選手も役目がはっきりして用意しやすいためか継投の成功率は高い。

投手コーチとしても凄腕で
精神的にもろいところのあったアゴ倉さんを的確なアドバイスで先発として独り立ちさせたり
村西のイップスを一瞬で立ち直らせたりしている。

「中日の投手出身」、「監督1年目で結果を出した」、
「投手陣の指導や配置が上手く監督と言うよりは超優秀な投手コーチ」
という共通点からジマーと98年ベイスターズを日本一に導いた権藤さんをだぶらせるファンも多い。
実はこの2人は中日時代の選手と投手コーチであり
権藤さんが横浜監督就任時にジマーに投手コーチとして来てくれないかと頼んだこともある。


実は極度の飛行機嫌いで横浜から北海道や九州に遠征する時、
空路で移動するコーチや選手達とは同行せず、単身新幹線など陸路で移動している。


牛島伝説

・星野仙一氏に「試合中には牛島の中から俺が出てくる」と言われる。
・高校のチームメイトのグローブを捨てて「手で受けろ!」と言ったり
木の陰に連れてって顔面スパイクで踏んだりしていた事をその旧友から暴露される。


3 :代打名無し@実況は実況板で :2006/01/09(月) 21:32:59 ID:tBkawLUC0
牛島伝説
・浪商の総番
・学校へは部の練習時間に女連れで登校
・南海?のスカウトを「俺は中日に行くから指名するな」と恫喝
・黒い交際の噂が絶えなかった
・関東、名古屋、関西それぞれで100人切り達成
・たけし軍団とOB軍団の野球対決の際、たけしが
 「牛島さんのヤジが一番ドスが効いてて怖かった」と後に語る
http://www.sponichi.co.jp/baseball/ama/2000summer/maemono/hyoron/11.htm
 >敬遠の指示を持ってマウンドに来た伝令役を「投げとんのはオレや。黙って見とけと言うとけ」と言って追い返した。
・契約金で真っ赤なコルベットを購入し、在学中から乗り回していた

↑牛島和彦監督とともに苦難を乗り越えて行くスレテンプレより








76 田代富雄 1軍打撃コーチ
愛称:オバQ、タシーロ

大洋('73〜'91引退)
通算成績 1526試合 打率.266 278本塁打867打点


大洋ホエールズを代表するスラッガー。
本塁打は多いが三振も多い、というThis is 右の長距離砲。
その遺伝子は間違いなく村田に受け継がれている。
最終打席で逆転満塁本塁打という離れ業をやってのけた。
80年のシーズン36本塁打は多村に抜かれるまで球団の日本人最多記録だった。

好きな作戦は「初球から積極的に打ちにいけ」
中継中のベンチリポートではまず間違いなくこのセリフが返ってくる。
本当にそれしか言わないのである意味必見。
相手エースにあっさり抑えられてるときはたまったもんじゃない作戦だが。

「田代2世」育成を目指して村田や吉村を積極的に指導している。








75 阿波野秀幸 1軍投手コーチ
愛称:

近鉄('87〜'94)−巨人('95〜'97)−横浜('98〜'00引退)
通算成績 305試合75勝68敗5S 防御率3.71


バファローズの左のエースとして活躍。伝説の10.19の証人。
その後、巨人横浜と渡り歩き、在籍したすべての球団で優勝を経験。
横浜では近鉄時代の師権藤監督の下で左の中継ぎとして日本一に貢献した。

去年までの巨人の投手コーチから移籍。
ユニホームを着てても足がすらーっとしてて素晴らしい。
さすがは現役時代に西崎と共にトレンディーエースと呼ばれた男。
06年からはベイユニを着た長い足がまた見られるんですよ!奥さん!

しかし前年の巨人の投壊を見ているので
そこでコーチをしていた阿波野さんで大丈夫?という不安も…。








74 吉田篤史 1軍投手コーチ
愛称:

ロッテ('92〜'03)−阪神('03途中〜'04引退)
通算成績 292試合26勝37敗6S 防御率3.69


ロッテ入団2年目の93年に肩を壊してしまったが
95年の第1次バレンタイン政権下でリリーバーとして復活。
実は吉田コーチも「バレンタインチルドレン」なのである。
そしてそれ以後もロッテのセットアッパーとして活躍した。

05年に福澤バッテリーコーチと共に牛島監督の腹心として入閣。
ブルペン担当を任されている。
ロッテ時代の先輩である牛島監督の事を慕っており
週ベの選手名鑑の「思い出のシーン」に「牛島現監督の引退試合」を挙げている程。








82 進藤達哉 1軍守備走塁コーチ
愛称:

大洋・横浜('88〜'00)−オリックス('01〜'03引退)
通算成績 1348試合 打率.239 104本塁打412打点


ベイスターズが誇る伝説の守備職人。
97〜99年にサードで3年連続ゴールデングラブ賞を受賞。
意外性の打棒でも98年横浜日本一に貢献。
リーグ優勝を決めた試合の勝利打点をあげたのは進藤だった。
内野ならどこでも無難に、というかどこを守っても水準以上に守れた。
オリックス移籍後は守備の人なのにDHに入ったことも。

漫画「ササキ様に願いを」で私服のセンスが悪いことをネタにされているが実際ひどいらしい。

コーチ就任後の04年に選手にエラーの恥ずかしさを分かってもらおうと
キャンプ中のエラーをまとめた「ベイスターズ珍プレー集ビデオ」を自ら制作した。

村田、内川、藤田と伸び盛りの内野手たちに現役時代の守備力を注入できるか。








71 波留敏夫 1軍守備走塁コーチ
愛称:

横浜('94〜'01)−中日('01途中〜'02)−ロッテ('03〜'04引退)
通算成績 913試合 打率.278 44本塁打266打点


横浜に帰ってきたガッツマン。
打っては一塁にヘッドスライディング、守っては外野でフライをダイビングキャッチと
気合いを全面に押し出すプレーでファンを楽しませてくれた外野手。
きわどい打球はどんな球でもアウトにしてやろうとキャッチを試みる。
ダイビングキャッチを試みた際に人工芝に激しく顔面をこすりつけてしまい顔にやけどを負ったことも。
98年に脱税事件で開幕からしばらく出場停止。復帰後は2番打者として活躍し日本一に貢献した。
実は入団時は内野手でありショートを守ったこともある。

2000年に出場試合数が激減、
01年の金城外野コンバートによって働き場を失った波留は中日にトレード移籍。
気持ちでプレーするタイプの選手だからかトレード後は精彩を欠きその後ロッテに移籍。
ロッテでも活躍できず04年引退と晩年は横浜ファンにとっては寂しい形となってしまった。
(横浜では外野の控えだった井上純がロッテでレギュラーの座を掴み
立場が完全に逆転していたのが余りにも残酷)

阿波野コーチ、進藤コーチの同じく帰ってきた98年戦士と共に、もう一度、あのころの夢を。








77 福澤洋一 1軍バッテリー兼作戦コーチ
愛称:

ロッテ('89〜'03引退)
通算成績 440試合 打率.202 6本塁打37打点


現役時代はロッテの控え捕手として長い間チームの縁の下を支え、
牛島とはよく女房役に指名されてスタメンマスクを被ったナイスコンビだった。

05年に牛島監督に請われてベイスターズのバッテリーコーチとして入閣。
ロッテ時代のナイスコンビが復活した。
中継でベンチが映った時、監督の側にいる素朴な青年が福澤コーチです。
06年からは作戦コーチも担当する。








84 秋元宏作 1軍バッテリーコーチ
愛称:

西武('87〜'89)−大洋・横浜('90〜'00引退)
通算成績 573試合 打率.215 16本塁打108打点


福澤コーチがロッテの縁の下なら秋元コーチは横浜の縁の下。
西武から大洋に移籍してからは谷繁と正捕手を争い
谷繁が独り立ちした96年からは第二捕手にまわりチームを支えた。
キャッチングの上手さから佐々木が登板する時はキャッチャーが秋元さんに代わる事も。

06年、シーレックスのバッテリーコーチからベイスターズに昇格。
福澤コーチと共に「チーム縁の下」で相川鶴岡らを鍛える。








99 山口光國 フィジカルコーチ
愛称:

プロ選手経験なし


リハビリテーションの専門家で、現役時代ケガに悩まされた牛島を治療したり、
引退後の牛島と一緒に投手の故障についての講演を行ったりしてきた人。
その縁で牛島の横浜監督就任と共にフィジカルコーチとして入閣。

横浜の若手投手は期待されるほど怪我持ちor怪我をするので
山口コーチの手腕にかかる期待は大きい。
そして森を早く投げられる体にしてあげてください…。

ちなみに日立製作所サッカー部(今の柏レイソル)に所属していた経歴もある。








70 ジョン・ターニー 1軍S&Cコーチ
愛称:

プロ選手経験なし


S&Cコーチ=ストレングス&コンディショニングコーチ。
選手の体調管理をしたりトレーニング方を指導したりする人です。たぶん。

英国生まれだが紳士かどうかは不明。
プロ経験なしなのになぜかすごく人気がありファン感謝デーなどで
ターニーの周りに人が集まっているのをよく見かける。
シーレックスでコーチをしていた時は試合の合間に解説席にやってきて
何の練習でどこの筋肉が鍛えられるかなどを教えてくれるマッスル解説が人気だった。








95 平野元章 1軍S&Cコーチ
愛称:

プロ選手経験なし


78年生まれの満28歳。
多村の1つ下で小田嶋の1つ上。若い。
ファン感で子供の相手をする平野コーチは実に好青年だった。








79 岩井隆之 2軍監督
愛称:

大洋('76〜'81)−日ハム('82〜'88引退)
通算成績 557試合 打率.247 23本塁打96打点


現役時代は日ハム移籍後に初の規定打席達成と大洋よりハムの方で活躍。
内野ならありとあらゆる所を守ったらしい。

91年に古巣のコーチに就任し、
98年はベイスターズの内野守備走塁コーチとして日本一を経験している。
その後スカウトに転向、法政大進学が確実視されていた内川をドラフト1位で指名し、
母校の法政大から出入り禁止処分を受けている。

シーレックスの監督は3年目。
ゆるま湯体質と言われるシーレだが若手の尻を叩いて1軍にどんどん戦力を送り込んでほしい。








81 岡本透 2軍投手コーチ
愛称:

大洋・横浜('88〜'95)−日ハム('95途中、引退)
通算成績 200試合30勝33敗2S 防御率3.67


かつて大洋でエースナンバー18を背負ったサウスポー。
91年に中継ぎから先発に転向すると11勝をあげ
野村弘樹と共に左腕先発二桁勝利が2人もいるという
今の横浜ファンにはとても信じられない時代を築いた。

シーレで燻っている若手中堅左腕たちを覚醒させて
再び左腕王国を誕生させることができるか。








85 武藤潤一郎 2軍投手コーチ
愛称:

ロッテ('93〜'01)−日ハム('02〜'03)−西武('04)−台湾・兄弟('05引退)
通算成績 159試合17勝33敗0S 防御率4.77


速球派右腕として期待され93年ドラフト1位でロッテに入団。
98年には先発ローテ入りし8勝防御率3.76の活躍を見せ、「ハムキラー」と呼ばれたことも。
しかし制球難に苦しみ01年オフにロッテを戦力外。
その後日ハム、西武と渡り歩き、晩年は台湾でもプレーした。
牛島監督とは93年の1年間ロッテで一緒にプレー。

山口、岸本らに同じ速球派としての経験を伝授してほしいところ。








80 中根仁 2軍打撃コーチ
愛称:アニキ、中根兄貴

近鉄('89〜'97)−横浜('98〜'03引退)
通算成績 1092試合 打率.264 78本塁打351打点


あの伝説の10.19の翌89年に近鉄に入団。
1年目から10本塁打の活躍をし、リーグ優勝も経験。
ベイスターズには97年オフに盛田とのトレードで移籍入団すると
翌98年に左投手なら中根、右投手なら佐伯の「6番ライトツープラトンコンビ」で横浜日本一に貢献。
2000年には自身初のシーズン100安打を記録するなどキャリアハイを達成した。

晩年は怪我もあり低迷。
03年に同じ外野手である多村の台頭を見届けると
「多村が一人前になったらユニホームを脱ぐ」という宣言通り引退した。
横浜で中根が背負っていた背番号6は現在多村に引き継がれている。


パンチ力のある打撃とここ一番の勝負強さ、マッチョな肉体などから
現役時代から横浜ファンには「アニキ」と呼ばれ親しまれている。
横浜ファンが「アニキ」と言うと金本ではなく中根の事である。

現役当時、相手の野次に怒り試合終了後に相手ベンチに殴り込んだ事がある。

東北高校出身で佐々木主浩や斎藤隆の先輩。
ということで佐々木主浩の頭が上がらない数少ない人物。

ヒトシ3兄弟の長男であり
06年の中根の職場復帰で再び3兄弟が勢揃いした。

ヒトシ3兄弟(LivebayWiki)








73 青山道雄 2軍守備走塁コーチ
愛称:壊れた信号機

西武('84〜'89)−大洋・横浜('90〜'92引退)
通算成績 140試合 打率.154 3本塁打15打点


90年に秋元さんと一緒に西武から移籍。
しかし目立った成績は残せず引退。現役最終年に代打満塁本塁打を打っている。

引退後はすぐに横浜の守備走塁コーチに就任し、
1軍2軍の違いはあるが長らく横浜でコーチを続けている。
状況を考えずサードコーチャーズボックスで腕をぶんぶん回して
2塁ランナーをホームに突入させる「壊れた信号機」として有名。
おそらく現役時代より暴走コーチとしての青山道雄の方が有名じゃあなかろうか。

シーレックス就任後も暴走しているのかと思いきや、
しっかり西崎や木村の盗塁数を大幅に伸ばす手腕を見せている。やるな、青山。








90 銚子利夫 2軍守備走塁コーチ
愛称:

大洋('84〜'91)−広島('92〜'93引退)
通算成績 433試合 打率.256 3本塁打60打点


銚子という名字で千葉の市立銚子高で甲子園に出場しているが実家は茨城県。
法政大から84年に大洋に入団、小技の上手い2番サードとして活躍した。

92年に広島に移籍、翌93年に引退。すぐに古巣横浜でコーチに就任。
その後はずっと横浜・湘南でコーチを続け、06年で13年目。
同じく守備走塁コーチとして在籍が長い青山コーチとセットで語られることが多い。

コーチ就任時に、広島でチームメイトであった西清孝を誘い入団させ
その後、西は横浜で渋い中継ぎ投手として活躍するという「隠れた功績」もある。








86 中村武志 2軍バッテリーコーチ
愛称:中村さん

中日('85〜'01)−横浜('02〜'04)−楽天('05引退)
通算成績 1955試合 打率.242 137本塁打604打点


90年代の中日を代表する強肩強打の捕手。
高校生ながらドラフト1位で中日に入団すると星野仙一に目をかけられ早くから1軍に定着、
2度のリーグ優勝に貢献し、長い間中日の投手王国を支えてきた。

01年オフ、横浜の正捕手であった谷繁元信がFAで中日に入団。
それを受けて中村は自ら移籍を志願し、金銭トレードにより谷繁と入れ替わりで横浜に移籍。
横浜では相川亮二と併用でホームベースを守った。
04年、相川の成長により出場機会が減るとその年のオフに球界に新規参入した楽天への移籍を志願。
無償トレードで移籍し記念すべき楽天の「第1号選手」となる。
しかしすでに大ベテランであった中村は楽天では思うような出場機会が得られず、05年に引退した。


ベイスターズに移籍した当時の中村はすでに衰えが見えていて
全盛期の中日時代の「強肩強打」にはほど遠かった。
しかし正捕手候補であった相川の伸び悩みの穴をきっちり埋めて余りあるベテランの安定感に加え
投手を持ち上げる性格で若手投手や外国人投手に慕われていた姿から
横浜ファンの間でも中村は人気があり未だに熱狂的なファンも多い。

中村が中日時代、バッテリーを組んでいた野口茂樹投手がお立ち台で中村に感謝し、
「中村さんのおかげです」と発言することが多々あった。
そして中村が横浜に移籍してくると横浜の若手投手や現中日のドミンゴなどが
やはり中村に感謝しそのセリフを連発。「中村さんの〜」はベイファンの間でも流行語になった。
中村が楽天に移籍した後も、横浜投手陣はベタ惚れで
「交流戦で対戦したい選手」のアンケートに「中村武志」の名前が並んだほどである。

そんな中村さんも06年からシーレックスのバッテリーコーチ。
愛のある指導でまた若手から「中村さんのおかげです」と連呼されるのを期待。








93 三浦正行 2軍バッテリーコーチ
愛称:

大洋('76〜'81引退)
通算成績 55試合 打率.176 0本1打点


現役時代は大洋の控え捕手。
現在の背番号93は現役の時の39をひっくり返した物。

相川、鶴岡、新沼の下の世代にまだコレという選手がいないのが現状。
01年からシーレで若手捕手を見続けた眼力を生かして
「ポスト相川」となる人材育成のためにがんばってほしい。








89 谷川哲也 2軍S&Cコーチ
愛称:

プロ選手経験無し


社会人野球日本石油のコーチ時代にバルセロナ五輪日本代表のトレーナーに選ばれ、
その後ヤクルトのコンディショニングコーチとしてガラスのエースと呼ばれた
伊藤智仁のリハビリを指導するなどかなりの実績のあるコーチ。

度重なる怪我に苦しんだ森大輔のシーレックス復帰登板の裏には
おそらく谷川コーチのリハビリ指導があったのではないだろうか。
毎年どこかを痛めて1軍の登録を抹消される多村の面倒もどうかお願いします。








87 塚原賢治 2軍S&Cコーチ
愛称:

プロ選手経験無し


90年にトレーニングコーチに就任して以来横浜一筋17年目。
大洋横浜ホエールズ時代から裏方としてチームを支えてきた大ベテランコーチ。

シーレックスのコーチは今年で3年連続。
若手の体調管理を頼みます。








78 高木由一 育成特別コーチ
愛称:とっつあん、凸

大洋('72〜'87引退)
通算成績 1147試合 打率.295 102本463打点


現役時代はアベレージヒッターとして活躍。
市役所勤めから大洋にテスト入団という変わり種。

コーチとしてはマシンガン打線の生みの親として知られる。
ブレイク前の古木も熱心に指導されていた。
04年から「育成特別コーチ」に任命され、これは1軍2軍の枠を離れて選手を指導する役職らしいが
実際のところ何をしているのかよく分からない。

とにかく教えることが大好きなようで、ファン感謝デーのトスバッティングコーナーでは
ファン1人1人に熱血指導。素人相手にも1球投げては手取り足取り教える鬼コーチぶりを発揮する。