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モドル




11 山口俊 
愛称:

1987年7月11日生まれ 大分出身 右投げ右打ち
横浜高校生ドラフト1巡目('06〜) 新人
推定年俸870万円


05年春の選抜で151キロを計測した快速右腕。
選抜で敗れた際に「夏に必ず戻ってくる」と甲子園の土を持って帰らなかったが
同年夏の県大会予選で右ヒジを痛め無念の敗退。
この故障で各球団のスカウトの評価は軒並み急落したが
ベイスターズだけは熱視線を送り続けヒジは完治したと判断し高校生1巡目指名した。

父親は力士で元前頭4枚目・谷嵐。
高校2年の夏の県予選で敗退し、落ち込む山口に父が一言
「これがおまえの実力。やらんといけんことが分かったか」
と声をかけその言葉が胸にしみた山口は必死に練習に打ち込んだ、という萌えるエピソードもある。

新入団選手発表に父に教え込まれたしこ踏みで登場。
マウンドでもしこ踏みパフォーマンスをやりたいと宣言し早くもスター性をアピール。

同期で巨人入りした辻内崇伸を特にライバル視している。








12 吉川輝昭 
愛称:

1981年11月13日生まれ 佐賀出身 右投げ右打ち
横浜自由枠('04〜) 3年目
推定年俸1350万円


九州男児らしい荒削りな力押し右腕。
期待はされているがまだどんぐりの背比べの1人。

日本文理大時代は先発抑えで活躍し、4年時に全日本大学選手権日本一を経験。
それを買われて自由枠で横浜に入団。

入団時に「大学ではほとんど変化球を投げたことがないのでこれから覚えていきたいです」
ととんでもないことを言い出して横浜ファンをポカーンとさせたが
いざマウンドにあがるとそこそこ落ちる球を投げてみせ、
「なんだ変化球投げられるじゃん」とファンをホッとさせた。
しかしそこそこの変化球ではさすがに通用せず、制球も甘いため1年目2年目とよく燃えた。

185cm95kg恵まれすぎた体型の持ち主。
その風貌から一時期「ハマのゴエモン」などと書かれたこともあるがまったく定着していない。
球団が勘違いし長い間公称が右投げ左打ち(実際は右打ち)とされていたことから
野球ゲームでは左打席に立つ吉川が見られる。

ルーキーイヤーに自由枠(ドラフト1位)とかけてサッポロドラフトワンのCMに出演したことがあるが
あまりの大根役者ぶりにほとんど闇歴史となっている。

デニーや佐々木が在籍中はいじられ役で
突然デニーに「君、最近調子にのっているらしいね」と根も葉もない言いがかりをつけられたり
試合中に佐々木にロッカーをいじられ、ソファーと葉巻を置かれた所を
後からやってきたデニーに見つかり「1勝すると、お前はこんなにも変わるのか」と説教されたり
よくおもちゃにされていた。









13 那須野巧 
愛称:

1982年10月4日生まれ 東京出身 左投げ左打ち
横浜自由枠('05〜) 2年目
推定年俸1300万円


身長192cmの長身サウスポー。
日大出身で村田と堤内の1年後輩、桑原とは同期。
その名前から炎上した時は「焼きナス」と不名誉なあだ名で呼ばれることも。
デスノートのリュークに顔が似ている。


アマチュア時代から日大のエースとして大活躍し、東都リーグ新記録の10連勝も記録。
そして鳴り物入りでベイスターズに入団、マスコミもこぞって新人王候補筆頭に挙げ
ついに念願の若手先発左腕キターと横浜ファンは小躍りをした。

しかし大学4年の秋に痛めたヒジの影響が思ったより重く、春のキャンプですでに出遅れると
その後も乱調が続き、1年目はわずか1勝防御率8.19で終わってしまった。
この期待を大きく裏切る結果に、
「あの那須野でも『横浜の新人投手は期待が大きいほど活躍できない呪い』には勝てないのか…」
と多くのファンが絶望したと言う。

とにかく制球に安定感がなく、四球でランナーを出しては痛打を浴びて炎上という
独り相撲が多すぎるため信頼が得られないのが現状。
アマチュア時代の実績を考えても持っている才能は飛び抜けているはずなので
早く芽から花を咲かせてほしいところ。








17 加藤武治 
愛称:先生、加藤先生

1978年3月24日生まれ 山形出身 右投げ右打ち
横浜ドラフト4位('03〜) 4年目
推定年俸5500万円


長い腕を生かしたしなりのあるサイドスローから
150キロのストレートを投げ込む速球派右腕。

隠し球としてドラフト4位で指名されるが本当に隠し球であったため
横浜ファンの間でも加藤に関するデータがほとんどなく
「誰だよ!」「もっと下位でも獲れるだろ」など評判はすこぶる悪かった。
ところがいざマウンドに上がるとキレのある速球を武器に
1年目からリリーフで防御率2.77を記録し前評判を完璧に払拭した。

2年目3年目もリリーフで活躍。
チーム事情から先発に回されることもあったが
スタミナ不足と球種の少なさから後ろを任される方が向いているようだ。


教員免許を持っていることから「先生」のあだ名で呼ばれることが多い。

東京学芸大出身で栗山英樹の後輩になる。
学芸大出身のプロ野球選手はこの2人のみ。

子供の頃に犬に噛まれた影響で極度の動物嫌い
犬だけでなく猫や小鳥までもが嫌いで見るだけで鳥肌が立つというからかなりの重症である。
去年まで広島のベースボール犬として活躍したミッキーは
実は対加藤武治用の戦力であったのではないかと噂されている。
ミッキーの引退でほっとしたのもつかの間、今度はロッテにベースボール犬が登場との噂が。
さらにミッキーも引退撤回で加藤の試練はまだまだ続く。

故郷の山形に遠征した時にスタンドに姉の姿が見えないことをしきりに気にしていた。
それを公式レポートで書かれたためシスコン疑惑が浮上した。








20 木塚敦志 
愛称:神

1977年7月19日生まれ 埼玉出身 右投げ右打ち
横浜ドラフト2位('00〜) 7年目
推定年俸7500万円


頼れる右のセットアッパー。
横浜のリリーフ陣にはなくてはならない存在の1人。

2000年、大卒ルーキーで抑えに抜擢されると
翌01年にはセットアッパーでフル回転し最優秀中継ぎ投手に。
躍動感溢れるピッチングと気合いで打者をねじ伏せる姿からと呼ばれる。
酷使がたたって故障、しばらく低迷していたが05年に復活。

牛島監督も顔負けの殺気立った目で打者を睨み付け
右サイドスローから気合いのこもったストレートを投げ込む。
打者を三振に切ると吼えながらガッツポーズを見せる時も。

必ず股割りをしてからマウンドに上がり
その後ものすごい勢いで足下の土を掘ってから投球練習を開始する。
あまりに深く掘るので次の投手が足を取られて転ぶことも。
今では「股割り→穴掘り」のパフォーマンスを期待している横浜ファンも多く
木塚が出てくると「掘ってる掘ってる(*´∀`)」と喜ぶ姿も見られる。

練習中は芝の上を転がったりものすごい陽気。
試合で投げている時とのあまりの差に戸惑うファンも少なくない。








24 門倉健 
愛称:アゴ倉

1973年7月29日生まれ 埼玉出身 右投げ右打ち
中日ドラフト2位('96〜'99)−近鉄('00〜'03)−横浜('04〜) 11年目
推定年俸7500万円


球界一の長いアゴを持つピッチャー。
長身から投げ下ろすフォークボールが武器。

中日、近鉄と渡り歩き03年オフにトレードで横浜に移籍。
先発での活躍が期待されたが移籍1年後の04年はそれに応えることはできなかった。
しかしシーズン後半に佐々木が戦線離脱すると代わりの抑えに任命され10セーブ。
元々チキンハートの気がある門倉だったが、佐々木のスパイクを履いてマウンドに上がり
その神通力にあやかってなんとか代理のストッパーを果たす。
05年は牛島監督の指導によりまさかの快投を連発。
7年ぶりの二桁勝利にシーズン最多奪三振とチームのAクラス入りに大きく貢献した。
05年8月20日には中日に勝って史上4人目の「12球団勝利」を達成した。

同じ年の三浦とは仲が良くお互いに意識するライバルでもある。
キャンプ中にブルペンで突然投げ込み合戦が始まったことも。


自分の長いアゴを誇りに思っている。
登板時の出囃子はアントニオ猪木のテーマ曲の「燃える闘魂」にしていて
ヒーローインタビューのパフォーマンスで「1、2、3、ダーッ!」と叫んだことも。
お笑い芸人のはなわが門倉のアゴをネタにした歌をつくった時にはそれを快く了承し、
「登板日はイニングの合間にかけてもらうかも」とまで言っていた。
チームメイトにもよくアゴをいじられ、一緒にお立ち台に登った佐伯が
門倉に感謝をこめて「どうもアゴがとう」と言ったこともある。








27 山北茂利 
愛称:まいたけ

1978年1月6日生まれ 岐阜出身 左投げ左打ち
中日ドラフト3位('00〜'04)−ロッテ('05〜'06途)−横浜('06途〜) 7年目
推定年俸3050万円


191cmの長身左腕。
06年途中にロッテから交換トレードで横浜に移籍。
中日時代に左の中継ぎとして二年連続57試合に登板した実績がある。

交換相手が龍太郎、南竜介と横浜ファンの間でも評価の高い若手2人であったことから
トレード発表直後の山北への反応は厳しいものが多かった。
しかし前球団であるロッテの公式サイトで山北のプロフィールが発掘されると
「趣味iPod、好きな食べ物まいたけ」という素朴な内面に思わず応援したくなるファンが続出。
山北は移籍後登板する前に、まいたけキャラとして確立してしまう。


ランディージョンソンに強く憧れており、中日、ロッテでは背番号51にこだわりを見せていた。
ロッテ時代のチーム内でのあだ名は「ランディー」。
活躍した時はマスコミに「和製ジョンソン」と書かれることもある。

古木克明とは02年のインターコンチネンタルカップ日本代表で顔を合わせたことがある。








30 土肥義弘 
愛称:ガチ

1976年9月1日生まれ 埼玉出身 左投げ左打ち
西武ドラフト4位('98〜'04途)−横浜('04途〜) 9年目
推定年俸6600万円


04年シーズン途中に西武から交換トレードで横浜に移籍。
西武時代は左のセットアッパーとして好成績を収め、
横浜では貴重な左の先発として活躍している。

格闘技好きとして知られ、土肥本人もかなりのムキムキ。
埼玉県鳩ヶ谷市の親善大使である。


巨人戦では神懸かり的な力を発揮し、「巨人キラー」と呼ばれている。
横浜移籍後、左の先発としてローテーションの一角を任せられると
04年7月から05年8月まで歴代2位タイの対巨人戦8連勝を記録。
プロ初完投もプロ初完封も巨人戦で達成している。
05年は10勝を上げプロ初の二桁勝利を達成したが、そのうちなんと7勝が巨人戦だった。

西武で中継ぎを任されていたころから近鉄のタフィローズをカモにしており
セリーグ移籍後も一足先に近鉄から巨人に移籍していたローズをほとんど寄せ付けなかった。


西武では先発を望んだが受け入れられず
結局一度も1軍では先発させてもらえないまま横浜にトレードとなった。
これがよほど悔しかったのか交流戦で西武相手に勝利した時、
お立ち台で古巣への恨み節を吐き出した。
西武ドームでライオンズファンもたくさんいる中で古巣への怒りを表す土肥に
横浜ファンは「土肥だけはガチ」と呼びいろいろと土肥のすごさを確認することになった。

土肥だけはガチ(LivebayWiki)








34 三橋直樹 
愛称:

1980年12月2日生まれ 神奈川出身 右投げ右打ち
横浜大社ドラフト4位('06〜) 新人
推定年俸1300万円


松坂世代最後の隠し球。
高校、大学、社会人と神奈川県で育ったバリバリの地元右腕。
オーバースローから多彩な変化球を操る綺麗にまとまったタイプの投手。

某野球漫画の主人公投手と名字の漢字が一緒だが
こちらは「みはし」ではなく「みつはし」と読む。

高校時代は無名の存在、努力の末社会人2年目にして才能を開花させ
日産自動車のエースとして活躍。
26歳にしてベイスターズに指名され、晴れてプロ入りとなった。

ドラフト指名当時の横浜ファンの反応はすこぶる悪く、
「三橋かよ!」「もっといいのいるだろう」と散々なものだった。
しかしベイスターズにはドラフト指名時に評判の悪かった選手ほど活躍するというジンクスがあり
これはもうすでに三橋には活躍フラグが立っている!と一部のファンの間では期待が高まっている。








35 牛田成樹 
愛称:

1981年12月6日生まれ 徳島出身 右投げ右打ち
横浜ドラフト4巡('04〜) 3年目
推定年俸1200万円


徳島が生んだフォークボーラー。
高い身長から投げ下ろすストレートと2種類のフォークでシーレックスではリリーフの柱として活躍。
投球回数を越える奪三振数が魅力だが1軍だとなぜかその力が発揮できずにいる。

大学時代に深夜寮を抜け出して自主トレしていて5回も職務質問された事がある。

趣味は阿波踊りでシーレックスではよく踊っている。
毎年踊るために徳島に帰省しているらしい。
早く1軍に定着してハマスタで踊りまくることを期待。








36 村西哲幸 
愛称:

1981年8月6日生まれ 滋賀出身 右投げ右打ち
横浜ドラフト3位('00〜) 7年目
推定年俸630万円


比叡山高校ではオーバースローからの速球とナックルを武器に活躍。
しかしベイスターズ入団後すぐにヒジを痛めてしまいサイドスローに転向、
鋭く落ちるシンカー?を取得し04年には初めて1軍のマウンドも経験。
このままサイドスローとしてやっていくのかと思ったら今度は05年からアンダースローに転向。
上、横、下とプロ入り後ころころ投げ方が変わっている。
このままアンダースローで覚醒してくれたら非常に萌えるのだが。

ヤクルトの細見直樹捕手は比叡山高校時代のバッテリー。








41 岸本秀樹 
愛称:キッシャン

1982年10月18日生まれ 京都出身 右投げ右打ち
横浜ドラフト5巡('05〜) 2年目
推定年俸900万円


150キロ近い速球で強気に押す投球が持ち味の若手右腕。
速球にこだわりが強く、相手打者のバットを折るのが好き。

チームメイトの藤田一也は近大の同期で
藤田からは「キッシャン」と呼ばれている。

長身右腕、直球が速い、スライダーがよく曲がる、イケメン、と共通点が多く
マウンドでのシルエットもどことなく似ていることから
岸本を斎藤隆と重ね合わせる横浜ファンは少なくない。

コントロールが悪く特にセットポジションになると壊滅的。
1年目から1軍に帯同し、期待は大きいが制球が安定しない限りは厳しいか。








42 クルーン 
愛称:

1973年4月2日生まれ 米国ニューヨーク州出身 右投げ右打ち
横浜('05〜) 2年目
推定年俸1億9000万円


日本球界最速161キロ右腕。
マウンドに上がると当たり前のように155キロ前後を計測し、
150キロ前半を投げると「今日は調子が悪い」と言われてしまう投手。
ストレートが速ければ変化球も速く140キロ中盤の変態フォークを投げる。
「速球派」の世界を変えてしまった「超速球派」。

底抜けに明るいキャラクターでファンにもチームメートにも優しい。
佐々木を先輩と慕い、佐伯とは練習中によくふざけあっている。
試合直前のマックやモスバーガーなどで目撃されることが多い。

かなりの偏食で主食はピザとハンバーガー。
野菜嫌いで魚介類も口にできず、日本食はほとんど食べられない。
牛丼を食べた時は食堂中から拍手が起こったという。


来日1年目、05年の春のキャンプでいきなり151キロを計測。
シーズン開幕後、気温が上がってくるとどんどん球速も上げていき
4月30日には当時の日本球界タイ記録であった158キロをマーク。
5月11日には159キロを計測してあっさり日本記録を更新する。
そして2005年7月19日、甲子園球場で阪神の赤星憲広への6球目に
日本球界最速の161キロを計測。

その後もクルーンは159〜160キロを連発し、球速王の名前を欲しいがままにした。

クルーンの球速記録(はてなキーワード)

ちなみに05年8月11日、巨人の堀田に3球目を投じた瞬間、スピードガンが162キロを表示したが
明らかに違和感のある表示であり「あれはピッチャー返しの打球速度だろう」ということで
記録にはならず、代わりに堀田が日本球界最速野手とされることになった。

クルーンのストレートは手元で伸びる「空振りの取れる速球」ではないため
バットに当てられることが多い。
悪く言えば棒球だが、それでもここまで速いと十分武器になるようだ。
解説者時代のノムさん曰く、「クルーンのストレートは外国人投手独特のズドン!と言う重い球」

05年シーズンは主に2段モーションだったが、
単に三浦が投げているのを見て憧れただけであり特に投げ方に対するこだわりはない。








46 佐久本昌広 
愛称:

1974年7月15日生まれ 沖縄出身 左投げ左打ち
ダイエードラフト4位('96〜'02)−阪神('03〜'05)−横浜('06〜) 11年目
推定年俸1000万円


99年00年のダイエーパリーグ連覇時代を知る11年目のベテラン。
と言っても三浦門倉の1つ下で今年で32歳。
まだまだ老け込む歳ではなく、牛島組長による再生に期待がかかる。

プロ1年目から主に中継ぎとして1軍で登板し、2年目には8勝をあげる活躍。
翌年から左の先発として期待され99年には日本シリーズで先発した経験もある。
しかしその後長らく低迷し02年にトレードで阪神に移籍。
04年からサイドスローに転向するも結果が出ず05年オフに自由契約に。

そしてトライアウト、入団テストを経て横浜に移籍。
元が安かったのもあるがなんと年俸1000万で契約し超格安選手となった。
横浜移籍でチームメイトになる種田とは
99年のダイエー対中日の日本シリーズで直接対決している。








60 飯田龍一郎 
愛称:

1985年3月15日生まれ 京都出身 左投げ左打ち
横浜ドラフト7巡('03〜) 4年目
推定年俸500万円


謎の大型左腕。
185cmの長身から投げ下ろす縦のカーブが武器らしい。

高校生素材買い指名で横浜に入団。
プロ入り三年間のうち2軍でシーズン通して10試合以上投げたことが一度もなく
横浜ファンの間でも謎のベールに包まれた投手。
しかし何故か首脳陣の評価は高く、春期キャンプや秋季キャンプで1軍に帯同。
05年にはプロ初登板も果たし1イニングを無失点に抑えている。

とにかく謎多き投手でまさにベイスターズの「秘密兵器」。
果たしていつその全容が明らかにされるのか…。