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モドル




49 斉藤俊雄 
愛称:

1983年6月22日生まれ 愛知出身 右投げ右打ち
横浜ドラフト10位('05〜) 2年目
推定年俸600万円


将来の1軍定着が期待される素材型捕手。
まだシーレックスでも正捕手ではなくもっとレベルアップが必要。

豊田大谷高校では強打の捕手として活躍。古木の高校の後輩。
どうやらこの頃から横浜のスカウトは目をつけていたらしい。
その後三菱自動車岡崎で社会人野球を続けるも
04年に親会社三菱自動車の不祥事で野球部が活動自粛。
結果、プロ入り前に1年間チームとして練習も試合もできないという
大変苦しい時期をすごした苦労人である。

同期でロッテに入団した竹原直隆も三菱自動車岡崎のチームメイトで
同じくつらい時期を耐えた仲間。








57 鶴岡一成 
愛称:鶴様

1977年5月30日生まれ 兵庫出身 右投げ右打ち
横浜ドラフト5位('96〜) 11年目
推定年俸1500万円


現在のベイスターズの第二捕手。
相川のライバルであり虎視眈々と正捕手の座を狙う。

相川が95年に高卒捕手として入団、鶴岡は翌96年に同じく高卒で入団。
2人は年齢もプロ年数も1つ違いのライバルとしてポスト谷繁の座を争う事になる。
1軍デビューも相川99年鶴岡00年と常に鶴岡が一歩後ろをついてくる形だったが
その後、将来の正捕手として英才教育を受ける相川と
1軍定着できず燻っていた鶴岡の間には大きな差がついてしまった。
結局鶴岡は谷繁FA退団後も「相川・中村体制」に割り込むことができず
03年には2年目の小田嶋に押し出される形で1軍試合数0に終わってしまう。

しかし04年、相川がアテネ五輪代表に選ばれチームを離れている間に1軍に呼ばれると
打数は少ないながら打率.400本塁打2本の活躍をし首脳陣に猛アピール。
05年は常時1軍に帯同し一気に第二捕手の座を勝ち取った。

ずいぶん回り道をしてしまったが再び相川の背中が見える所までやってきた鶴岡。
このまま正捕手を奪取して相川の一歩前に立つことができるか。


関西出身らしくよくアホなパフォーマンスを披露する。
毎年ファン感謝デーではワルノリする鶴岡の姿(ロンゲヅラを着用、頭を振り回してエアギターetc)
が見られそのメインステージは鶴岡のためにあると言っても過言ではない。








2 内川聖一 
愛称:うっちー

1982年8月4日生まれ 大分出身 右投げ右打ち
横浜ドラフト1位('01〜) 6年目
推定年俸2500万円


しゃくれたアゴがトレードマークの期待の若手内野手。
将来的な期待ではなく、すでにスタメンでの活躍が期待されている有望株。
セカンドからファーストに暴投を投げてしまう魔送球が弱点。
同期の内野手である西武の中島裕之をライバル視している。


早いうちから首脳陣に才能を買われ1軍に定着すると
タクローの大不振などをきっかけにスタメンでの出場機会を増やし
高卒4年目の2004年には通年でセカンドのスタメンとして活躍する。
この年の巨人戦で3打席連続ホームランという離れ業をやってのけ
マスコミからアゴジラという称号で呼ばれた。
このころから内川がホームランを打つと佐伯らチームメイトが内川のアゴにタッチする
アゴタッチの儀式が行われるようになった。
現在はタクローや種田に押され代打での出場が多い。

一時期その打棒を生かすためレフトやファーストで使われたが
内川本人が「どこでも出場できればいいというわけではない」と便利屋として起用されることを拒否。
あくまで二遊間でスタメンを勝ち取ることを目指している。

しゃくれたアゴに大きな瞳で優しそうな顔立ちだが
好調時にスタメンで使ってもらえなかった時はベンチ裏で灰皿を蹴飛ばし
それを諭した佐伯に食ってかかったほど中身は熱い男である。

第2の多村と言われるほどシーズン途中での戦線離脱が多い。
実は昔から体が弱く高校時代には骨嚢腫という骨に穴が空く奇病にかかり
左足のかかとを3回も手術。
プロ入り後の03年には突然右目の視力が落ちたり、右手の握力が弱くなったりして
戦線離脱を繰り返した。
その年のオフに右目右手の不調はアゴが曲がっていて神経を圧迫しているからだと発覚。
契約更改でアゴの整形代という前代未聞の理由で年俸を増額されるが
結局トレードマークのアゴは維持したまま奥歯の噛み合わせを矯正して解決した。


06年2月9日付けのサンケイスポーツに「ちょいワル皇帝 アゴジラ改めカイゼル内川」という記事と
西洋風のツケヒゲを装着した内川の写真が掲載され、横浜ファンは騒然となった。




06年TBS系野球中継のテーマソングであるPUFFYの「モグラライク」特別版PVでは
ユニホームを着た内川と小池が音楽に合わせて不思議なダンスを披露している。








5 石井琢朗 
愛称:タクロー

1970年8月25日生まれ 栃木出身 右投げ左打ち
大洋ドラフト外('89〜) 18年目
推定年俸1億7500万円


ハマのリードオフマン。
本名は石井忠徳(ただのり)。「琢朗」は登録名。

入団時は投手であり、勝利投手にも1度なっている。
自ら野手転向を申し出て92年から内野手に。その時に登録名を現在の「琢朗」に改名。
野手転向2年目でいきなり盗塁王とサードのゴールデングラブ賞を獲得。
96年にサードからショートにコンバートされ、現在おなじみのショート石井琢朗となる。

その後は打っては最多安打、守ってはゴールデングラブ、走っては盗塁王と
まさに3拍子揃った選手として活躍し横浜不動の「1番ショート」として君臨。
98年にはマシンガン打線のトップバッターとしてチームを日本一に導いた。

01年→02年→03年と成績を落とし「限界説」も囁かれたが04年に打率.295を打ち復活。
低迷するチームを鼓舞するかのようなヘッドスライディングなどでチームを牽引した。
しかし05年は夏をすぎた辺りから再び低迷。
「通年はそろそろ厳しいのでは」と言う声もあがっている。

05年シーズン終了時点で1961本の安打を積み重ねており
06年中の2000本安打達成が確実視されている。(残り39本)
もしタクローがこのまま2000本安打を達成すると
ドラフト外入団選手としては秋山幸二以来2人目、
投手として勝ち星をあげたことがある選手としては川上哲治以来2人目の快挙になる。
また球団記録である松原誠の通算2081安打にも迫っており
これも追い抜くのは時間の問題と言われている。

こう見るとタクローってものすごい大打者なんじゃないか?という気になってくるが
不思議と「ミスターベイスターズ」という声は聞かれない。
タクロー本人にまだまだ老け込んだ様子が見られないからだろうか。


グラウンド外ではプレイボーイとして有名。
それにしつこくファールで粘る嫌らしいバッティングスタイルも相まって
一部の横浜ファンの間では「タクロー=エロ」というイメージになっている。
タクローがファインプレーをしたりヒットを打ったりすると「エロい!」という言葉が飛ぶが
これは最高の誉め言葉なのである。

ここ最近、年齢からかおっさんギャグが目立つようになる。
例:バットの滑り止めスプレーの粉が人にかかって
タクロー「スプレー(失礼)しました」








25 村田修一 
愛称:ムラハハ、男村田

1980年12月28日生まれ 福岡出身 右投げ右打ち
横浜ドラフト自由枠('03〜) 4年目
推定年俸4150万円


男気溢れる右の長距離砲。
1年目から新人歴代6位の25本塁打を記録。
ラビットボールの申し子と言われたこともあったが飛ばないボールになった後も本塁打を打ち
プロ3年間で通算64本塁打。横浜が誇るホームランバッターである。

入団当時はフルスイングにこだわり安打よりも本塁打という所があったが
年を追うごとに確実性を追い求める姿勢も見られるようになっている。


同い年の大砲である古木とはコンビで語られることが多く、2人でFM砲と言われている。
ライバルは日大の同期であるヤクルトの館山。

吉村裕基は東福岡高校の後輩であり非常に仲が良い。
というより吉村が村田にべったりである。


「三振は大打者の条件だと思っている」等入団直後から大物の風格漂う言動を連発。
豪快な打撃にビックマウスと昭和の匂いのするキャラで男村田と呼ばれ人気に。
お立ち台での独特の言い回しも魅力の一つである。

村田語録
だいたい自分は巨人が嫌いです(LivebayWiki)

しかし、意外と繊細な面もあり試合前は緊張のためえずくこともあるらしい。


05年、不振のため9番まで打順を下げられた時、
ゲーム前に牛島監督に「9番の次の打順は何か知っているか」と聞かれた村田は
「1番です」と答え「アホか、次は無いんじゃ」と一喝された。
そしてこの試合でホームランを打った村田はお立ち台で「生死をかけて打ちました」と発言した。








26 小田嶋正邦 
愛称:オダジーニ

1979年4月12日生まれ 神奈川出身 右投げ右打ち
横浜ドラフト3位('02〜) 5年目
推定年俸1200万円


長打力が魅力の内野手。
フリーバッティングの飛距離はチーム1と言われる。
ラビットボール導入以前の打撃練習でハマスタのバックスクリーンを越える打球を放っていたとの噂も。

強肩強打の捕手として東海大からドラフト2位で入団。
03年7月18日の巨人戦で球団史上初の代打サヨナラ満塁ホームランをレフトスタンドに放つ。
このホームランはベイスターズにとって実に2年ぶりのサヨナラ勝利をもたらすものだった。

このまま打てるキャッチャーとして1軍定着が期待されたが
守備面で相川鶴岡を越えることができず、05年オフに内野にコンバートされ
ファースト・サードに専念することに。
当時1軍のファーストが佐伯しかおらず、それを脅かす存在として大きな期待をされたが
どうにも内野守備がおそまつで今のところ2軍で監督に怒られる日々を送っている。

飛ばす才能はかなりのものらしく右の長距離砲としての期待は大きい。








52 石川雄洋 
愛称:

1986年7月10日生まれ 静岡出身 右投げ左打ち
横浜ドラフト6巡('05〜) 2年目
推定年俸470万円


走攻守すべてに高いセンスを持つと言われる若手内野手。
地元横浜高校出身で甲子園も経験しており早くもスター候補の呼び声高い。
西武の涌井秀章とは同級生。

ドラフト会議直後のTVKのベイスターズ番組に生出演し
臆することなくその場を切り抜けたり、
新人入団会見のパフォーマンスでただ一人投げキッスを披露するなど
すでに才能の片鱗を見せ始めている。

静岡出身で横浜高校だと鈴木尚典と一緒だが
どうもキャラ的には石井琢朗の路線を行きそうな気がする。








53 野中信吾 
愛称:

1983年9月24日生まれ 佐賀出身 右投げ両打ち
日ハムドラフト5巡('02〜'03)−横浜('04〜) 5年目
推定年俸800万円


俊足が武器の小兵選手。
03年オフに日ハムから交換トレードで移籍入団。
元々横浜がドラフトで獲得したかったがその時は日ハムに先に指名された。

足の速さが野中の最大の武器。
移籍後即イースタンリーグの盗塁王を獲得し、一軍でも代走だけで3盗塁を決めて
田中一徳から代走要員の座を奪った。

05年5月6日、対ロッテ戦の9回裏に代走として2塁ランナーにいた野中は
村田のレフト前ヒットで一気に生還。サヨナラのホームを踏んだ。
レフトがボールを掴んだ時にはまだサードベース手前であったがそこから一気に加速しホームイン。
横浜ファンに野中の俊足を強く焼き付けたシーンだった。








00 河野友軌 
愛称:

1980年11月1日生まれ 埼玉出身 右投げ左打ち
横浜ドラフト8巡('03〜) 4年目
推定年俸850万円


一軍レベルまで後一歩という感じの中堅外野手。
1年目から毎年一軍に呼ばれるのだがそこからなかなか壁が越えられないでいる。

04年オープン戦で鬼のように打ちまくり打率.444、5本塁打を記録。
開幕一軍の切符を掴み、横浜の外野に若きスター誕生キター!!と期待されたが
シーズンが開幕するとその勢いがなくなりぱっとしないまま二軍落ち。
代打中心の起用で厳しい面も合ったが結局はオープン戦だけの確変に終わってしまう。

05年、シーレックスで自身初の3割を記録するも
年齢は中堅にさしかかり、1軍の外野手も層が厚くなりつつある。
うかうかしている暇はなく、そろそろ一軍の壁を破りたいところ。








7 鈴木尚典 
愛称:タコさん、タコノリさん

1972年4月10日生まれ 静岡出身 右投げ左打ち
大洋ドラフト4位('91〜) 16年目
推定年俸2億2000万円


再起が期待されるハマの安打製造器。
近年の大不振にあっても未だ生涯打率.307の大打者。
公式戦、オールスター、日本シリーズの全てで通算打率3割以上を記録している。

プロ4年目の94年に代打満塁本塁打を放ち1軍定着のきっかけを掴むと
翌95年からはスタメンに定着。
その後長らく横浜の「3番レフト」として3割前後かそれ以上の打率を残し、
97年98年には二年連続首位打者に輝いた。
特に98年はマシンガン打線の中軸として活躍、チームの日本一にも大きく貢献した。

01年、4番に指名された事が影響して打撃を崩しかけるがなんとか克服し打率.315をマーク。
インコースや落ちる球などに苦戦するようになり、若干衰えを感じるようになるが
それでも03年にはしぶとく打率.311の成績を残す。

しかし04年に開幕から2番を任せられると、打順を意識するあまり
打率1割台と大不振に陥ってしまい4月途中にスタメン落ち。
代打要員から復活を目指したがそのまま調子が上がらずシーズン終了。
この不振が今日までずっと続いている。

06年は肩痛もあり開幕2軍スタート。
このままで終わって欲しくはない。なんとか這い上がってきて欲しい。


伝統芸能
打撃に衰えが見えはじめたころから鈴木尚典はセカンドゴロを量産しはじめた。
これがあまりにも多く、どうせセカンドゴロだろ、と思っていると予想通りセカンドに打つので
いつしかファンの間で「鈴木尚典のセカンドゴロは伝統芸能」と言われるようになった。
最近では鈴木尚典がヒットを打つと「2コロの打ちそこない」とまで言われている。

四次元守備
昔から鈴木尚典の外野守備はよろしくなく、弱肩・落球・ボール見失いetc
様々なエラーをやらかしてきた。レフト鈴木尚典の方に打球が飛ぶとショートの石井琢朗が
全力でバックアップに走る姿が見られる。
最近は後輩の古木が守備下手レフトの血を継いでいる。



プロ野球選手らしくない、素朴で人の良さそうな顔をしている。
そのためハマスタの選手入場口で、警備員に止められたことがある。

大のプロレス好き。
同じくプロレス好きの三浦とは仲が良い。








33 古木克明 
愛称:スター古木etc

1980年11月10日生まれ 三重出身 右投げ左打ち
横浜ドラフト1位('99〜) 8年目
推定年俸2300万円


ハマのファンタジスタ。
プロとは思えない面白守備、はまればどこまでも飛ばす長打力、
そして数々の伝説を引き起こす圧倒的なスター性でファンの心を掴んで離さない選手。

佐伯やタクローらベテラン選手を含めてもハマスタで最も声援の多い選手の一人であり
ネット上のネタ要員としても絶大な人気を誇る、
実はともかく名においてはベイスターズの顔と言うべき選手である。

同い年の村田修一とセットで語られることが多く、2人でFM砲と呼ばれることがある。
巨人戦ではよく打ち、特に上原には無類の強さを発揮する。


99年松坂大輔の外れ1位でベイスターズに入団。
若き大砲候補として期待され、前評判通り2軍では結果を残したが
1軍では伸び悩み上にあがってきてはヒットすら打てずにすぐに下に落とされる時代が続いた。

02年秋にプロ初ヒットを放つと9月からシーズン終了までに.310、9本塁打を記録。
オフのインターコンチネンタルカップでも4本塁打で大会本塁打王に輝き一気にブレイクした。
しかし翌03年はバットに当たると飛ぶがめったに当たらないという状態で
チャンスにも弱く、打率.208、22本塁打、37打点と言う信じられない成績に終わる。
またサードの守備でも粗さを見せ、20失策でセリーグ失策王になってしまう。
(この年の古木は打撃守備共にあまりにも衝撃的で未だにハマファンの間では語りぐさになっている)

04年からは村田のサード固定でポジションを追われ外野にコンバート。
その後も毎年1軍に帯同するもフライの落下点を感知するのが下手という
外野手とって致命的な弱点を抱えており未だスタメンに定着できていない。
代打では結果を残すなど打撃は向上を見せているだけに実に惜しい。
このもどかしさが古木の魅力であるとも言えるが。

05年オフの契約更改の席で「気持ちをリセットしたい」と突然トレード志願。
横浜ファンを騒然とさせるが、球団の説得とたまたま立ち寄ったガソリンスタンドの店員の
「横浜に残ってください」の一言で残留を決意。
今日まで無事にベイスターズの一員として活躍中である。



古木伝説〜守備編〜

ファースト
・何でもない牽制球をスルー。
・あまりにもアレな守備のため、ワンバウンドの送球を捕球しただけで
全ポジションから「ナイスファースト!!」と声がかかったことがある。

サード
・ゴロを捕った投手からサードへのなんでもない送球をグラブにも当てずにスルー。
・03年横浜スタジアムでの試合中、古木がサードゴロを捕球し1塁に投げようとした瞬間
突然両足から崩れ落ち何もないところで思いっきり転倒、
ボールをあさっての方向へ投げ飛ばしてしまう。
この瞬間、実況アナは「古木あーっと!」と叫び、
解説斉藤明夫は「自分のお庭ですよ、お願いしますよ」と呆れかえった。
この2つは名言として語り継がれ、特にあーっとはエラーを示す言葉として完全に定着した。

外野
・レフトゴロを蹴っ飛ばしてボールを見失いセンターに拾わせる。
・レフト線にあがった高いフライを捕ろうと追いかけ、
そのままボールを追い越してしまい慌てて戻ろうとするも
すでに落下して来たボールに翻弄され転倒、3塁打にしてしまう。
この時も実況アナに「おっと戻って…あーっと!落としてる落としてる!」と言われてしまう。


古木伝説〜行動、言動編〜

・小学校の卒業文集に「僕の夢はプロ野球選手になることです。
でも大洋とロッテには入りたくありません」
と書いていた。
しかしその数年後、何の因果か横浜に入団する。
さらにこの文集がのちにトリビアの泉で晒され、そのネタが金の脳を獲得してしまう。

・ドラフト指名直後、当時の権藤監督がヘリで古木の実家まで移動しその日のうちに指名挨拶を行う。

・シーレックス時代、当時付き合っていた彼女が観戦に訪れ
古木のことを「カー!カー!」と呼び応援する姿が目撃される。(恐らく克明でカー)
それからしばらく古木のあだ名はカーになった。

・02年オフのインターコンチネンタルカップ出場中に羽蟻の攻撃を受け背中を噛まれる。

・03年オフ、リズム感をつけて守備力向上を!と沖縄アクターズスクールに入校する。

・04年、雑誌「ベースボールポポロ」に上半身の裸の写真が掲載される。

・04年5月4日、お立ち台で緊張し、
全国ネット中継中に「子供の日に打てて嬉しいです」と発言してしまう。

・05年、食事中の牛島監督をコーチと勘違いし、監督のウインナーを背後から横取りする。
当然、その後監督に平謝り。

・06年、先輩石井琢朗に「琢朗(たくろう)」ではなく「豚朗(ぶたろう)」と書いた年賀状を送る。










40 桑原義行 
愛称:

1982年6月15日生まれ 東京出身 右投げ右打ち
横浜ドラフト8巡('05〜) 2年目
推定年俸800万円


ガッツを全面に押し出す外野手。
「くわばら」ではなく「くわはら」

日大出身で那須野とは同期、堤内と村田の1年後輩。
大学時代は村田の授業の代返をやらされていたらしい。

日大ではホームランを打たない4番バッターとして活躍、大学通算本塁打0本。
クニャクニャ打法と言われる変わった打ち方で、桑原の打席を一度見た者はその虜になる。
シーレックスで桑原の登場曲は「アンパンマンのテーマ」
これが観客に受けて桑原の誕生日に球団が「桑原義行アンパンマンデー」を開催したことも。

ムードメーカー的存在であり
試合が雨で中止になった時、バットを手にベンチから出てきた桑原は
打ったフリをしてベースを1周しヘッドスライディングでホームイン。
三本間に挟まれたフリを見せるなど細かい芸も見せ、
雨の中残った観客を盛り上げたというエピソードを持つ。
http://www.kanaloco.jp/sports/bay/sl05060701.html









65 西崎伸洋 
愛称:

1982年4月8日生まれ 福岡出身 右投げ右打ち
横浜ドラフト6位('01〜) 6年目
推定年俸510万円


高卒捕手として入団するも4年目に外野手転向。
年齢的に多村、金城の次の世代の外野の一角を期待される選手。

確実性はまだないが岩井監督曰く「野球センスがある」らしい。
元捕手らしく強肩で、脚もあり守備範囲もそこそこ広い。
05年はファームで19盗塁を記録した。
06年の春期キャンプの1軍メンバーに大抜擢される。

父親は漁師で時々横須賀に2軍の試合を観戦に来るらしい。
もし1軍に呼ばれた時は「両親を1番に球場に呼ぶ」と答えており親孝行な一面も。

公式サイトのレポートで座右の銘を聞かれ
「『座右の銘』って何ですか?」と聞き返したことがある。
また公式の自己レポート作文で一人称が「自分」や「僕」などでなく「ノブ」であったことから
実は吉村と同じくらいのボケキャラではないかと予感させる。