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「機動戦士ガンダムF91」感想(2003年3月23日)
「機動戦士ガンダムF91」は1991年に映画用として製作された作品で、ファーストガンダムのスタッフだった富野由悠季氏、安彦良和氏、大河原邦男氏らが結集して作られた。元々はTV用として企画された経緯があり、情報量は多く、情報を詰め込みすぎる感じがする。以前にビデオで完全版を見ているが、劇場公開版は見ていなかったため、今年になってDVDで見ることができた。DVD版は劇場公開版と完全版両方入っているため、比較がしやすい。

<感想>
・最初にクロスボーン・バンガードのMSがコロニーに入ってくるシーンや、シーブックが通うハイスクールの学園祭の一コマはファースト・Zを彷彿させる。コロニーが戦場になって多数の人が死んでいくが、惨いと思われる描写も書かれていた。ここは戦争の非情さを描く為の方法とも取れる。
・登場キャラの設定、話の状況、悪役キャラの悪意の発露、コマ割等を見ていると初代ガンダムを作り直したいというスタッフの裏の心情が出ている感じ。
・コスモ・バビロニア建国宣言の式典におけるクロスボーン・バンガードのMS隊のパレードは最近テレビでよく見かける北朝鮮の軍事パレードを思わせる。MSの他にもミサイルを積んだ車(エレカ)も行進していたので。今の情勢(北朝鮮・イラク問題)が取り沙汰されている今になって見ると現実味を帯びている。
・メカの描写について。Zガンダムでも空中戦が見られたが、F91の世界ではMS単体で空を飛べる設定なのか、Zと比べればややスピーディー。MSのデザインは連邦側は今までの形を踏襲しているが、クロスボーン・バンガードのMSはザクから始まるモノアイ式のセンサーではなく、眼鏡型のセンサーを持っているが、これらのメカは「Vガンダム」のザンスカール(ベスパ)のMSに通じるものがあって面白い。
モビルアーマー・ラフレシアは公開当時と前後して開催された「花の万博」の時に公開されたラフレシアの花に則って作られたデザインみたい。時代を感じる。
・過去のガンダムではコロニー(小惑星)落とし、毒ガスと大量殺人の方法が書かれてきたが、「F91」では建物等に傷をつけず、人間や人間の乗ったMSのみを破壊する兵器・バグが登場。カロッゾは人間の良心を痛めない人殺しの方法と言っていたが、確かにある意味、究極の方法論だ。
・シーブックが母モニカと和解するシーンは過去のガンダムになかった描写。過去のガンダムでは両親とは和解できず別れるとケースが多かったのでこれは新鮮。親子の和解に関しては某雑誌で富野氏のコメントを読んだが、自分も家庭を持つようになり、心変わりしたと書いてあった。
その反面「家庭の問題だからな。」(カロッゾ)、「血縁は自分の手で断ち切る!」(セシリー)のセリフが出ているようにF91のストーリーは戦争という名の皮をかぶった親子喧嘩と見ることもできる。
・親子の和解については先ほど書いたが、宇宙に投げ出されたセシリーを助けようとするシーブックを励ます母モニカのセリフはニュータイプ論というか、人同士の繋がりを語るセリフのようだ。

<私的名(迷)言>
「逃げ回りゃ、死にはしない。」
「抵抗するんじゃない!いっちゃえよ!」
「なんとぉー!!」(シーブック)
スパロボでおなじみのセリフ3連発

「機械が喋ることか!!」(セシリー)
「私は機械ではない!任務遂行のためにエゴを強化したのだ!」(カロッゾ)
ロボットっぽい仮面をつけているうえにノーマルスーツなしで宇宙空間を自由に行動し、MSのハッチを素手でこじ開けるという人間離れした所を見たら、機械と考えても差し障りはないような・・・
長谷川裕一氏が書いた「F91」の後日談コミック「クロスボーンガンダム」に登場する木星帝国のボス、クラックス・ドゥガチもカロッゾと同類だ。(狂気じみてるし、自分のクローンが何人もいると言う設定だし)

<おまけ>
おまけ映像は劇場予告編・パイロットフィルムといった予告フィルムを見ることができるが、「F91」の同時上映がSDガンダムというところには時代を感じる。

<完全版で追加・修正されたシーン(ネタばれ)>
・出撃前のシーブックと母モニカとのやり取り
・避難民の様子が挿入
・上のシーンのあとにあるブリッジでのやり取りが増えている
・バグとの戦闘シーンに追加分がある
・宇宙空間に出たあとのシーブックのシーン(飲み物を飲んでいたシーンがあった)
・セシリーが乗るビギナ・ギナがMSの残骸を使って戦艦を沈めるシーンがあるが、そのシーンに数箇所修正・追加シーンがある
・月艦隊全滅のシーンに修正
・ラフレシア登場シーンが追加


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