「きみのためなら死ねる」 9月13日(月) ファミコンミニの「悪魔城ドラキュラ」をプレイしてますが、難しいなぁコレ。もうヒィヒィいいながら少しづつ城の奥深く進入して行っております。こんなに難しかったかなぁ?と思いつつも繰り返しプレイすることで徐々に先に進めるようになるバランスに関心。途中で投げ出さないギリギリの感情線を突いてくる絶妙な作りです。「ファミコンミニ」、現代っ子クリエイターへ任天堂の無言のアドバイスと言えるでしょう。
さてさて、「きみのためなら死ねる」・・・こんなこっ恥ずかしい台詞も、ゲーム職人の手にかかればあら不思議。まったく謎で新しいエンターティメントの代名詞になってしまうんでしょうか。
先週発売された「ファミ通」誌上で、ソニックチームが制作している謎のニンテンドーDSソフト「きみのためなら死ねる」が画面写真、制作者インタビューを含め公開されました。
先日、公式HP上でタイトルと大まかなストーリーが公開されたこのソフト。
ちょっとカッコ良さげなデザイン、今風のBGMで彩られたHPに書かれたストーリーはこうです。
ナイスバディの魅力的な彼女。
彼女のまわりには、いつもすごくイケテル男たちが。
主人公である少年はいわゆる “ぱっとしない、ふつうの男の子” 。
彼は彼女に一目ぼれをしてしまいます。
そして、彼はいつか彼女に振り向いてもらいたくて、色々な試練に立ち向かうのです。
衝撃と感動と奇跡のラブストーリー。
えぇ〜〜っ。
新たな遊びの提言と言える「ニンテンドーDS」でそんなベタな恋愛ゲー出すのかよ!
しかも文章のしめくくりは
起こせ愛の奇跡!
とか書いてあるし!
正直萎えてしまったわけです。大好きなセガがわざわざNDSで恥さらすのか・・・。
しかし。
ファミ通の詳しい記事を見て心から反省。
さすがセガ!
HEDの予想などはるかかなたを飛んでいっています。
まさにニンテンドーDSらしい、全く謎なゲームに仕上がってるじゃないですか!
サードからいきなりこんな「らしい」ゲームがでるなんて、NDSの未来は明るいし、ゲームクリエイターの底力を見た気がします。
とりあえずこの作品の概要をHEDなりに書き出してみると。
・ジャンルは内緒。タッチパネルで色々なものを触ったり女の子に触れたりする。
・操作はタッチパネルしか使わない。ユーザーは一途に真摯にタッチパネルを擦ったり触ったりする。
・「とにかくさわる」ことをキーワードに進めて行くゲーム。
・グラフィックはキャラクター性をなくすためにシルエットで表現されている。
・さらに文字や音声によるセリフもキャラのイメージが固定してしまうためほとんどナシ。
・女性スタッフもたくさん制作に参加。女の子が触られた時の反応などをリアルに表現。
結局今の時点では何をどのようにすればいいのか全然わかりませんが、そこがDSソフトの醍醐味じゃないですか。新しいデバイス、新しいルールの創出。なんかわからないけど「楽しそう!」と率直に思ってしまいました。
そして、いわゆる「ラブ」をテーマにしながら女の子を初め全てをシュールなシルエットで表現する手法。プレーヤーに「想像する楽しみ」を与えるという今のゲームが失くしてしまった能動的な楽しさも復活させています。
今時のゲームなら、ストーリーや主人公、相手の女の子などがこと細かに設定されているわけですが、きっとこの作品では上に書いたHPからの引用がストーリーの全てなんでしょう。ここ大事ですよね。ゲームのストーリーなんてそもそもそんなもんでいい。
今のところわかることと言えばいわゆる「バカゲー」であるであろうこと。そして、ニンテンドーDSというハードの醍醐味を十分に味わえるであろう作品であるということです。もうそれだけで十分じゃないですか。買っちゃうな絶対。
ニンテンドーDSは、このような斬新なゲームが多数登場するなら、あとはみんなにその魅力をどう伝えるか。プロモーションの仕方によっては内容的にも売り上げ的にもTVゲームというメディアに新たな息吹を与えてくれることでしょう。
あとは本家任天堂がどのような新しい遊び(ソフト)を提案してくるか。
同じく先週のファミ通では任天堂から今後発売されるソフトが小特集されていました。
GBAでは正統派「ゼルダの伝説 ふしぎのぼうし」、GBAを回して遊ぶ「まわるメイドインワリオ」、LRボタンしか使わない新たなゲーム性「ぶらぶらドンキー」そして詳細は不明ながら新しい楽しさを提供してくれそうな「ヨッシーの万有引力」など、DSの前哨戦も抜かりない様子。この分だとDSでもハードホルダーに恥じない遊びを続々提案してくれるでしょう。
PSPには従来の「すごいゲーム」のポケット化やアーケード移植などをお任せするとして、DSにはゲームの新しい進化の方向性を示して欲しいです。言われなくてもそうするつもりでしょうが、任天堂だけでなく今回のセガのようにゲームクリエイターが「遊びを作り出す」という本職に対する意地や誇りを見せて欲しいということです。ゲームというメディアを使って何を世に問いかけたいのか。プレイヤーに何を感じて欲しいのか。最近曖昧になってしまった大切なその部分を、胸を張って主張する絶好の機会がやってきたわけです。
「きみのためなら死ねる」・・・このタイトルが新たな遊びの可能性「ニンテンドーDS」に向けられた決意表明であればこれほど頼もしいことはないのですが。
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