「ゲームのせいにしてしまえ」 6月14日(月)
「サムライスピリッツ零スペシャル」は、何を吹っ切れたのか思い切った残酷表現が特徴。
血しぶきや真っ二つは当たり前、ナコリムさえも容赦なく骨は折られるわバラバラに砕かれるわ首はハネられるわのお祭り騒ぎ。ナコルルなんかわざわざ服がはだけてから真っ二つになるというサービス(?)ショットまで用意。
このゲームはE3によると国民機PS2でも発売されるみたいですが、この辺の演出はどうなるんでしょうね。HED的にはスペシャルならではの爽快な演出なので忠実な移植をお願いしたいですが。てか完全移植じゃないなら意味ないから出さんでよろしい。
最近は犯罪の低年齢化、人命を軽視した犯罪の増加などで、表現力が飛躍的に向上した「ゲーム」への風当たりがまたまた強くなってまいりました。
「ゲームは犯罪者を生むんじゃないか」、「人命を軽視するきっかけにならないか」などの議論が特にゲームとは縁もゆかりもない人々の間で繰り返され、マスコミがオヒレを付けて一般世論化してくれるわけです。
HEDは自分がゲーム好きだからと言って闇雲にゲームを擁護しようってわけじゃありません。
確かに影響を受ける人もいるかと思います。犯罪のきっかけになっちゃう事もあるでしょ。
でもそれは本当にゲームの責任なの?
アメリカの裁判で確かこういう話が。
息子だかなんだかが犯罪を犯したのはとあるゲームソフトのせいだと訴えた親がいて裁判に持ち込んだんですが、判決は極めてシンプル。
「何万人もユーザーがいるゲームソフトで、ただ一人が犯罪を犯しただけでそのゲームが原因だとするのはあまりにも短絡的である」
ごもっともだと思いませんか。
なぜ日本ではこういう論理展開にもっていく思考回路がないんでしょうか。
その1人がなぜ犯罪を犯したのか、家庭環境はどうだったのか、教育は行き届いていたか。普通論点はそこじゃないかなぁ。
(日本流解釈)
彼が犯罪を犯した原因はこのゲームの残酷表現に違いありません。
他にも数万人が同じゲームをしていますけどね。まぁそれはそれで。
これじゃ説得力なさ過ぎでしょ。その数万人も犯罪者予備軍ですか。
もし万一ゲームがきっかけというか引き金になってしまったとしても、犯罪を犯したのはその人間であって、そういう人間を作ったのはその人の周りの環境(人間関係や教育)なわけです。自分の理解できないもののせいにして「物事の本質をキチンと考えること」から逃げるのはやめて欲しい。みっともないし、いつか国自体をダメにする思考回路です。
ゲームを一大娯楽文化にのし上げた国の風潮とはとても思えない。色んな意味で日本のゲーム業界は行き詰ってるナァと感じちゃいます。
もしゲームの影響で人殺しが生まれるのなら、HEDはもう大量殺人犯です間違いなく。でも実際は虫も殺せないんだけど。
色々書きましたが、本心は「ほんの一握りのバカのために僕らの楽しみを安易に奪ったり制限したりしないでくれっ!」っつーことです。
戻ろうね